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創立75周年記念本部・海外最高協議会でのSGI会長のスピーチ〔上〕

2005年11月15日 | スピーチ

2005.11.15SP
創立75周年記念本部・海外最高協議会でのSGI会長のスピーチ〔上〕

◆◆◆ 大勝利の創立の日 ありがとう!
◆◆◆ 共に元気に! 大満足の人生を飾れ
◆◆◆ 創立80周年へ 不滅の創価城の構築を
─◆─ 人材はほめて伸ばせ! ─◆─
◆◆ 皆の意見に耳を傾けよ 納得の対話から新たな発展が


【SGI会長のスピーチ】
 一、大勝利の創立75周年、おめでとう! (大拍手)
 広宣流布の伸展は、皆さま方の「努力」と「忍耐」と「勇気ある闘争」によって、勝ち得たものである。
 日蓮大聖人が、どれほど賞讃(しょうさん)しておられることか。
 また、大聖人の仏法を広宣流布していく私どもを、二祖(にそ)・日興上人(にっこうしょうにん)も、三祖・日目(にちもく)上人も、そして十方(じゅっぽう)世界の仏(ぶつ)菩薩も、どれほど讃嘆(さんたん)し、強く深い守護をしてくださることか。
 それは、経文(きょうもん)に照らし、御書(ごしょ)に照らし明確である。
 妙法を弘(ひろ)める我々が、不幸になることは絶対にない。最後は必ず勝つ仏法である。
 それを強く確信していただきたい(大拍手)。

◆ 同志の幸福こそ
 一、恩師の戸田先生はよく言われていた。
 「私は、学会員が幸福になればいいのだ。わが同志の幸福こそ、私の願いである」と。
 私も恩師と「同じ心」で生きてきた。
 そしてまた、「死身弘法(ししんぐほう)」の皆さま方に、ただただ頭(こうべ)を垂れ、御本尊に皆さま方のご健康、ご長寿、ご多幸を祈り続けている。
 この一年も、幾多の困難を乗り越えながらの大闘争、本当にご苦労さまでした。
 広宣流布のための労苦は、すべてが、満足の中の大満足と変わる。
 日蓮大聖人は、人間にとっての究極の満足とは、「一生成仏」であると教えておられる。
 我々は「成仏の直道(じきどう)」をまっすぐに進んでいるのである。
 ともあれ、次の目標は、学会創立80周年(2010年)である。
 ともに元気に、ともどもに学会歌を歌いながら、堂々たる不滅の創価城を構築してまいりたい。
 そしてまた、ともどもに「一生成仏」という“最高の所願満足の山”を見事に登攀(とうはん)してまいりましょう!(大拍手)
 一、今月2日、本部幹部会の席上、私は、全同志とともに、「プーシキン金メダル」を拝受した。
 うれしいことに、ロシアをはじめ、国内外のプーシキンを愛する方々からも、祝福のお便りを多数いただいている。
 ロシアの国民的詩人であり、「近代文学の父」「詩歌(しいか)の太陽」と讃(たた)えられるプーシキンは謳(うた)った。
 「この世を飾るのは、友情のみ。
 友情なくして、喜びはない」
 私たちは、世界に真の友情を結んでいる。
 プーシキンは、こうも語っている。
 「当然、人には、家柄を超える尊厳がある。
 つまり、人格の尊厳である」
 人間の「自由」と「尊厳」を高らかに謳い上げたプーシキンの詩には、人格の光があり、温もりがある。
 それゆえに、今もなお、ロシアの民衆に深く愛されてやまないのであろう。
 一、文豪(ぶんごう)トルストイは、プーシキンを「我々の教師」と讃えている。
 また、19世紀ロシアの著名な文芸評論家ベリンスキーは、プーシキンを「何百万もの人々を潤(うるお)すボルガ川」にたとえた。
 今回、来日されたシードロフ委員長も、このボルガ川の沿岸で生まれ育った方であった。
 プーシキンをこよなく愛する同委員長は、本部幹部会に集った創価の友の喜々とした姿に触れて、「太陽よ万歳! 闇よ消えよ!」とのプーシキンの言葉を贈ってくださった。
 そして、「偉大な詩人は、あたかも創価運動を予見していたかのようであった」とまで言ってくださったのである。

