オフセット冊子【温泉三昧】より 高科×絵里 伸下×三池 コラボ 立ち読みできます

「あれは自衛官か警察官だな。間違いないよ」
　部屋に帰るなり、話題がさっきのカップルのことになった。
　やけに断定口調で言うものだから、三池が首を傾げる。
「なんで？　言い切るの」
「においが一緒だ。俺たちと。それとすげえいい身体してた。ありゃ特別な訓練を受けてる身体だよ」
　においってあんたは犬か。心の中でそう突っ込みを入れつつ、さっきのカップルの男のほうを思い出す。
　浴衣の上からでも分かる。筋肉質な身体。確かにあれは特殊な鍛え方をした人間のものだった。自衛官でなくとも特殊警察とか。まさかＳＰ？
　たたずまい。立ち居振る舞いがそんな感じ。伸下の勘はきっと合ってる。三池はそう思いながら、
「まさかあんた、風呂場であの人と張り合ったんじゃないでしょうね」
「全裸で何を張り合うっていうんだよ。別に普通に湯につかってただけだよ」
　でもきっと意識しまくりだったんだろうな。三池はそう踏んだ。
「奥さん？　のほうは自衛官とかには見えなかったな。一般の人だと思うよ」
　気さくないい人だった。そう言うと、
「なに、お前、知り合いになったのか」
　伸下が部屋に備え付けの冷蔵庫を開けて中を検分しながら訊く。
　やっぱ旅館の値は高いなあ。背中がそう言ってるのが見て取れる。
「知り合いってほどじゃないけど。なんか洗い場が近くて、お風呂に入ってるとき自然と世間話とかしたんだよね」
　伸下に、偶然キスシーンを見ちゃったこと言うきっかけを失ってまだ話していなかった。言えば、あの男の人のイメージ、変わるかしら、そう思いつつ三池はさきほどの女風呂でのやり取りを回想する。


