ルーツ&シューツ チルドレン大学

子どもの笑顔がいつまでも続きますように

情緒を落ち着かせるにはリズム

2011-07-31 16:39:38 | ルーツ&シューツとは

             


今、チルドレン大学の親子数組はテキサスで馬セミをやっているようです。

http://eigobon.weblogs.jp/yukikolunday/


http://www.being-spirited.com/


私も娘と参加させてもらいました。ほんとに楽しかった♪

あなたも親子で参加してみませんか?



さてさて、チルドレン大学ではボディ・マインド・スピリットという項目があり

身体は器のようなものでこれがしっかりしていないと何をいれようとしても

水がもれるごときに不都合が生じるというようなことを学ばせてもらいました。

そのため

□バランスのよい食事

□質のよい睡眠

□規則正しい生活

□適度な運動

などあたりまえのことを毎日のリズムとして組み込むことが大切ですね。




リズムといえば、うちの娘は寝るときに背中をトントンしてとせがみます。

人間は、規則正しいものを好む性質がDANレベルで植えこまれているのかもしれません。
(生命科学者柳澤桂子さんもそのようなことを言っています)

振りかえってみると私たち親は、どうやって寝かせてあげると子どもが落ち着くのか

経験的にか感覚的にちゃんと知っていましたね。

赤ちゃんを寝かせるのに背中を知らず知らずに、リズムよく

そっと叩いて寝かせてあげていたことでしょう。




朝に太陽が出て、夜に日が沈む。これも決まったリズムです。

心臓の音も同じリズム。

いつもお母さんが同じ時間に保育園に迎えにくる、

同じ時間にご飯を食べ、お風呂に入る、そして眠る

こういった毎日の生活のリズムこそが子どもの情緒を落ち着かせのでは

ないでしょうか。

ちなみにうちの娘は少し遅くお迎えにいっても

今日おそかった~なんてすぐに反応します。





私たちは身体の中にも体内時計というのを持っているそうです。

時差のある海外にいくと、変なときにお腹がすくのは体内時計がちゃんと働いている証拠です。

このリズムがいつもバラバラな子は、いつ何が起るのか予測ができずにいるため

不安になったり身体の調子が狂ってもおかしくありません。

幼少の時期には親が配慮しできるだけ毎日リズムのある生活を送るように心がけていきましょうね。

でも、あまり強迫的になるのもよくないかもしれませんね




ところで、馬に乗るとなぜリラックスするのか、、、

私は不思議でたまりませんでした。

あるとき、これは馬の走るリズムに秘密があるのではないか思うようになりました

どうなんでしょうね?



