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「焦り」か?はたまた「情熱」からか?

2005年10月31日 22時18分33秒 | Weblog
お取り越参りの後、毎年10月にお招き下さる博多・M行寺さまへ出講。
七里恒順和上の出られたお寺で、さすがに九州を代表する名刹といわれるお寺。
お内陣のお荘厳の行き届いていることこの上ない。

まずご本尊にお礼をと、下陣に座りふと堂内の長押の上に眼をやると、和上の写真が・・・その下に「お念仏しなされや」の欅の額。
なにか私に直接声をかけられているようで、思わず「ナマンダブナマンダブ」
博多の同行はこの御堂に座し和上の謦咳に触れお称名相続の人になられているのだなあ、と感慨深いものがあった。

一人の得道の和上あるいは一人の妙好人が出ると、その一帯50年百年と法義が栄えると聞くが、さもありぬらんと・・・・・。

しかし、今の時代果たしてそのようなことがあり得るのだろうか?といささか不安に。
で、自坊に帰り夜のお取り越のお説教で「念仏申すことを、生活のなかで信仰実践の要としましょうよ」と思わず口走っている私が居る。

空しい誓い

2005年10月30日 00時18分49秒 | Weblog
佐賀の巡番法要今日でご満座。
夕方より急に冷え込みが厳しくなり帰山したら書斎兼事務所にファンヒーターが焚かれていた。
あまりの急変に身体がついていかず少々風邪気味の様子を呈する。

ここ半月余りお礼状やら何やら全く出しておらず、気になって仕方なかったがやっと書き終え、こんなイヤな気持ちになるぐらいならこれからは絶対に貯めないぞ、と心に誓った・・・・。
おそらく誓っただけで終わるだろうけど。

あれやこれや机の上の整理をしつつ今日はおやすみなさい。

「憲法改正」案

2005年10月29日 00時28分26秒 | Weblog
門信徒会役員会、協議事項が多くあり結構時間が掛かった。
前向きで勢いのある協議ができホッとしている。
しかし、午前中予定していた机の整理はやはりできずに一日が終わろうとしている。
明日の夜一気にしてしまおうと今心に決めたところ。

ところで憲法改正自民党案が発表された。
今日の役員会でのお勤めの後の住職法話でも話したことだが
「憲法9条の会」の活動にシンパシイは感じているが、なにか私の足をとどめるものがある。
何故だろうと考えるに、この会の出発点と私の立っているところに違いがあることに気付いた。
この会は「始めに憲法9条ありき」なのである。現行憲法が「善・正義」であって、これを変えることは「悪・邪」であるという決めつけた論調に違和感を感じているからだろう。

私たち仏教徒は平和憲法の象徴である「憲法9条」があるから、現行憲法を金科玉条の如く崇めるというのでは、なく。
お釈迦さまの仏教「殺すなかれ」の実現を目指して歩むのが仏教徒であるならば、それに相反する憲法改正ならば敢然と反対の声を上げていくべきではなかろうか。

「いのち一人一人が輝き、生きていて良かった、いや生きていていいんだ、日本に生まれて良かった」と国民一人一人が安心して暮らせる国造りのために憲法があるはずであって、民主党の某という大阪選出の議員まで「教育は国のために喜んで命を賭けることができる国民を育てるものだ」などと言ってのける時代。与党も危なければ、野党も危ない。
過去の戦争に突き進んでいったプロセスに今の時代よく似ていると思えるので、「お上のすることだから仕方ない」という無意識無関心なる消極的加害者にならないよう気をつけたいものだ。

雨の秋桜

2005年10月28日 09時06分44秒 | Weblog
今日から佐賀県S教寺さまへ巡番大法要に三日間日参。
例によって多くの参詣者があり地域の土徳を思う。

帰途、佐里というところを通過するが、近くにコスモス遊園というところがあり一面のコスモスが愛でれる。
秋日に揺れるコスモスもきれいだが、雨に濡れているコスモスもいいものだ。
写真をアップできればいいのだが、不器用の私それができない。
どうぞ一面のコスモスが雨に揺られる情景を思い浮かべて下さい。