「ご旅行ですか」
　そう話しかけられたのは三池のほうだった。中温のお湯に漬かって四肢を伸ばしまったりしているときに、不意に言われたので、思わず辺りを見回した。
　すると、浴槽の縁に腰をかけて、自分のほうを見ている女がいる。
　さっき、キスしてた人だ。瞬時に理解し、三池は「あ、はい」と慌てて返す。お湯の中、居住まいを正す。
「一泊ですけど、紅葉狩りに。……あなたは？」
　社交辞令で聞き返す。女は、湯煙に頬をさらしながらきれいな標準語で答えた。
「私たちも一泊だけです。でも紅葉狩りっていうよりは、この旅館に泊まることのほうがメインみたいなものですけど」
　ちゃんとした会社に勤めてる、あるいは勤めていたことのある話し方だな、そう思いながら会話を継いだ。
「ご夫婦で？」
「はい。……と、いいえ」
　曖昧な返答に、自身で苦笑して。
「まだ結婚はしていないんです。婚約中で」
　はにかみながらその理由を付け加える。
　ああ、そうか。だからか。相手の左手を無意識のうちに見てしまっていたのだろう。視線を感じたのか、女は左手の位置を浴槽のふちから膝の上にずらした。
　失礼だったかな、ぶしつけすぎた？　三池がいけないいけないと自戒しつつ目を逸らす。
「おめでとうございます。っていって、あたしも実は婚約者と来てるんですが」
　打ち明けると、女の目がまん丸になった。
「そうなんですか。てっきり旦那様かと思いました」
「さっき旅館の台帳に【妻】って書かれて、のぼせましたが、入籍はまだです」
　なぜだろう。ちょっと自慢したい気分になった。
　暖簾越しに熱いキスシーンを見せ付けられた意趣返しだったのかもしれない。
　案の定、女は「いいですね」と寂しそうに笑う。
「高科さん、そういうとこ几帳面っていうか、固いからなあ……」
　妻とは書いてもらえなかったらしい。顔が寂しげなものになった。
「高科さんておっしゃるんですか。婚約者のかた」
「あ、ええ。はい」
　固いようには見えないけどな。心の中、三池は呟く。
　確かに見た目、とっつきにくそうではあるけれど、本当に四面四角な男は、あんなところでフィアンセにキスなどしない。
　そう言ってあげたかったけれど、それだとキスを目撃したことも暴露してしまうことになるので自粛した。
　お風呂で別れる前に、待ち合わせの約束をして甘くキスをする。
　そういうこと、スマートにできる日本人の男なんて、そうはいないはずだもの。
　伸下じゃ到底無理。そう思って、改めて三池は目の前の女に目を凝らす。
　薄手のタオルを身体の前に当てて隠してはいるものの、そのボディラインは驚くほど肉感的だ。さっき、暖簾前で会ったとき、女子大生のようだと思ったけれど、脱ぐとその印象がますます強まる。抜けるように白い肌で、傷跡やあざなどひとつも見当たらない。若々しい肌。
　そして押さえたタオルからはみ出る胸元。太腿のまろみ。
鎖骨にうっすら浮かんだ汗。清冽なお色気に、同性ながらくらくらしそうだ。
　男の人が放っておかないタイプだな。彼女の身体をそっと盗み見ながら三池は思った。
　こんな可愛らしい顔に、この身体があっちゃ、恋人は放っておかないよ。昼も夜も。
　そこまで考えて、急激な照れくささに襲われる。さきほど目にした高科という背の高いあの男が、夜な夜な彼女の身体に溺れているところを想像してしまったから。
　あ、あたしなにおやじくさいこと考えてんの。
　頭の中消しゴムでデリートをかける。でもいったん妄想のスイッチがオンになるとなかなか解除できない。
　筋骨逞しい婚約者が、この女性を組み敷いて自分のほしいままにしている図がありありと脳裏に浮かんで、三池の体温が確実に三度は上昇した。
　え、えろい。えろすぎるよあたし。
　いくら目の前に裸でこの人がいるからって、こんな欲求不満男みたいな妄想、えろいし失礼すぎだって。
　三池は湯を掬い上げてばしゃばしゃと派手に顔に打ち付けた。冷たい水のほうがよかったが、そうもいかない。
「どうしました。大丈夫ですか？」
　いきなり三池がやり始めたものだから、驚いて女が窺う。三池は茹蛸のように赤くなりつつ、「だ、大丈夫です。ちょっと湯あたりしたみたい」と言い訳した。
「すぐ上がらないと。手をお貸しします」
　女は言ってタオルを取り払い、三池のもとにざぶざぶと歩み寄ってきた。
　全裸。湯滴を弾くみずみずしい肉体が近づいてきて。三池はきゃあと内心叫び声。
　いや。そんな大胆に寄って来ないで。め、目のやり場がああ。
　あせって顔を伏せるも女は三池の肩に手をかけ、「上がりましょう。洗い場で少し休んで」と顔を覗き込んでくる。
　イヤもう大丈夫です。放って置いてくださいそのほうがむしろ。
　そういいかけて、言葉を飲み込んだ。
　覗きこむ目が本当に心配そうだったから。
　純粋に気にかけてくれてるんだ。あたしの体調を。
　それが分かって、邪な気分はどこかへ押しやられた。
「ありがとうございます」
　三池は女の手を借りて洗い場に上がった。プラスティック製の椅子に腰掛けさせられる。
　具合は悪くはなかったが、しばらく女に言われたとおりにした。汗がなかなか引かなくて困った。




　女力で負けたな。完敗だわ。
　三池は内心ぼやく。
　あんな可愛くて、スタイルもよくて、そのうえ性格もいいだなんて反則。神様、与えるとこに与えすぎでしょ。
　わが身を振り返ると切なくなる。筋肉質な身体。真っ黒に日焼けした肌。いくらトリートメントしても、外の勤務が長すぎてぱさぱさの髪。
　しみそばかすも気になりだした。……幸い、今は潜伏期だけど。
　過酷な訓練で切り傷擦り傷青あざは絶えない。
　ひとつも恥じるところはない。ひとっつも。却ってそれらは自分の勲章だとさえ思う。
　けれど、……だけれども。
　どこをどうとっても、女として負けてる気がするのだ。彼女には。
　あーあ。そんな思いで三池は伸下にがばと抱きついた。
「わ、な、なんだいきなり」
「ん。実はねーさっきあのひとたちお風呂場の前でキスしてたの」
　こんな風に。そう言って三池は伸下の唇を奪う。
「う……。ほ、ほんとか？　あの男が？　廊下で」
　口を離すと、伸下が怪訝そうに返す。
「全然そういうことするようには見えないよね。でもしてたんだよ。あたし見ちゃったの」
「ふうん。お盛んだな」
　てかむっつりなんじゃないのか、それって。
　思ったが口には出さなかった。
「でね、あたし、欲情したの」
　三池は畳の上に伸下を押し倒し、仰向けになったところを跨いで座り込んだ。
「うわ。何するんだよ」
「言ったでしょ。聞いてなかったの。欲情したの、あたし。あのカップルに当てられて。だからしたいの」
　もらうわよ。そう告げて、三池は伸下の浴衣の袷に手を滑らせた。

（この続きは　クリスマス発売予定のオフ本「温泉三昧」にて）

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