やっぱり大切ですね

2011-07-29 09:15:45 | ルーツ&シューツとは
チルドレン大学で子どもの英語教育については、母国語がとっても大切な

ことを叩きこまれました。

私たちは、日本国民ですものね。




私はそれほどたくさんの国に行ったわけではありませんが、

日本は、やっぱり素晴らしいものをたくさんもっているのだなと改めて思いました。

他国にあまり見られない日本の特徴は、静寂とか間、余韻、しじまといった

何か言葉にしようとしても言葉にならない空気感を捉えて表現することが特徴的だな

と思いました。

それに何事も仕事が丁寧。

特に、料理は素晴らしい~♪





世界と簡単に繋がれる今は、これらの日本の特性や良さをきちんと

表現して伝えていける能力が大切なのではないかなと思います。

あ・うんで他の国にも伝わるといいのですが、それはまず期待できないですものね。

ドイツに行ったときに、どのような人でも質問されたら雄弁に

自分の意見を表現していたことがとても印象的でした。

これは知識人はもとより貧困層の方たちでも、あるいは不良少年と呼ばれる青年であっても。

なんだかものすごく堂々としていて皆、雄弁なのです。




日本はどうでしょうね。

自分の考えをもっている人も多いのかもしれませんが、あまり言わないですよね。

日本では協調性といったものがとても重視されて、親が子どもに臨むこと

でもナンバーワンなんだそうです。

社会においても、協調性は人を採用するときの重要なキーポイントになっていますし、

だれも一人ではいきていけないのですから、必要な時に必要な人ときちんと協力できる

能力を身につけてることは大切だと思います。




でも、協調すること= 考えを持たない  

ではきっと きっと ない

ドイツのギムナジウムという学校(小学校~高校)では、論述やプレゼンなどをとても

重視していたんですね。他者に伝える技術をちゃんと習得するスキルがある。

ただのセンテンスを抜いたような暗記学習ではなく、立体的に理解することも重視して

いるようでした。

日本は、これからもっとこういうことを意識して頑張らないといけないなと思います。

学校教育もおそらくそういった方向に流れていると思いますが、それを待っていては

子どもは大きくなってしまいますね。


でも、実は、そのようなことをママが子どもにしてあげられるとしたら。
私は、この場でたくさんのことを学ばせてもらった一人です。
夏休みは実践するチャンスかもしれませんね。

http://www.eigobon.com/childrensuniversity/20110701kinen.html




自分の考えをもちつつ、発言したくなければ発言しないということも必要なことです。

でも、伝える必要があるときにきちんと表現できるスキルを持っている方が

人生楽しくないですか。

ワタシは話しベタなので、すごくもどかしく思うときがあります。

頭の中では色々と渦巻いているのに、口でふんずまってる感じなのです(笑)





また、自分の意見と他者の意見が違う場合も当然あります。

それは当然のことであって、それがいけないということでは全くなく

逆にぴったりいつも同じという方が不自然かもしれません。

自分も大切にするけれど、相手も大切にできる

自分の意見ばかりで、相手の意見を尊重しなければただの我がままに。

その逆も、なんだかつまらないですね。

自分も相手も大切にする姿勢が社会にもっと広がっていくといいなと思います。

それには、まず自分から心がけていきたいと思います。


P.S
ワタシが尊敬する日本画家の東山魁夷
図書館にDVD発見!ドイツにも留学してたのですよ。

唐招提寺の絵。。。いつの日か拝見できる日がきますように

http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/about/03_02_01.html








そういうことだったのか

2011-07-23 15:16:54 | ルーツ&シューツとは
イソップ物語は、チルドレン大学の中でおなじみのものです。

うちは日本語の本もとりそろえてよく読んでいるのですが、

なぜか、うさぎとかめ を読むのを嫌がるのです。

これがうちの、七不思議だったのですが、

この謎がやっと解けました。

それは、、、、、



うちの本の挿絵のウサギの服が赤で = おんなのこ 

カメの服はブルー = おとこの子 

と認識していたため、

ウサギ = 女の子 = 自分 で

いつも負けたような気になってしまったようです。

読むのをいやがっていた理由を聞くと

「まけるから嫌」と言っていたはこういうことだったのね。。。。

うーーーーん、納得だけど、あきれてしまいました。






そこで、おもいついて

んじゃ、カメさんを自分だと思ってごらん。

といってカメのところに娘の名前を入れてお話をしてあげました。

ちょーーーーごきげんな娘

た、たんじゅんすぎます。




ところで

カメってウサギを起こさないで密かに勝つなんてなかなかせこいよね

そう思わない?と私。

うさぎのようなヤツには、一回、いじめられてるだけでなくて意志を見せて

改心させたほうがいいと夫。

でも、カメがしたことは、ウサギと同じことなんじゃない?改心させるなら、

起こしてあげたほうが、そういう気持ちになるんじゃない?