◆ 会館を飾る写真
 一、さらに、同委員長とともに来日されたファトクーリン書記から、一通の書簡(しょかん)をいただいた。
 この書簡には、モスクワの「中央芸術家会館」において、私の「自然との対話」写真展を開催したいとの旨が記されていた(大拍手)。
 同会館は、ロシアの“心臓部”であるクレムリンに向かい合って立つ“芸術の宝城”である。
 同書記によれば、年間300件以上の展示会を開催し、年間約100万人が鑑賞に訪れるという。
 素人である私の写真に対し、まことに、身に余る要請をいただいた。
 私が写真を始めたのは、ある方からカメラをいただき、そのご厚情(こうじょう)にお応えして、写真を撮ったことが、きっかけだった。
 また、学会の会館の中を飾るのに、絵は高くて、すべての会館に置くわけにはいかない。
 かといって壁に何もないのでは、あまりに殺風景であろう。
 それならば、写真を置いてはどうかと思い、寸暇(すんか)を見つけては、目にした自然の光景などを撮影するようにしてきたのである。
 このようにして始めた私の写真が、海外の皆さんの目に触れて、相互(そうご)理解や文化の親善につながるならば、これ以上の喜びはない。

◆ 麗(うるわ)しき友情の劇
 一、さてプーシキンは、1799年6月、モスクワの貴族の家に誕生した。
 開設されたばかりの英才教育の学園に、1期生として学んだ。
 彼が、生涯、この母校を愛し、同窓の友情を大切にしたことは、よく知られている。
 若き日、プーシキンは圧政を批判する詩を発表したことで、都を追われる。その後、6年間にわたって追放生活を余儀なくされている。
 その追放先に、数人の同窓の友が危険を顧(かえり)みず、はるばる駆けつけ、プーシキンを励ました麗しき友情の劇は、馥郁(ふくいく)たる薫りを放っている。
 彼は、その深き友情に感謝をこめて、謳った。
 「おお友だちよ」「君のこえは ながい眠りのなかから 心の火をよびさました。わたしは喜びに胸をみたされ運命をたたえた」(金子幸彦訳『プーシキン詩集』岩波文庫)
 その後もプーシキンは、権力による検閲(けんえつ)や周囲の誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)などと戦い続けた。
 その闘争のなかで、世界文学に輝く不滅の傑作(けっさく)を残していったのである。
 主な作品に、韻文(いんぶん)形式の小説『エヴゲーニー・オネーギン』、歴史小説『大尉(たいい)の娘』、史劇『ボリス・ゴドゥノフ』などがある。詩作は800編以上にのぼる。
 プーシキンの心は、毅然(きぜん)としていた。
 彼は、「よこしまの力のゆえにこの世に高い地位をたもつ悪者やうつけ者(=愚か者)の運命をうらやむことなく」(同)とも綴っている。
 悪党どもの運命の行く末は、惨(みじ)めな敗北に決まっているからだ。
 さらに、プーシキンは言った。
 「思想がなければきらびやかな表現も何の役にも立たない」(川端香男里訳「評論」、『プーシキン全集5』所収、河出書房新社)
 同じように、思想のない、哲学のない、信念のない人間は、どんなにきらびやかに身を飾ろうとも空しいものだ。
 私たちは、妙法という最高の思想、最高の哲学に基づいた、最高に尊い人生を歩んでいる。そのことを誇りとしてまいりたい。

◆ ブラジル広布45周年を讃嘆
 一、きょうは、遠くブラジルSGIの首脳も出席してくださっている。
 ブラジル広宣流布の栄光の45周年、まことに、おめでとう! (大拍手)
 本当に、よく頑張ってくださった。
 ブラジルSGIは今、あらゆる面で大発展している。
 すべてはブラジルの同志のおかげである。
 サンパウロ近郊に広がるブラジルSGIの自然文化センターも、皆さまの真心で素晴らしく整備されているとうかがっている。うれしいことである。
 また、アマゾン中流域のマナウス市近郊に開設されているアマゾン自然環境研究センターにも、各界から高い評価が寄せられている。
 〈本年7月には、同センターの環境保全の取り組みなどを讃えて、マナウス市に、SGI会長の名前を冠(かん)した州立「池田大作高校」が設立されることが発表された〉
 アマゾン──世界の憧(あこが)れの地である。私も、いつの日か訪問できることを、楽しみにしている。