それにしても今朝ご法事をすませて、すぐに佐賀へとというように、ゆっくりとお寺に居ることがない。
従って、例によって机の上は手紙書類書籍が山積み状態。
いつもならこれだけ散乱していても、何が何処にあるかは不思議なくらい分かるモノだが、今回は全く不明の状態。

それはそのまま私の精神状態を表しているようで少し落ち込む。
明日の午前中、少し整理しようといつもながらの先延ばしをして就寝。

信仰生活の規範を示す

2005年10月27日 01時21分56秒 | Weblog
山口から帰山後、所用があり天神へ。先ほど帰着。

さて、今日まで二日間お世話になったS福寺さまFご住職。
「労働運動は労働者が動かないと運動にならないように、運動というものは実際人が動かなければ運動とは言えない」
「宗門の基幹運動、人が果たして本当に動いているのか?もっと身近なところから僧侶・ご門徒が動く信仰運動にしなくてはいけないのではないか?」
学生時代社会人時代をとおして一貫して運動(学生・労働)でオルグ活動に関わった人の言葉で説得力があった。
また、いま高度な教義を語っても、上滑りするだけ。
まづ生活の場面で手始めに、食事時に手を合わせるなどの実践をすすめる。
で、実際に動く信仰運動の一環としてS福寺さまでは食事の言葉を

 「深くご恩を歓び、いただきます」「おかげでごちそうさまでした」

と、簡略化したものを口にする生活をしようとご門徒に呼びかけてらっしゃる。

また念仏を称える、ということも実生活では行われていない。従って称えることを生活実践として進める。
そのとっかかりとして、法話が終わって領解(りょうげ)を出言したのち、ご住職が

 「手は膝に置いたまま 念仏百返」
と号令をかけられ、ご門徒が口々に念仏を称えてらした。

これらのことが身に付き生活の一部になったとき始めて、法を聞いてみようという心もおこるのではないか?どれほど時間が掛かるかわからないが、今やり出さねばならないことと・・・・・。

実際の実践の風景を目の当たりにし、今の時代の教化活動の一つのヒントをもらった。



圏外

2005年10月26日 16時21分48秒 | Weblog
山口県の今は下関市となったが西長戸リゾートホテルの近く、角島大橋を臨むS福寺さまに参上している。
さすがの私も夜まで法座があり、明日朝また法座であるから宿泊。

圏外で、携帯電話のメール機能でアップしていますが十分アップできません。
詳しいことは明日

それはないよ!

2005年10月25日 22時10分28秒 | Weblog
若松を午後終え帰山。
帰途車中にて小泉首相はBSE(牛海綿状脳症)の汚染されている疑いがあるアメリカ産牛肉の輸入規制を解除する見通しとの情報がニュースで流れていた。

ブッシュ大統領が来月来日するに当たって、国内的に対イラク戦の手詰まり状態、ハリケーンへの対応遅れ、など窮地に立っている同大統領を助ける意味でのサプライズか?
とするなら、小泉首相は日本国民の健康生命をブッシュ大統領に差し出すに等しいこととなるのではないか。
いくらブッシュの家来(小泉さんが)と言えども「それはないよ」と、思わず車中で叫んでいた。
食は、北朝鮮を見るまでもなく、国民のまさに生命健康を守る要であろうに。
一国の首相は日本国民を守るために存在するであろうに。
ま、そんなこといたって信長ならぬ将軍様におなりになられた小泉さんには通じないだろうけど。

いやなニュースを聞いてメールチェックをすると、新しいホームページを立ち上げたという連絡が入っていた。
よろしかったら下記をクリックしてご覧になって下さい。
きれいで良く整理されたページでブログも毎日更新されています。
お気に入りにでも加えて下さればとお薦めいたします。

    北海道・誓報寺ホームページ

本物を観る目

2005年10月24日 17時14分10秒 | Weblog
昨日の疲れが取れず寝坊。
午後から北九州市若松区J楽寺さま永代経に参上。
夕刊を拝見していると第57回正倉院展のことが載っている。
京都にいる時分には必ず奈良国立博物館へ参観に行っていたが、福岡からだと上京の仕事とがあればついでに行けるのだろうけど、ここ暫くご無沙汰している。

