どうでもいい四百字 第二中間貯蔵施設

どうでもいい四百字 3284

この世に神も仏も無いものかと思ってしまう。もしおられるなら、哀れな私にお恵みと傲岸不遜な私に神罰の両方を食らわせている筈である。もしかするとその両者を相殺してからお与え下さるから今が有るのかも知れないし、それなら何となく納得がいく。しかし個人的体験が証明に使えないのは自明の理である。再現可能性が皆無とは言わないが、相当困難だからである。存在の客観的継続的な観測が可能でない限り、居る・居ないのいずれであっても断言するのは科学的意見ではない(個人の感想です)。結局の所、自然科学とはこの世界の分かるものと分からないものを弁別し、後者の範囲をじりじりと狭める営みである。分からないものは決して無くならないと分かっていても止められない、業の深い人間の営みである。そこに或る種の信仰さえ感じる。縋りつく事で心の安寧が得られるなら、神仏やヒッグス粒子は、存在問題とは無関係に必要なのである(個人の感想です)。

コメントを投稿するにはgooブログのログインが必要です。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「時間の無駄」カテゴリーもっと見る