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『8月9日午前11時2分、「平和の鐘を」』の運動がはじまっています。
私はこうした運動の存在を知りませんでした。詳しくは↓
http://www.asahi.com/national/update/0808/TKY200708080224.html
「平和」という状態は、あるとき、誰かが与えてくれるものではなく、いつもいつも、一人ひとりが自分の日常の中で平和に向かう行動を積み重ねていくしかないだろうと思っています。
なぜなら、人は、邪悪なるものを誰もが持っているから。
いつだって崩れちゃう。
だから「平和」という状態があったとしても、とても危うくて、あるとき誰かが崩したように見えてもそうではなく、崩れる方向に一人ひとりの心がじわじわ向かっていくのだろうと思います。
鶴さんの、このような行動の根底にある辛い経験と行動への思いや勇気に頭が下がるばかり。
環境問題からスタートした「キャンドルナイト」だけれど、あれが、いつか平和行動のアクションになることを夢見ています。
ほんの一瞬でも、世界中ですべての人が電気の明かりを消して、同じ願いを持つことがあったなら、きっと世界は変わる。
この経験を共有できれば、本当に戦争や紛争のない世界に向かうのではないかと。
食べるものがあって、それが少なくても人と分かちあえて、明日が無事であることが信じられて、喜怒哀楽を共有できる人がまわりにいたら、それが平和かも。
シンプルなことなのに、なかなかシンプルにはいきません。
今日は子どもが一緒なので、私たちも11時に小さな鈴を鳴らすことにしたいです。
「私はあなただったかもしれない」と想像力を総動員しても、結局何もわかっていない自分をいつも感じつつ・・・
自宅のすぐ近くで出会えるコサギ。
こういうことも、本当に、平和な状態の一つなのだと思うのです。
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