MID NIGHT-XXX

~眠れない夜のために~

IDEA

2011-01-11 00:01:11 | Weblog


最近、氷室京介ライブ各方面で物議を醸し出している、

「MOON」前に語られる、尖閣諸島漁船激突事件問題のMC。

正月早々、これに関してはちょっと語らせて貰ったが、

更に想うことを一つ。


ロックアーチストが政治を語ることは間々あることだろう。

別に特別な話でもない。

その代表とされるのが「世界平和を訴える」等の話ではないだろうか。

世界平和を訴えるにあたりポイントとなるのが、平和を望まない人はいないということ。

ごく稀に望まない人もなきにしもあらずだが。

しかし多くの人は世界平和を望んでいる。

つまり、その意見に賛同する人が多い。

つまりは、最も安全な話題である、

世界平和をお題にしていること自体が、平和主義者そのものなのである。

しかし、氷室がMCで語っているような尖閣諸島問題となれば話は別だろう。

氷室自身も言っているように、

DAITA氏と氷室とでは、その考えが異なる。

つまり、世界平和を訴えているような、

平和な空気では終われないこともあるということだ。

もし、その会場にDAITA氏と同じような、

「反氷室思想」という客がいたとすればどうなるのだろうか。

氷室の意見に対し、反論する余地も、そして機会もなく、

何かモヤモヤした気分で会場を後にする人もいるかもしれない。

DAITA氏と違って、氷室に直接、己のその考えをぶつけることが出来ないのだから。

つまり、その思想が二分するような問題に関して、

一方的にそれを述べると言うのは非常に危険なのではないだろうかということだ。

こう言ったブログとは違って、

「読まない選択」=「聞かない選択」というのは与えられていないのだから。


或いは、こういうことも考えられる。

短い時間でのその話に、氷室の真意を読みとれず、

誤解したまま会場を後にする人もいるかも知れない。

「李下に冠を正さず」

つまり、尖閣問題の話をするには、あまりにも時間が短いし、

あまりにも条件が悪すぎるのでは?ということだ。

氷室は、ただ単に、

一方的な思想を述べたいだけという単純な話だとしても、


それを、


「氷室京介ライブで繰り広げられる独裁的政治活動」


と取る人がいるかも知れない脅威が存在するのである。



ある時に、氷室は言った。

「俺は誰にも支配されないし誰も支配したくない」と。

だとするのなら、

この尖閣問題のMCは、そろそろ終わりにした方が得策なのではないだろうか。


とは言うものの、

決して安全な話題とは言えない、

尖閣諸島問題のMCをする氷室に対し、

なにか、ロック魂みたいなものを感じるというのもまた、事実なのではないだろうか。













      

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