今回は唐時代の「木画紫檀基局」(もくがしたんのききょく)が出展されるとのこと。一度出展したら以後10年間は出展しないという内規があるのが正倉院展で、今回は12年ぶりとのこと。

正倉院の宝物を載せている美術本で一度目にしたことがあるが、それは見事なものであった。手仕事で(いや手仕事だからだが)よくもまあこんな細部にまで・・・というほどきれいなもの。私は碁は嗜まないが、その私をして感嘆せしめるもの。
写真で見てそうなのだから実際目にすると、どれほどのものか?

行ってみたい気持ちはあるが、なにしろここ一週間出ずっぱりという私、とても行けそうにない(隙があったら、行かない保証は出来ないが)のが残念。

まがい物が氾濫する昨今、本物を目にすることで、まがい物を見破る目を養いたい。そうでなくては、まがい物を本物と見損なってしまう恐れがあるから。

そういえば、九州福岡にも最近「九州国立博物館」が開館。今「美の国日本」展があっており、正倉院御物数点が貸し出され期間限定で見られる。こっちは無理をすれば何とか行けそう。しかし太宰府天満宮の元敷地の中に(正確に言えば天満宮の土地を天満宮が建設のために寄進)あるのが気になるところではあるが・・・・。
まあ、良しとしようか・・・・・

圧迫感

2005年10月23日 02時35分16秒 | Weblog
仏教青年会連盟の会議に出席のため日帰えりで京都往復。
博多発一便ののぞみで上京、最終ののぞみで帰福。
少々疲れてしまった。

若い方が、ものごとに一生懸命打ち込む姿は「美しい」。それに触れることができただけでも上京した意味がある。

しかし道中は疲れた。というのも帰りの新幹線で隣になった男性。
それはそれは体格が良く、私の座席にまで身体と腕がはみ出してしまうほど。
車中で一眠りして、と目論んでいたがアテはずれ。
その圧迫感尋常なものではなかった。他の座席に移ろうにも全部埋まっており、それもできない。
仕方なく、狭くなった座席の片隅で小さくなって過ごした。
まるで、クマに襲われた、やせ細った羊みたいであった。

あれで料金が一緒なんですね・・・・当然のことだが。釈然としない帰り道だった。



お育て有り難うございます

2005年10月22日 00時01分17秒 | Weblog
熊本大会を終え夕刻帰山、その後庫裡建設委員会。
設計事務所三社によるプレゼンテーションを受け、協議の結果設計事務所を決定し終了。
牛歩の如く遅々たる歩みではあるが確実に一歩ずつ前進して心強いものがある。

大会会場で沢山の九州各地の知り合いの方々(主に布教でご縁を下さっている)とお会いした。
ご住職・坊守さんはもとよりご門徒さんまで顔を覚えて下さっていてご挨拶下さる。
会場内で移動するとき、ただただ頭を下げっぱなしにしていた。

そうしながら、ひしひしと阿弥陀さまと多くの方ののお育てを思った。
いつも「天ぷら坊さん」と自分のことを言っているが(その心は、衣を付けて始めて様になる)、まさにその通りでお袈裟お衣を付けているだけの巳、僕という人間に挨拶下さるわけではない・・・

このことは終生忘れてはならないことと自戒。

人生の紅葉期

2005年10月21日 18時25分28秒 | Weblog
九州地区仏教婦人(女性)大会 熊本大会に引率して今日は菊池温泉に宿泊。
道中、阿蘇・菊池渓谷と観光をして早めに宿に到着。
紅葉には、まだ早く少し色づいている木が数本あるのみで、11月下旬が見頃とのこと。まだ紅葉していない木々を見ながら、ふと木々の紅葉は人間の人生でいえば老年期ではないか?

そういう思いに至った時、なぜに人は木々の紅葉は愛で、人生の紅葉期(老年期)を嫌悪するのか?
木々には再生があるからか?
人生には再生がないと考えているからか?

