関東圏を襲った地震は
ちょっと嫌な感じだったな
最近
おなじ辺りの震源地で
小規模な地震がつづいていた
その経過になんとなく
違和感を感じていたけれど
昨夜の様な
小刻みに連動する長い揺れに
正直 薄気味悪さを感じた
数日前には
おなじ震源地で
断続的に小刻みな揺れが
あったばかり
感じ方は
人それぞれだったと思うけれど
大きな地震の時は
大切な人の居場所が
自分の近くであってほしい…と
真っ先に願うよ
大丈夫、仙台駅前。
と云うのは検討がつくが
いま新宿駅。
と云われて気が遠くなる気持ち・・嫌
録画していた
Eテレの「80年代の逆襲」を
昼飯をつつきながら
あの人と観る日曜日
わたしが再生するのは2度目
おおよそのフリはしておいたから
あの人の反応は想像がついた
つくづく思う
おなじ時代を生きてきた人なのだと
80年代と云う時代の流れを
実体験し鍛え抜かれていった共感を
瞬時に描けてしまう共有感
それはどこか懐かしく 尊い軌跡で
いま尚 脈々と循環しつづける
血液の様なものらしい
最近 その血が
僕へと受け繋がれていると云う確信を
得る瞬間に驚かされることも少なくない
語り繋がれてきた
ノストラダムスの大予言
(↑ここが大事 予言ではない大予言)が示した世紀末を
心の片隅で恐れていた時は過ぎ
時代を振り返る様なお年頃になっても
地震と云う得体の知れない生きもの
いや・・地球という生きものに
信用される生きものでなくてはいけないような気がしてきた
人がつくりだしてきたモノを壊しても
地球温暖化に
もっと真剣に地球にむきあっていかなければ
あの時代に そう実行し考えて良かったと思えるように・・
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