閑居無線

趣味のアマチュア無線・電子工作など

NHK放送博物館と愛宕山 を訪問

2016-08-26 14:51:31 | 旅行

 今年もハムフェア(アマチュア無線家のお祭り)の参加を兼ねて東京散策です。
出掛けに早速つまづきました。予定の新幹線に乗り遅れでロス。なんだか幸先が悪いです。
 まず昨年はリニューアル中で仮の縮小展示でしか見られなかったNHK放送博物館です。
リニューアルが完了した愛宕山の博物館を見学です。


 東京駅から地下鉄で神谷駅。スマホの道案内で100mほどのトンネルを抜けると道横にエレベータが。健康のためには階段でしょうが、「せっかく用意しているんだから」
とエレベータで。


 館内に入場すると早速クラッシックなスピーカやらラジオが。
2階では8Kシアターでオンピックの画像が大スクリーンに。実に綺麗と感心。東京オリンピックの頃には電気屋さんの店頭に8Kのテレビが並ぶのでしょう。
 その横は模擬スタジオやクロマキ体験が。比較的空いている時間のため説明員さんにつかまりました。ブルーのバックを背景にカメラの前に立ってモニタを覗くと全く別空間にトリップしたような画面の中に私がいます。
「昔と比べると輪郭の不自然さが全く無いですね」と答えると、私と同年代と思われる説明員さんは「なにか関係のお仕事をやられているのですか?」とのお話し。
「放送技術ではないのですが、映像伝送には昔5年ほど関わりました。アナログですが。NHKさんにもお世話になりました」とお話しすると「それはそれは」としばし技術のお話しを。30数年前のことです。NHKや民放の全国中継網の4GHzマイクロシステムの設備保守やオペレーションを担当しました。その後は光ファイバでデジタル化されました。映像の品質は格段の差があります。

古い技術のお話しができるのも楽しみのひとつです。

  説明員さんから是非とも3階のヒストリーゾーンには立ち寄ってくださいとのこと。
ラジオ放送の黎明期から制作番組と放送技術が順番に展示説明されています。

◆”玉音盤”  数日前にテレビで放送された映画「日本の一番長い日」で出てくる”玉音盤”が展示されています。昭和天皇が終戦を国民に伝える録音時間約5分間のレコード盤です。
 訪問前に調べていたのですが、昭和20年8月14日に録音されたレコード盤は2回録音されたようです。この博物館で展示されているものは1回目に録音されたものです。ちなみに実際に当日放送されたのは、2回目の録音のものだそうです。
と言っても本物には間違いありません。温度湿度の管理された容器に入れられて展示されています。

「ひょっこりひょうたん島」 昨年の渋谷のNHK放送センタを訪問した内容のブログ写真と同じになりました。

 ヘエーと思うようなものが展示されています。 

◆”でんすけ”  街頭録音用の肩掛型のテープレコーダのことだというのは知っていました。
ただなぜ”でんすけ”(伝助?)と呼ぶのかは??でした。○○伝助氏が開発したとか勝手に思っていたのですが、新聞の漫画の主人公から付けられたのだとか。ヘエー

◆”2インチVTR”  テープ幅50ミリのオープンリールテープの録画機です。当然プロ仕様です。初めて見ました。初期の頃のテープの映像編集は現像液を塗って(絵が出るわけではありません。録画されて磁化された部分を確認する)カッターで切り取って、継ぎはぎをして編集したそうです。映画フィルムの編集みたいです。ヘエー 今ではノートPCのハードディスクに取り込んでノンリニア編集が素人でもできますが。

◆”二ポー円盤と「イ」の字”  昭和元年に高柳健次郎さんが「イ」の字をブラウン管に映し出した実験装置が再現されていました。世界で初めてブラウン管によるテレビ電送の実験だったそうです。走査線40本だったそうです。1000倍の8Kテレビの原点にお目にかかることができました。

◆”A型衛星、B型衛星”  は全く知らなかったものです。衛星試作機の模型です。
昭和40年代初めにNHKで放送用衛星を試作したそうです。数十kグラム程度の小型で実験予定だったようですが、上げるためのロケットが無く終わったようです。
日本の衛星打ち上げ成功は昭和40年代半ばで衛星「おおすみ」です。こんな早くから放送衛星の実験を計画していたことに、ヘエーです。