岡本かの子の「老妓抄」の冒頭であったか末尾にであったか失念したが

「年々に わが悲しみは 深くして いよよ華やぐ いのちなりけり」

と、ある。
かの子は何によって老いを華やぎと見て取れたのか?
おそらくや彼女は永遠の命というものを見据えていたのではないか?
そこに老いの悲しみの中にも、ふつふつと華やぎを感じ取ったのであろう。

などなど、宴会が始まる前のひととき、心を泳がした。

母校訪問

2005年10月20日 23時57分53秒 | Weblog
大阪より帰山。
久しぶりに自坊の寝床で休める。
しかし明日は仏教婦人会九州大会へ引率で熊本へ。

今朝所用があり母校の龍大に行った。
久しぶりの大宮学者で学生時代がついこの前のような錯覚に陥る。
しかし、在学していた当時とは雲泥の差で立派になっている。重要文化財の本館は重厚さを増し、周りの校舎も昔の面影を保存しながら修復されている。
研究室棟は昔はなかったものだが、周りの風致にとけ込む建造物に仕上がっていた。

人に会うまで少し時間があったので、在学生と一緒に学食へ。ふと私が大宮に通っていた頃の食堂を思い出した。
旧くて汚い木造の建物であったが、そこで当時280円のスペシャルランチを食べるのが最高のぜいたくであったことを懐かしく思う。
むろん貧乏学生であった私はそんな高価なものは滅多に口に入らず30円の素うどんにネギを山ほどぶっかけて食べていた。
食堂のおばちゃんが見かねて、こっそり天ぷらを載せてくれたり、むすびを差し入れて下さったりもした。
そんなことを思い出すと、胸がキュンとした。しかし当時惨めさなどみじんもなく、ただただ楽しかった。

青春してたんだな・・・・
その私は既に50過ぎ、娘達の学生生活も終わろうとしている。
しかし、いまだに学生時代と同じような気分で動き回っている自分を思わず笑ってしまう。

「母校」とは良く言い表したものだとあらためて思う。
「母」なるものは「懐かしさ」「温かさ」を私に与えてくれると。

ビハーラ

2005年10月19日 00時39分32秒 | Weblog
今日から二日間大阪市東淀川区のZ松寺さま報恩講に参上。
ここのご住職のN師ビハーラ活動に造詣深く自らデイサービス施設や特老を設置運営されており本願寺派のその面でのリーダー的存在。

ビハーラとはサンスクリット(インドの古代言語)で「安息所」「精舎」等の意味で、ターミナルを生きてらっしゃる方々の精神的支えともなろうとする活動を指す言葉。
キリスト教精神でなされるのが「ホスピス」であるが、さしずめ仏教版であろうか。

もともと仏教寺院にはこのような機能があったのだが次第に失われたもので、いわば仏教再生運動とも言えるのではないかと考えられる。
これからの寺院の在り方のモデルケースともなりうるものであろう。

とにもかくにもN師のバイタリティーと行動力には頭が上がらない。


アタックキャンプ

2005年10月18日 03時24分00秒 | Weblog
今日まで二日間、山口県Y専寺さま仏教婦人会法座に参上。
夜までであったのでそれを終え新幹線でつい先程(深夜)明日に備えて某所(別に隠密行動ではないが)に移動。
いつもは一旦自坊に帰山し再び出かけるのが常であるが、明日の行き先のことを考えると一度戻るのも無駄になるので、そのまま移動した。

「旅から旅の旅ガラス」なんて言葉は私には当てはまらないのだが、こうして次に備えてホテルに泊まるとなると、結構身体的にも精神的にも負担が掛かるものと感じる。
平生の生活パターンとは違うし、緊張を常に強いられるのが原因だろう。
それが生活パターンとなればそうとも感じないのだろうが、結構神経質な私には辛いものがある。

登山をする方が幾つものベースキャンプとアタックキャンプ(?)を設営しながら頂上を目指すということをされているが、さしずめベースキャンプは自宅で、今日のホテルはアタックキャンプか・・・・。
ベースがあるからアタックできる。古いけど温もりのあるわが家を心に抱きながら、自宅とは比べようもないほどきれいなホテルで明日のアタックに向けて就寝する。

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