と イソップ物語で熱い議論になってしまう我家

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

娘が初めて書いた詩です。くるりんぱ。。。ダチョウ倶楽部ですか?と皆で大笑い




そういえば、一番の仲よしのお友達がもうすぐお誕生日。プレゼントを娘と作ります




















21世紀の早期教育について NO2

2011-07-21 08:43:46 | ルーツ&シューツとは
前回は、マミーことランディー由紀子さんの出版した

子育ての魔法の杖を読んで、触発されたことを書いてみました。

ビジョンについて若干異なる思いを持っているといいました。

でも、単に自分の考えが異なるというだけであり、そのこと以上に意味はありません。

ご存じのとおり、このブログのタイトルにはチルドレン大学というものが副題として

掲載されていますので、私の立場としてはチルドレン大学を皆さまに推奨し、

実践しているものとしてご理解いただけると有難いなと思っています。



少し視点を変えてこんなものを読んでみませんか?

夏目漱石「私の個人主義」というのをご存じですか?

これは、今の時代でも様々な示唆を与えてくれる内容かと思います。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html




第2編で、権力や金力についても語られていますね。

これらを道具と評していますがこの道具を持つということは、

他者の頭に自分の個性を押しつけることになる危険性があると述べています。

(抜粋)
ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍(ぺん)云い換(か)えると、この三者を自由に享(う)け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他(ひと)を妨害する、権力を用いようとすると、濫用(らんよう)に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。ずいぶん危険な現象を呈(てい)するに至るのです。そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。

と述べています。



早期教育を施すということは、もしかしたら子どもを将来においてこういったことに

接近しやすくさせるということでもあるかもしれませんよね。

この三者を自由に享(う)け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける

必要が起って来るとのことですが、この人格形成を考えなくして子どもに様々な知識を与えることは

とても危険なことと言えるのではないでしょうか。

漱石の文にて国家のためにと連呼する方々と同様、社会貢献できる子どもをと連呼することには

いささか抵抗・葛藤がありますが、それでもやはりその視点は大切だと思っています。





ズーラシアンブラス。。。。娘はやっぱりビビってたそうです






21世紀の早期教育

2011-07-15 11:59:03 | ルーツ&シューツとは
マミーこと、ランディー由紀子さん"子育ての魔法の杖”がようやく昨日届き

先ほど読み終えました。



私が読んでいると、娘がトコトコやってきて興味を示し表紙をみて

「なに~これ、魔法使ってるの?この子たちかわいい。この子口がないね。

なんでだろうね~」

と、いつもながら思いもよらない細かい指摘をしてくれました。

ほんとだ、たしかにこの子だけなんで口がないんだろう???


まさか。。。。。。口を書き忘れちゃった?