◆◆≪ブラジル文学の巨星≫
    ── 海よりも強いもの それは民衆
    ── 人民の叫びはどんな声よりも強力

◆ 勝利の大叙事詩
 一、ブラジル文学界の巨星で、私たちSGIの深い理解者であられたジョルジェ・アマード氏は、誇り高く「民衆」を讃え、「人民」を謳い上げた。
 「海よりも強いもの、それは民衆である」
 「民衆は毎日 詩の新しい奇跡を、英雄心の新しい奇跡をつくり出す」(神代修訳『希望の騎士革命児プレステス』弘文堂新社。以下同じ)
 さらにアマード氏は綴っている。
 「われわれは人民がいつも真実を求め、真実を旗じるしにしようとするのを知っている。
 また人民の真の指導者や人民によって鍛えられた人たちは、圧制者の仮面にだまされはしない」
 「人民の叫び声はどんな叫び声よりも強力である」
 その通りである。
 ブラジルSGIの45年、そしてわが創価学会の75年の歴史は、最も気高く、最も強き民衆の勝利の大叙事詩(だいじょじし)であると宣言したい(大拍手)。
 偉大な存在──それはひとえに、広宣流布に邁進(まいしん)する学会員である。
 ブラジルにおいても、わが尊き同志の貢献に賞讃が絶えない。
 今月も、サンパウロ州など各地で、11・18「創価学会創立記念日」の意義を刻む「慶祝(けいしゅく)議会」が盛大に開催される予定である。
 また、このほど、ブラジルの名門バイア・カトリック経済大学から、光栄にも私に対して、同大学の第1号となる「名誉博士号」の決定通知が届けられた(大拍手)。
 すべては、尊き社会貢献の活動を広げゆくブラジルの同志への絶大なる信頼の賜(たまもの)であり、賞讃の証(あかし)にほかならない。
 貴国の皆さま方に重ねて心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 一、ブラジルの文豪アマード氏はまた、こうも綴っている。
 「いつわりの仮面をかぶった者たちは、苦しめられ、卑劣な甘言(かんげん)の手がさしのべられると、すぐに脱落してしまうことだろう」
 広宣流布の途上にあっても、仮面をかぶった卑劣な輩(やから)が、退転し、弓を引いていったことは、ご存じの通りだ。
 そしてアマード氏は、「幸福とは正義を理解すること」であり、「(幸福とは)勇気や品格のある生活のなかにある」と洞察している。
 まさに、たゆみなく学会活動に勇み舞いゆかれる皆さま方の人生の英姿であるといってよい。
 アマード氏が、ひときわ讃えたのは、苦悩にも毅然として立ち向かい、冷静に、そして妥協を許さず進んでいく“庶民の母”であった。
 “この母の喜びこそが民衆の喜びである”── こうアマード氏は結論している。
 母は偉大である。
 母は勇敢である。
 母は聡明である。
 母は正義である。
 その母たちが幸福に輝いていってこそ、平和と希望の園が広がるのだ。


◆◆◆ 婦人部の皆様ありて広宣流布は盤石!
◆◆◆ 創価の女性に幸福あれ
   ── 11・12「部の日」を祝福 ──
   ── 女子部は"希望の太陽"と輝け ──

◆ 信心の志高く!
 一、日蓮大聖人は、懸命に信心を貫く女性門下たちを、こよなく大切になされた。
 大聖人は、乙御前(おとごぜん)の母に対して、鎌倉からはるばる大聖人のもとへ訪れたことについて、こう書き送られている。
 「日蓮が流されたのは、わけあってのことですが、(女性の身で、これまで足を運んでくださったあなたの姿にふれると、私が流されたのは)“あなたの厚い御志(おこころざし)があらわれるためであったのか”と、ただありがたく思うばかりです」(御書1222ページ、通解)
 乙御前の母は、女手一つで娘を育てながら、勇気ある信心を貫いた。
 その健気(けなげ)な母の求道に対して、大聖人は、あなたの尊い信心が現れるために、私は流されたのだろうか、とまで言われ、最大に讃えられたのである。
 わが創価学会が、この75年間、あらゆる「三障四魔」を勝ち越えて、大勝利の前進を重ねることができたのも、すべて、難に怯(ひる)まず、真剣に戦い抜いた婦人部の皆さまのおかげである。
 崇高なる広宣流布の母たちに、あらためて心からの感謝を捧(ささ)げたい(大拍手)。

