うららのお母さん、親猫はなちゃんのことは、ブログに書きましたが
お父さんのことも書いておかなければ。
うららはどちらかというと、お父さん似です。
白地に雉トラのブチ模様。
その外見から、きっとお父さんだろうなと思われたのが、
近所のいわゆる“ボス”で、生粋の野良でした。
いつもキズだらけで目つきが鋭く、人に全く媚びることがありませんでした。
そうそう、一度不用意に手を出して、思い切り引っかかれたことがありました!
あれは痛かった~
家から徒歩20分の場所で見かけたりしましたから、行動半径は軽く5キロは超えていたでしょう。
最後はエイズで亡くなりましたが‥‥
孤高のかっこいいボス猫でした。
体が弱ってからは、人からごはんをもらうようになり
私のところでは、焼いた小魚が大好物でした。
コタツに入ってパソコンに向かってると、うららが来る。
コタツに入るのではなく、炬燵布団の上から膝に乗ってご満悦だ。
必ず左側に頭がくるように座ってる。
今は亡き母猫のはなちゃんも、膝の上が好きで、左側を頭にしてた
しかも脇の下にグイグイ鼻をつっこんで、
フンフン匂いを嗅いでゴロゴロ言っていたなぁ。
その子供のうららは、息子の靴下の匂いがお気に入りだし
これも遺伝かしら?
うららのステロイド薬、飲み始めました。
今日は、はなちゃんの命日です。
我が家のせまーい庭にある、はなちゃんのお墓の横のベルフラワー。
はなちゃんは何故死んでしまったのか‥
引越しは、室内飼いにするチャンスだったのに。
“外に出たい”といつまでも鳴くので、つい出してしまい、とうとう室内飼いに出来なかった。いや、しなかったのかも。
このために命を落とす事になってしまい、毎日泣き悔やみましたが、いくら後悔しても遅いです。
都市部には、交通事故以外にも危険が沢山あって
たとえば高濃度の殺虫剤や除草剤、猫嫌いな人間。
新しい街の良い動物病院も、早く見つけておくべきでした。
何も食べなくなって慌てて飛び込んだ病院では、ろくな検査をされず、翌日には黄疸が出て手遅れになっていました。
迷った末に入院を決めて、帰ろうとした私を、ふらつきながら追いかけて来たはなちゃん。入院なんかさせてごめんね。
早く気づいてあげられなくてごめんね。
長く苦しませてごめんね。もう後悔のてんこ盛りです。
思い出すと辛いけれど、その夜2000年5月19日
最期は、私の膝で息を引き取りました。
私は亡骸を抱いて、夜の庭へ出ました。
彼女は月夜の庭が大好きだったから。
旦那に『泣いてばかりいたら可哀想だから、楽しかったことだけ思い出してあげな』と言われたけど‥。
室内飼いしていれば死なずにすんだのですが、それだけの問題なのか‥。
あの頃の精神状態は台風のようで、怒りと悲しみと後悔が荒れ狂っていました。
あれからいたずらに飼育年数ばかり積み重ねたけど、猫の幸せって何なのか、今も迷いながら猫と向き合ってる。
空き地でお日様の光を浴びながら、気持ち良さそうにしていたね。
スーパーのレジ袋で遊ぶのが好きだったね。
一緒に散歩すると、足元でゴロンと横になったね。
もう2度と後悔したくない。
あなたの娘と、くろにゃと楓子と一緒に生きていくね。
ありがとう。ずっと見守っていてね。
子猫が里子に出される日は、お腹をこわす はなちゃん。
子猫が一匹一匹と里子に行く日になると、うろうろと落ち着かず、
ついにはお腹をこわしていました。わかっていたのでしょう。
自分で子別れの日を決められず、かわいそうなことをしました。
うららは残ったわけですが、成猫になっても体を舐めてあげ、ごはんはうららの後で食べていました。
はなちゃんはずーっと、うららのお母さんでした。
うらら1歳くらいのころ↓ 2匹はほんとに仲良しだった。
子猫たちを里親さんへ托して、やっと一戸建てに引越ししました。
はなちゃんは、いつの間にか、私たちに「親猫」と呼ばれるようになってました。単に「ねこ」のときもありました。
野良生活のクセが抜けず。
大好物は焼きサンマ。頭だけくわえてズルズルと引きずって行き、玄関などの隅っこでバリバリと食べるんです。
おかげで床には、ナメクジが這ったあとみたいな油のシミが‥
美味しいものは、隠れて食べるはなちゃんでした。
水道の水より、水溜りの水が好きでした。
知り合いの猫を1週間預かったときの不思議な出来事。
はなちゃんは預かり猫を嫌がって家に寄り付かなくなりました‥が
なぜか毎日毎朝、獲物を届けに来ました。
ある日は虫。別の日はカナヘビ。そしてスズメ。
なにもない日はすまなそうな顔でやって来ました。
預かり猫が帰った後は、もうお土産を持って来ることはありませんでした。
はなちゃん‥どういう気持ちでお土産を持って来たのか、今も不思議でなりません。
親猫から教わったこと
そろそろ離乳かな?という頃、
はなちゃんは鳴いて、子猫たちを押入れから出るように促しました。
知ってる人は多いかも知れませんが、母猫が子猫を呼ぶ時は、喉の奥をゴロゴロ鳴らしながら「ぐるrrrrrrにゃ」と鳴くのです。(表現難しーい)
まず活発な1匹が、よちよちと親猫のあとを追います。
次々にあたりの匂いを嗅ぎながら出てきまして、最後に残ったのが、
我が家のうららちゃん。うららは、一番小さくて引っ込み思案なのでした。