んなわけはないでしょう。




口のある子は、既に子育ての魔法の杖が振られてノビノビと動きまわっていて

「口のない子は僕にも振ってよ」と一生懸命訴えている

子どもは何も言わないけれど、お母さんに一生懸命「ボクに魔法の杖を

振ってよ~」と身体全体で表している。

私の妄想があっているかはわかりませんが、きっと挿絵一つにも

何かのメッセージが込められているのだと思います。

とっても綺麗な色の表紙でオシャレでいいなと思いました。




早く中味にいきなさいって感じですが、内容はチルドレン大学に入学された方は

特に目新しいことはなかったかと思います。

私はチルドレン大学のコンテンツ、ブログを何百回とよみましたので

(ほんまかいな)←このようなボケと突っ込みが盛りだくさんの内容になっています。

初めて読む人は、少々ぶっとんでしまうかもしれませんが

内容はいたって真面目で子育てにとどまらずとても深い内容になっていると思います。




読みすすめていくうちに不覚にも涙が出そうになった箇所がありました。

”人間として生きている”の節の馬のサニーと犬のマーヤの話しのところです。

「生きようと」いう気持ちがあれば、動物でさえも道が開けていくという

動物たちの真髄な生きざまが目に浮かぶようで、何かジーンときてしまったのです。



これ何かわかります?蓮の花托です。ふしぎですよね。。。ハスの花って


さて、この本にも書いてあるチルドレン大学においての

子どもを育てるビジョンについては、私は若干違うビジョンを持っています。

”社会に貢献する子どもを育てよう”という言葉にいつも私は

違和感を感じてしまうわけです。

これは、きっと私の感性の問題なのだと思います。




生命科学者の柳澤桂子さんの「生命の秘密」の本を読んでいたときにこういうことか

と腑に落ちたことがありました。この本のいかに生きるべきかという章で

橋本 凝胤「人間の生きがいとは何か」の引用がされています。

橋本 凝胤は、法相宗の僧侶で仏教学者で「20世紀最後の怪僧」「昭和の怪僧」など

の異名を持つ方らしく相当変わった方のようです。

「人間性とはいかなるものであるか。われわれは人のために生きているのではない。

社会のためにでも世界のためにでも、世界人類のためにいきているわけでもない。

それを世界人類のために生きているような考え方をもたなければならぬように訓練されていきている

わけです。よく人道主義、ヒューマニズムということをいいます。これは人間と共に暮らすときの人間の道を

説いているのです。つまり、人間生活のひとつのルールを考えるのが人道主義です。

しかしこういうものに、われわれは左右されてはいけないのです。

いつでも一人のときに、一人の生活の中に、未知というものが毅然となければならないのです」

「最高価値の生活、つまりモスト・バリアブルな生活ということです。もっとも価値ある生活

をする。このもっとも価値ある生活を涅槃といい、静寂といいます」




彼女は、これらの様々な文献から照らしあわせて、生きがいに対し

「生きがいなどというのはまだ世俗に未練のある人が求めるものであって、

成熟しきった人はそのようなものは求めない。野に咲く一輪の花のように静かである。

野の花のように無心にいきられること、生きがいなどという欲にとらわれず、自分を持していくこと

が私の望みであるが、大変むずかしいことであると思っている、と締めくくっています。



私にとっては「社会に貢献する子を育てる」というのはこの”生きがい”を語るときの違和感と

同質のものです。「社会に貢献する子を育てる」

ということは、論理的にはいえば社会に貢献をしない人がいるという

ことが前提なわけですよね。でも、私は

「社会に貢献していない人は一人としていない」と思うわけです。

身体の機能に一つとして無駄がないように、宇宙規模で考えるとどのようなかたちであれ

必然性があってそこにいたっているなどと考えてみるわけです。

ただ、多くの人が団結していくためには皆が理解しやすいスローガンが

必要であるのも頷けますし、バスや電車の中でお年寄りが立っていても澄ました顔で

座っている若者や、自分のことしか考えていない人をみると蹴飛ばしたくもなります。

利己的な人間に至らず広い視点にたって子育てをするという意味においては

このスローガンは武道でいう”型”のようなもので子育てをするうえでは

とても意味のあるものなのかもしれません。



こんなふうに、まったく天邪鬼としかいいようのないことを

並べたててしまいましたが、

何事も鵜呑みにせず自分の頭で思考するクリティカルシンキングについてなど、

ママが発想のパラダイムシフトするきっかけとして、読み応えのある一冊になるでのは

ないかと思います。



キャンペーンも始まっているようです。

http://www.eigobon.com/childrensuniversity/20110701kinen.html






論理と感性

2011-07-08 06:42:12 | ルーツ&シューツとは

子どもを育てるときに「論理と感性」これらの視点をバランスよく

とりいれられないかなということが、私の今、課題であり考えていることだったりします。

けれど、感性を育てるのに

「絵」を書いたから、「音楽」を習ったから感性が磨けるのか?