◆”富田勲さんが昭和40年代に個人輸入したシンセサイザー”   富田さんが今年亡くなり特別展示されていました。アメリカから輸入したが税関に楽器と認識されず通関がなかなかできなかったエピソードが、追悼の番組で語られていました。また実際に音が出るまでかなり時間がかかったとのことです。電子音楽の先駆者です。
といっても私が冨田勲を知ったのは、NHKのドキュメンタリー「新日本紀行」テーマ曲です。多分小中学生のころだったと思うのですが。あの曲がが流れると懐かしく心が落ち着きますね。

 他にも興味ある放送機器がたくさん展示されています。
ただ残念だったのは、館内の展示物の撮影は禁止されていたことです。ということでこのブログも展示物の写真無しです。

「おかあさんといっしょ にこにこ、ぷん」だそうです(調べました)


 2時間近く見学しました。
東京タワーも直近です。興味ある方は是非」立ち寄られてはと思います。

 放送博物館は愛宕山にあります。愛宕神社に参拝しました。
関西人は愛宕山というと京都盆地の北西の高い山で、防火、家内安全の愛宕神社です。
私も中学生(?)の頃にお参りしたことがあります。また上方落語「愛宕山」は有名です。
 東京の愛宕山は、やはり防火の神様です。帰ってから調べてみると、山の高さは数十mということですが東京23区内で自然にできた山では、最も高いそうです。


 境内を散策、本殿にもお参りしました。結構観光される方も多いようですしサラリーマンの方も散歩コースなのでしょうか見かけました。


 木々に囲まれた大きな池もあります。涼しく汗も引いていきます。 この池の水はどこから??などと思いながら散歩していると、長い石段が下に延びています。結構急峻です。
でも登って来られる方もみえますが・・・   降りるのはパス。即決しました。
 帰ってからネットで調べていると、この階段を馬で登った人が何人かいたと書かれています。「とても馬なんかで登れるわけが無い。人は登る気はあっても、馬は登る気にはならんやろう」と思ったのですが、徳川家光の頃に登った人がいたとのこと。

へえー
近年で成功したのはテレビ番組でトライして登った方もいるようです。
お馬ちゃんエライ!!

 家光は、登った曲垣(マガキ)平九郎に褒美を与えたとのことで「出世の石段」と呼ばれるようになったとのこと。この話し、実は学生の頃に落語で聞いたことを思い出しました。
落語を聞くのが好きだったこともあり、多分ラジオを録音して何回か聞いています。しかし今回調べてみると記憶違いで落語でなく講談だったようです。

 別坂を降りましたが、これが失敗。神谷町駅までスマホ道案内で歩きだしたのですが、廻り道が迷い道で余計な迂回をしてしまいました。
スマホナビを使うのは初めてではないのですが、全く初めての土地を散策するのに使うのは初めてです。スマホに対して独り言が出てしまいました。
 愛宕山で時間をくったりで東京タワー訪問の予定は諦めて、駅付近で親子丼の食事をし
柴又へ

「寅さん 柴又へ」 に続く

 

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「前向き駐車」というのは??

2016-08-26 13:39:56 | 日記

 7か月ぶりのブログ再開です。 意味があって中断していたのでは無いのですが。 再開します。

 無線ネタからの再開ではありません。
 ある施設(近隣市の歴史博物館)を見学したのですが、駐車場に写真のような立札がありました。


「前向駐車」とあります。さてどちら向きが前なのか?・・?? 
土日曜でなく施設の訪問者は少ないようで広い駐車場に数台が駐車です。向きはバラバラに止められています。
 私は取り敢えず車止めを後ろにして止めました。
別にこの駐車で問題があった訳では無いのですが、気になりました。
コンビニ駐車場でも書かれていることがあります。車の排気ガスやヘッドライトの光、エンジン音などが周辺の住宅に迷惑がかかることもあり駐車向きをお願いしているようです。
でもこちらの施設は、そのどちらも当てはまらないようです。周りに民家等も有りませんし。 