はなちゃんは、子猫を舐めて舐めてきれいにします。
見ていると、5匹すべて平等に扱っていました。5匹もいるんですから大変だったろうと思います。
うん○もおしっこも全部なめとってくれるので、子猫はただお母さんのおっぱいを飲んでいればいいのです。
子猫たちはすくすくと育ち
聞こえる♪ 見える♪ 匂いを嗅げれる♪ 歩ける♪
そういう当たり前のことを、全身で楽しんでいました。
神様からプレゼントをもらって、箱を開けて大喜びしてるみたいに。
このあと、噛める♪や 走れる♪ 爪を研げる♪の追加特典も。(^^)
見てる私たちは、毎日自分が悩んでる事などは、つまらない小さな事に思えてきて、
生きてるだけで素晴らしいことなんだ~!!という
当たり前のことに気づかされた感じでした。
子猫拉致
工場の高い窓から午後の日差しが差し込んでいました。
このままでも問題ない、むしろその方が正しいあり方かもしれない。
しばらく呆けたように座って、思案したのち
子猫たち5匹を寝床ごとキャリーに入れて、連れて帰りました。
いずれ里親宅で家ネコにするのなら、野良経験はない方がいいと判断したので。
私ってば、今思えばとても危険なことをしたものです。
はなちゃんが育てなくなってしまう可能性があったのに。
はなちゃんは、押入れの産室(今はベビールーム)の子猫を確認しても、自分の仔だと理解できないらしく、うろたえて、また工場に戻りました。
そんなことを2往復くらいして、
工場の巣から子猫が移動した事をわかってくれて、やっと授乳をしてくれました。
一安心です。
はなちゃんには、私のわがままで、迷惑なことをしてしまいました。
それからは、子猫の成長を毎日そ~っと見守る、うふふな毎日でした。
旦那などは帰るとすぐに押入れをそっと覗いて、
「えも言われぬ可愛さだなあ」などと相好をくずしていました。ヨッシャ!
私たちが時々覗くと、歯のないお口をみんなで一斉に開けるのです。
なんだろう?と思っていたら、どうやら一丁前に威嚇しているのでした。
*はなちゃん出産*
当時、周りにはまだ畑の残る地域。
広い空き地で、目立つ白黒姿。しっぽだけピクピクと動かし、突然ダッシュ!
楽しげに走る姿を見ていると、ペット不可住宅だとはいえ、引越しして彼女を家に閉じこめる決心はつきませんでした。
住宅情報片手に悩むばかり。
お腹はみるみる大きくなって、歩くと、どえんどえんと横に揺れます。
私は和室の押入れを片付けて、産室を作りました。
呆れ顔の旦那。「俺は犬の方が好きだなぁ」
もうすぐ子猫が見られる、楽しみ‥と思っていたある日、やってきた彼女を見てビックリ
お腹スッキリ、ペシャンコ!いったいどこで産んじゃったの~
当たり前の事だけど、はなちゃんには自分だけの隠れ家があったのでした。
日曜にそっと後をつけると、隣の町工場へ。日曜なのでシャッターが下りていました。
はなちゃんは、2mはありそうな扉の上を乗り越え、中に入ってゆきました。
ちょっと待て。あのお腹でここを乗り越えてたのか?!スゴイ‥
2週間後、訳を話して、子猫を捕獲に行きました。
考えたくはないけど、迷惑がられて保健所に行かれるのを恐れてのこと。
しかし工場の人達はとっても鷹揚で
「ああ、いろんなノラ猫が出入りしてるよ~。子猫も産んでるねえ。探して、連れてっていいよ」
体の空気がプシューって抜けた気がしました。やさしい方達でヨカッタです。
工場は天井がとても高く、すみの階段を4階まで登ったところに
子猫たちはいました。
この時のことは、一生忘れないでしょう。
物がごちゃごちゃと置かれた場所のすみ。
段ボール箱に、スポンジやら布やらを入れて暖かく、子猫はすやすや眠ってる。
それは見晴らしが良く、静かで、安心できる
私などにはとても用意してあげられない
素晴らしい “巣” でした。
カルチャーショックと言うか、
自分は思い上がっていたんだと、知らされました。
動物は、生きるということにかけては、人間より利口なのでした。
もうすぐ、うららのお母さん『親猫はなちゃん』が亡くなって10年になります。
ここらで、思い出を綴って一区切りにしたいと思います。
左がうらら、右がはなちゃん
* * *
17年前、旦那と2人、集合住宅に住んでいたころ
夜会社からの帰りに出会った、ゴミ集積所で生ゴミをあさっていた痩せた白黒ネコ
それが、彼女でした。
ガリガリに痩せて、おまけに妊娠していました。
声をかけたらついてきて、ありあわせの鶏肉をガツガツ食べました。
人に慣れていたから、捨てられたことは想像ができました。
翌日
彼女は、昨日とピッタリ同じ時間に部屋の前で待っていました。
次の日も次の日も、毎日待つようになりました。私も毎日猫缶を用意して帰るのが楽しみになりました。
この頃、ひとつ気づいたことが。
彼女(まだ名前がなかった)は尻尾にさわられるのをひどく嫌がり、
ちょっとさわっただけで、悲痛な声を出して怯えていたので
もしや、尻尾を引っ張るような虐待を受けていたのかも知れません。
その後、尻尾を触って嫌がらなくなるまでに、1年位かかったでしょうか。
ペット禁止の集合住宅。どんどん大きくなるお腹。
問題は山積でした。
でも、彼女を放り出そうとは露ほども思いませんでした。
部屋の中に猫がいるということにただ感動していました。