◆ 会合の運営は絶対無事故で!
 一、11月12日は「女子部の日」である。
 女子部の皆さんは、創価の希望の太陽である。
 女性が輝き、伸び伸びと進んでいる組織は強い。勢いがある。
 聡明に、楽しみながら、希望と幸福のスクラムを広げていっていただきたい。
 女子部の皆さん、いつも本当にご苦労さま。尊い青春の日々を、どうか健康で、無事故で! と申し上げたい。
 一、13日には、わが先駆の九州青年部が、「青年・躍進の年」に先駆けて、アジア青年平和友情総会を行う。
 恩師・戸田先生から「東洋広布」を託された全九州の誉れの友が、沖縄の青年部と手を携(たずさ)え、アジアの友と心を通わせて、ベートーベンの「歓喜の歌」を歌い上げる。
 晴れやかな大成功を、皆で祈りたい。
 〈13日、九州と沖縄の各中継会場を結んで、10万人による「歓喜の歌」が高らかに響きわたった〉
 一、壮年、婦人の皆さんは、真剣に戦う青年をほめ讃えていただきたい。次の時代を担(にな)うのは青年である。
 また、会合の責任者には、ともかく「絶対無事故」をお願いしたい。全員で心を合わせて祈ることだ。
 「絶対無事故」が、当然である。事故を起こせば、だれも得をしない。同志も皆、悲しむ。
 特に、大きな会合の場合は、細心にも細心の注意を重ねて、完壁な運営をお願いしたい。

◆ 祈り抜いて最高の手を打て
 一、どうしたら、理想の組織をつくり上げることができるか。
 その急所は何か。
 それは、リーダーが成長することだ。手を打つ人間が、人の何十倍も苦しみ、題目をあげて、考え抜くことである。
 会合でいい話をすることも大事だ。だが、それだけでは人は動かない。
 一対一で語り、心がつながってこそ、徐々に大回転が始まっていく。
 改革は必要である。しかし、安直(あんちょく)に進めれば、かえって、混乱をもたらす場合もある。
 だからこそ、現場の声を聞くことだ。皆が納得して進んでいけるよう、よく打ち合わせ、対話を重ねることである。
 とくに、若くしてリーダーになったならば、皆の意見に謙虚に耳を傾けねばならない。
 苦労しなければ、人の心はわからないものだ。
 また、挑戦の心を失えば、硬直した官僚主義に陥(おちい)ってしまう。
 格好はいいが、血が通わない。慈愛がない。思いやりがない──そういうリーダーであったならば、皆がバラバラになってしまう。
 「皆、大変ななか、本当によく戦ってくださっている」──そう感謝する心があるか。ともに戦い、同苦する心があるかどうかである。
 どうしたら、皆が安心して広布へ進み、勝利と幸福をつかんでいけるか──その一点を、私は祈り、全魂を注いできた。
 そこに呼吸を合わせなければ、師弟は「不二」でなくなる。
 決して上から押しつけるのではなく、皆から「よくやってくれた」と言われる名指揮を、よろしくお願いしたい。
 何でも言える雰囲気が大事である。そういう組織が伸びる。
 立場が上であるほど、自分から皆の話を聞いて、一つ一つ応えていかねばならない。疲れるかもしれないが、それが指導者の責任であるからだ。
 何も言えないような雰囲気では、最低の組織である。
 そうならないために、まずリーダーが真剣に、一生懸命、戦う。たゆみなく人間革命していくのだ。これを心に刻んでいただきたい。


◆◆≪米ハーバード大教授≫
── 学会の開かれた対話の精神は 21世紀の世界宗教の規範
── 対話を閉ざした日顕宗には重大な誤りが

◆ 宗教は「社会的使命」を果たせ
 一、私は現在、中国思想研究の第一人者であるハーバード大学教授のドゥ・ウェイミン博士と、連載対談を続けている。〈月刊誌「第三文明」に『対話の文明』を連載〉
 ドゥ・ウェイミン博士は、「儒教文明」を代表する知性として、世界を舞台に活躍されている。
 私との対談で博士は、地球社会の平和を築くうえで、宗教が極めて重要な役割を担うと展望されている。
 それでは、21世紀の「世界宗教」の要件とは、いったい何か。
 博士がその一つとして挙げられたのは、「地球共同体の幸福に対する責任を担っていく」努力の有無である。
 宗教者は、自身の教団をめぐる関心にとどまらず、文化的な見識を備え、社会のあり方に関心を持たねばならない。
 そして、社会に積極的に関わっていく「公的知識人」として行動することが求められる、というのである。
 この観点から博士は、私たちの「平和・文化・教育」の運動を高く評価してくださっている。
 学会は、「個人の幸福」を勝ちとるとともに、「社会的使命」を誠実に、そして厳然と果たしてきた。ゆえに、世界から信頼を勝ち得てきたのである。