 で帰宅して友人との雑談で話題にすると、私の止めた方向は間違っているのではとの主張。
結局ネットで検索してみると、友人が正解でした。
つまり「前向き駐車」=「前進駐車」のようです。そのまま前進で入るのが「前向き駐車」のようです。
 この写真を撮った時は気づかなかったのですが、もう一度写真の立札の下を見てみると縁石が砕かれています。
バックで入った車が車止めの間を車輪が通り停止できず後ろの縁石を壊したのではと推測しました。
施設側はこのようなことが無いように前向駐車の札を壊れた箇所に立てたのかもしれません。
 通常は後進駐車するのが多いと思います。出発時の危険度合いが低いかなと思いますし、前進駐車は内輪差の関係で綺麗に停めるのは難しいかもしれません。

 まあ、こんなツマラナイこと?でもネットで検索すると出てくるのには「イヤー凄くなったものだ」と思います。
それとこんなツマラナイ話しでディスクの容量を使うことができることもですね。

では

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湖東地方、初積雪です

2016-01-20 15:50:42 | 日記

 今年も相変わらず、ブログをサボっています。

 今日は、今冬初めての積雪です。

 この時期、例年では既に何回かの積雪があるのが普通です。
雪が降るのも12月にチラホラが一度だけだったようです。(初雪は短時間だったようで私は見ていません)


 昼過ぎには降るのが収まってきましたので、雪掻きをしました。 30分ほどで玄関付近とガレージ前、家前の道路の地面が見えるようになりました。 上着無し(2枚着ただけ)でも汗をかいてしまいました。 体を動かすことが好きでない私にとっては、良い運動になりました。

 およそ15cmほど積もったようです。

 昨年まではサラリーマンでしので、いつもより早起きして出勤時間を早めたりでしたが、今冬は「雪の中の通勤ご苦労様です」という気分です。
 大阪勤務が長かったのですが、朝出社して「今日は20センチや」などと言うと、大阪の同僚から「そんなに話を大きくしなくても。3、4センチでしょ」などと言われました。 大阪は晴天なのですから、まあ仕方がないのですが。

 今日は、製作中のトランシーバ受信部の144MHzアンプを設計し直しています。
ここ2日ほど悩んでいた現象がようやく分かりました。 内容は別にアップします。

 

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映画「富士山頂」を見ました(富士山レーダー) その3

2015-12-31 20:06:08 | 映画

その2より

<電波検査>
 映画版では、主人公(裕次郎)の技術者がレーダ設置後に設備室内でノートに数式を書いています。「レーダの方程式です」と言っていますのでDVD画面をストップしました。ぼやけていて確かではないのですが教科書で出てくるレーダー方程式ではないような気がします.
 下の式はレーダー方程式です。 (国家試験なんかでもおなじみ?)

 RFワールドに一般のレーダ方程式の他に雨滴などを考慮したものが記載されています。映画では電波検査を控えて事前勉強している場面です。

 台風が日本列島に接近していることから、電波監理局(現在の総務省総通局)の電波検査を受ける前に、レーダー電波の発射を気象庁の藤原課長に迫り実行するシーンがあります。気象庁の上司は「電波庁には私が言い訳する」と違反覚悟の決断をして裕次郎がスイッチオンして電波が発射されるのですが。
 しかし実際には、この時点では時期的に予備免許が下りており試験電波の発射は可能かと思うのですが。??です。
 もっとも業務に利用してしまってはダメなのでしょうが。(レーダー画像を見て予報してはダメ??)

 小説では、電波検査を前に電波管理局との折衝や電波検査の模様も詳しく描かれています。
気象庁や技術者たちは、”電波管理局検査官が山頂で高山病になれば、検査内容が緩くなるのでは”と期待したが、3人とも若くてすぐに順応して・・などが面白く書かれています。
 私も何回か仕事で検査を受けたのですが、若い検査官は舐められてはと思われるのか結構細かく聞かれます。大概は、もう一人の方は年上で淡々と進みます。一度だけ衛星地球局のスプリアスの測定でうまくゆかず、検査官側から「昼からもう一度しましょう」と言われ蒼白になったことがあります。なんとか再測定でクリアできて合格を貰った後、上司にからかわれたのを覚えています。