といったら、そう簡単なことでもないような気がしています。

感性というと見えにくいものだけに、どうやって養っていったらよいかということは

なかなか難しいことかもしれません。




辞書でこれらの言葉の定義をみてみますと。。。。

「論理」は

1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。
「―に飛躍がある」

2 事物の間にある法則的な連関。

と出てきます。


いっぽう、「感性」という言葉を引いてみると。。。。

1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」

2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。



この二つは全く別個のものなのかというと

実は、そうではないということは私は薄々感じていのですが上手く言葉にできなくて

このニュースレターの先生の言葉を読んで、自分のモヤモヤがすこしまとまった気がします。

こちら
http://www.carls.keio.ac.jp/issue/doc/newsletter14.pdf

ちょっと専門的知識が多いので難しいと思いますが・・・・

重要な部分を抜粋してみますね。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

知覚も含めて、人間の認知は結局、
ボトムアップとトップダウンのせめぎ合いで成立する。つまり、外部世界からの様々な情報を処理
すると同時に、既に持っている、知識、経験、そうしたものを統合してとりあえず出てきた結論、
それらの間を何度も行き来して、最終的な結論に至ると言った過程である。
「論理と感性」という
言い方をすると、両者があたかも対立する概念であるかのような印象を受ける。純粋な論理は、外
部からの雑音を遮断して成立するもの、純粋な感性は、知識、経験を抜きにした、入力への純粋な
反応といったところが一般的な理解かもしれない。しかし、どちらも、現実にはあり得ないように
思う。結局、どちらも、同じ認知過程の多少のバイアス、もっと極端には、同じものの切り口の違
いかなという気もする。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

つまり、簡単にいえば、理論と感性というものは独立したものではなく

切り口は違えども、お互いにシーソーのようにあっちにいったり、こっちにいったりして

ユラユラしながら、一定になったところである結論が定まってくるの繰り返しというイメージでしょうか。



自分だけの主観的な考えに留まらず様々な見方があることを

学ぶことによって視野が広がり、論理的に考えることがしやすくなります。

そして、そこには「感性」という切り口が誰でも多かれ少なかれ関与しているはずです。

同じものをみても、表面的にしか捉えられない場合や、いっぽう、は~とため息が出る程「深い考え方」

「深い表現」ができる人っていますが、

それは「理論と感性」のバランスや総合力が飛びぬけて高い人なのかもしれません。

私のような凡人は、なかなかその域には到達できませんがそれでも

人は成長していけるのではないかと思っていますし、子どもに対しても

そのような観点から関わることは可能なのではないかなと思っています。




感性の重要性は、なんとなくわかったけれど

どうやって養っていったらよいものなのか・・・・・

悩ましいところではありますが、

私なりに気をつけている部分があるのでそのことをまた改めて

書いてみようと思います。

子育てにおいて考える「きっかけ」として読んでもらえたら嬉しいなと思います。


あめんぼを久しぶりにみました。昔を思い出します。優雅ですねぇ

はじめてのこと

2011-07-01 10:17:16 | ルーツ&シューツとは
7月スタートになりました。

毎日、あつくて、あつくてたまりませんね。

節電とかいっても、やっぱりクーラーを使ってしまいます。

使わないと節電の前に、死んでしまいそーです。

私たちにとっては、はじめての厳しい夏になりますね。

寝るときに必需品が氷まくら。本当に寝やすくなりますよ。

簾とか、水うちとか、緑のカーテンとか、うちわなど

昔の人が工夫していたことも真似してみようと思います。


こんな本をよんであげると、子どもはすぐにさむくなるようですよ
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そういえば、今日、マミーことランディー由紀子さんの本が発売

http://blog.livedoor.jp/tamakokko/archives/51272164.html

個人的にとってもうれしい♪

また、読んだら感想かきますね。



はじめてのことといえば、今年は、個人的にアメリカにいきます。

娘といとこをご対面させるために。

30になるまで飛行機にもろくに乗ったことがない私。

はじめ、テキサスに行く時は他のママたちと一緒でも鼻血が

出そうなくらい興奮気味でしたが、

今回は、本当に娘と二人で旅立ちます。





はじめてやることって勇気がいります。すごく疲れます。

いまどき、海外に行くのにビビるなんてと思われると思いますが、

私にとっては結構なチャレンジなのです。

頑張ってみますね♪