◆ 結びつける言葉
 一、さらに博士は、これからの宗教のリーダーは、「二つの言葉」に通じていなければならないと指摘されている。
 この「二つの言葉」とは何か。
 一つは、「同じ信仰を持つ人々を結びつける言葉」である。
 つまり、内部の連帯と交流に必要な言葉であり、信仰上の指導や励ましなどが、これに当たるといえよう。
 幹部である皆さま方は、接する一人ひとりに安心と確信、そして希望を贈る「指導の達人」「激励の名人」であっていただきたい。
 御書を拝しても、日蓮大聖人は、どれほど門下を讃嘆しておられることか。真剣に戦う女性、年配者、青年を、それはそれは、こまやかに賞讃し、激励されている。
 たとえば、佐渡に流罪された大聖人のもとへ、危険を顧みず供養を届けられた千日尼に対しては、「いつの世にか忘れることができましょう。(日蓮の)母が佐渡の国に生まれ変わっておられるのでしょうか」(御書1313㌻、通解)と、感謝と讃嘆の心を伝えておられる。
 真心と誠意のこもる「ほめ言葉」をかけていくところに、喜びの波動が広がる。
 あの厳格な戸田先生も、広宣流布に戦う最前線の同志を、最敬礼して讃えられた。
 「皆さまの信心のおかげです」「ごとごとく皆さんのおかげだ」「あなたがたへのご褒美(ほうび)は、御本尊が、きちんとくださいますよ」等々、声を惜しむということがなかった。
 ある時には、教学部の友に「実によくやってくれた。何よりも誇りに思います」と声をかけておられた。
 きょう一日、何人の人に温かな声をかけ、ほめることができるか。
 ここに、指導者の重要な使命がある、と強調しておきたい。

◆ 世界市民の言葉
 一、さて、ドゥ博士が訴える、宗教指導者が持つべき「二つの言葉」のもう一つは何か。
 それは、「世界市民としての言葉」である。
 信仰の組織の内部に閉ざされるのではなく、開かれた心で、社会へ、世界へ、あらゆる人々と対話を交わしていくことである。外にどんどん打って出て、勇敢に対話を広げ、理解と共感を深めていくことだ。
 広宣流布は、外交戦であり、渉(しょう)外戦である。
 この点でもドゥ博士は、創価学会の「開かれた対話」の精神を讃えてくださっている。
 一方、日顕(にっけん)宗は「対話を閉ざした」ところに重大な誤りがあったとも分析されている。
 「創価学会が行われている、普遍性に根ざす宗教の実践と、人類の存続を脅かす諸問題への真剣な取り組みとの往復作業は、非常に貴重です」
 これが、博士の深く温かな理解である。

◆ 自らの大地を深く掘り下げよ
 一、さらにドゥ博士は「地涌の菩薩」の生命観に深く共感され、こうも語られている。
 「『地涌』とは、自らの生きる大地を拒絶してはいけない、自らの大地を深く掘り下げよ、そこに新たな意義を見いだせ、と教えているのではないでしょうか」
 「どのように社会が乱れていようとも、自らに内在する仏性を信じ、自らの努力によって、人間は、より良く生きることができるのだ、ということを示唆していると言えましょう」
 さらに博士は述べている。
 「地涌の菩薩は、自ら悟ればそれでよし、とはしません。自らの悟りや思想を人びとと分かち合い、広めていくのです」
 「ここに、自己実現と社会への奉仕という、一見、異なる生き方を融合した、中道の生き方があります」
 私たちの「地涌の菩薩」の生き方に、断じて行き詰まりはない。
 見た目や格好ではない。わが内なる仏の生命を、燃えあがらせ、戦うことである。
 どうか、世界の最高峰の知性も讃えてやまない、この「地涌の菩薩」の誇りも高く、創価の世界から離れることなく、威風堂々(いふどうどう)と使命の連帯を拡大していっていただきたい。
 一、きょうはアメリカ創価大学のハブキ学長も同席されているが、ドゥ博士は、アメリカ創価大学に大きな期待を寄せてくださっている。
 私との対談のなかでも、「学問の専門化や細分化が顕著な現代にあって、『全体性』と『専門性』を兼ね備えた教育を行うアメリカ創価大学の試みは、非常に意義深く、重要であると思います」と語っておられる。
 これからも私は、創価教育の総仕上げとして、アメリカ創価大学の発展に全魂を注いでいく決心である(大拍手)。
   (〔下〕に続く)

(聖教新聞 2005.11.15)