 気象庁の無線局であり三菱電機社員の裕次郎は、無線従事者として選任されていないため技術操作はできないので、違反が描かれていると思ったのですが、小説内では検査の受検をメーカ技術者が対応していることから、選任されていたのでしょう。
 実際の検査は選任について無線従事者免許証と照合されます。

アマチュア無線局の免許状です。(プロの無線局の免許状もそれほど変わらなかった記憶がありますが)



 いろいろ映画などに突っ込むことも無線家ならではの楽しみです。(少々ひねくれています)
この富士山レーダー局は実用化試験局として免許されて、その後に実用局(陸上局なのか??)になったようです。 

<台風接近>
 ところで、この映画での接近する台風の風雨にドームが耐える内容ですが、”台風18号が接近し富士山を通過”とあります。
 ということで昭和39年(1964年)の台風18号を調べました。気象庁のデータベースで検索できます。
結果は、これはデタラメです。この台風は日本の遥か南を大陸に向かっています。22号が9月24、25日に九州~近畿~東北を通過していますがこの年に上陸し富士山に接近の台風はありませんでした。
富士山付近を通過したのは翌昭和40年の台風17号のようです。
 ドームは完全だった耐えたと裕次郎は伝えますが、小説にはレドームの漏水の模様が書かれています。この辺はまあ映画ですからと気にしないのですが。

 この映画は、大きな情緒的なところも無く淡々と見られ、技術者や物づくりを称える内容には称賛しますが、少し残念なのは気象庁の話しですし気象に関する嘘を無理に描かなくてもと思います。

 この富士山レーダは、気象衛星ひまわりが運用されたこともあり、1999年に役目を終わりました。最高峰に設置した広範囲レーダとしてIEEEのマイルストーンの電子電気技術遺産に登録されました。今は富士吉田市に移設展示されているようです。来年訪問してみようかと思っています。

 今年最後のブログをご覧いただき有難うございました。来年はサボらないようにします。
良いお年をお迎えください。

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映画「富士山頂」を見ました(富士山レーダー) その2

2015-12-31 19:42:23 | 映画

その1より

<レーダ建設の受注会社>
 小説の中では受注会社名は別名で書かれています。小説では摂津電機、東成建設で、映画内では三菱電機、大成建設と実名が出ています。これは、この映画が両社の大バックアップで製作されているためでしょう。映画内には何回となく三菱マークのロゴが登場します。(これは後にテレビドラマの西武警察などを作った石原プロが手掛けたスポンサータイアップの先駆けだったのでしょう)
 ヘリコプターでレドーム(レーダアンテナを風雪がら守るドーム)を運ぶシーンには、富士山(と思われる)に3機のヘリを飛ばしています。実際は映画撮影のヘリがありますから、4機です。朝日ヘリコプタ社の協力です。

 またレーダ建物の建設には、本物のブルドーザが何台も登場します。三菱重工製でしょう。
建設作業員が作業するシーンでは、自然さがありますので本職の人達が参加しているのかと思います。撮影セットを含めものすごくお金が掛かっている映画です。

 小説は、気象庁の葛木課長(芦田伸介)が主人公ですが映画ではスポンサーの三菱電機技術者(石原裕次郎)が主人公です。
 登場する俳優さんは大物がずらりと出ています。半分以上の方はもうお亡くなりになっていて懐かしいものです。
 若い人がこの映画を見ても大半は分からないでしょう。

<新田次郎>
 ところで、気象庁側の責任者(映画では葛木)は、小説の著者の新田次郎(本名:藤原寛人)なのです。実際の仕事を書いている訳です。これは小説を読んでから何年後かに知りました。
 技術屋さんであったのでしょう。無線電信講習所(現在の電気通信大学の前身)を卒業とのことで、モールス符号などもわかるかただったのかもしれません。アマチュア無線家としては親しみがわきます。
 余談ですが、子息は、10年ほど前に「国家の品格」でベストセラー作家、数学者の藤原正彦さんです。

<技術内容>
 CQ出版社の無線技術誌「RFワールド」No18に富士山レーダ建設記が書かれています。 

 気象庁への回線のマイクロ中継機は実際に動かすと高圧回路が故障したそうです。増幅する進行波管の高圧(おそらく2000~3000ボルト程度)が空気が薄い(0.6気圧)ためスパークして故障したと書かれています。当時はそんな高所で使用することは無かったため減圧試験なども無かったようです。
 2880MHzの超ハイパワーのレーダ波は導波管で5m径のパラボラに供給されます。一般のマイクロ中継用の導波管には湿気の侵入を抑えるため少し圧力の掛かった乾燥空気を常にかけていますが、富士山レーダではスパークを防ぐため常時2気圧を掛けていたとのことです。

 レーダ本体の出力管はマグネトロン(2880MHz、1500kW)ですが、実際の運用に入ってから50時間ほどで寿命になる現象が発生したようです。予定寿命は500時間以上だったようです。このマグネトロンは三菱電機の発注で新日本無線(JRC)が納入。(JRCは、アマチュア無線機を作っていましたし、オーディオ用のICでもなじみが有ります)
 故障品、代替品を山頂と工場間でピストン輸送したそうです(書かれている内容からすると1か月で2回程度)。運んでくれる強力(ごうりき)さんが「なにやってるんだ、不良品ばかり作りやがって 真面目にやれ」と新日本無線の担当者に怒鳴り、言い合いになったとエピソードが書かれています。2年くらいかかりカソードを改良し解決したことことです。この辺は映画には描かれていません。
ちなみにマグネトロンは電子レンジに使われています。レーダーで使われるものは巨大化したものです。

 レーダ波の受信部のアンプは単体の雑音指数(NF)2.8dBだったとのことです。当時の低雑音アンプはパラメトリックアンプです。現在はガリヒ素系のFETで、私が10年ほど前に製作した2.4GHzのものは、単体で0.7dB でした。(少し自慢です)   今ではアマチュアでもはるかに高性能なものが作れます。

  RFワールド(CQ出版社) 季刊の無線技術雑誌です

<建設ホテルとのクリアランス>
 プロジェクトX内のエピソードに、大成建設のレーダ建設プロジェクトの現場責任者は1年目の夏場の山頂の仕事が終わり、東京のホテル建設を担当していたそうです。(10月になると雪等で山頂の仕事はできないため)
 大成建設が建設しているホテルが邪魔になると怒鳴り込できたというので聞いてみると、気象庁の藤原課長で、ホテルが高くなると富士山とのマイクロ回線が通らなくなるとのこと。
 高山病で悩まされて富士山レーダー建設から逃げたかった担当者は、これでは逃げられないと覚悟したとのエピソードが出てきます。幸いにもそれ以上高くならなかったそうです。(小説にものっています)

 プロジェクトX内では、そのホテルの具体名が書かれていません。ということで調べてみました。
ネット地図に富士山と気象庁間に直線を引き東京の主だったホテルを探してみました。(プロの世界では、専用のシステムがありますので簡単でしょうが。(もっとも最近は新たにマイクロ回線の新設ルートなど無いのでシステムは不明ですが)
 まあ少し時間がかかったのですが、判明しました。どうもホテルニューオオタニのようです。迎賓館の東側でしょうか。プロジェクトXのシルエット映像をみると外観もそのようです。完成時期も一致します。

 当時の電波法がどうだったのか分かりませんが、電波伝搬路保護という規定があり重要な固定間のマイクロ波回線は高層建物の建設によって伝搬路が遮へいされる場合は、2年間その建設を停止できるとの規定です。
 もし引っかかっていたら二ユーオオタニも迫っていた東京オリンピック開催に間に合わなかったかもしれません。もっともまだ、マイクロ回線が開通していない段階であればこの規定が適用されませんし、なによりホテル建設は東京オリンピックのために建設されたともいわれていますので折衝で逃げ道ができたのかもしれませんが。

 まだ光ファイバ網がこれほどなかった時代はマイクロ波回線が多かったのですが、その保守業務のひとつに駐車場注意というのがありました。駐車場は高いマンション等が立つ可能性があるから日頃から注意しておくということです。
 実際に、この保護規定は、あるマイクロ回線が放送局の新社屋建設時に引っ掛かることが分かり放送局建物の形状を変更したというのを聞いています。

その3に続く

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