閑居無線

趣味のアマチュア無線・電子工作など

NHK放送博物館と愛宕山 を訪問

2016-08-26 14:51:31 | 旅行

 今年もハムフェア(アマチュア無線家のお祭り)の参加を兼ねて東京散策です。
出掛けに早速つまづきました。予定の新幹線に乗り遅れでロス。なんだか幸先が悪いです。
 まず昨年はリニューアル中で仮の縮小展示でしか見られなかったNHK放送博物館です。
リニューアルが完了した愛宕山の博物館を見学です。


 東京駅から地下鉄で神谷駅。スマホの道案内で100mほどのトンネルを抜けると道横にエレベータが。健康のためには階段でしょうが、「せっかく用意しているんだから」
とエレベータで。


 館内に入場すると早速クラッシックなスピーカやらラジオが。
2階では8Kシアターでオンピックの画像が大スクリーンに。実に綺麗と感心。東京オリンピックの頃には電気屋さんの店頭に8Kのテレビが並ぶのでしょう。
 その横は模擬スタジオやクロマキ体験が。比較的空いている時間のため説明員さんにつかまりました。ブルーのバックを背景にカメラの前に立ってモニタを覗くと全く別空間にトリップしたような画面の中に私がいます。
「昔と比べると輪郭の不自然さが全く無いですね」と答えると、私と同年代と思われる説明員さんは「なにか関係のお仕事をやられているのですか?」とのお話し。
「放送技術ではないのですが、映像伝送には昔5年ほど関わりました。アナログですが。NHKさんにもお世話になりました」とお話しすると「それはそれは」としばし技術のお話しを。30数年前のことです。NHKや民放の全国中継網の4GHzマイクロシステムの設備保守やオペレーションを担当しました。その後は光ファイバでデジタル化されました。映像の品質は格段の差があります。

古い技術のお話しができるのも楽しみのひとつです。

  説明員さんから是非とも3階のヒストリーゾーンには立ち寄ってくださいとのこと。
ラジオ放送の黎明期から制作番組と放送技術が順番に展示説明されています。

◆”玉音盤”  数日前にテレビで放送された映画「日本の一番長い日」で出てくる”玉音盤”が展示されています。昭和天皇が終戦を国民に伝える録音時間約5分間のレコード盤です。
 訪問前に調べていたのですが、昭和20年8月14日に録音されたレコード盤は2回録音されたようです。この博物館で展示されているものは1回目に録音されたものです。ちなみに実際に当日放送されたのは、2回目の録音のものだそうです。
と言っても本物には間違いありません。温度湿度の管理された容器に入れられて展示されています。

「ひょっこりひょうたん島」 昨年の渋谷のNHK放送センタを訪問した内容のブログ写真と同じになりました。

 ヘエーと思うようなものが展示されています。 

◆”でんすけ”  街頭録音用の肩掛型のテープレコーダのことだというのは知っていました。
ただなぜ”でんすけ”(伝助?)と呼ぶのかは??でした。○○伝助氏が開発したとか勝手に思っていたのですが、新聞の漫画の主人公から付けられたのだとか。ヘエー

◆”2インチVTR”  テープ幅50ミリのオープンリールテープの録画機です。当然プロ仕様です。初めて見ました。初期の頃のテープの映像編集は現像液を塗って(絵が出るわけではありません。録画されて磁化された部分を確認する)カッターで切り取って、継ぎはぎをして編集したそうです。映画フィルムの編集みたいです。ヘエー 今ではノートPCのハードディスクに取り込んでノンリニア編集が素人でもできますが。

◆”二ポー円盤と「イ」の字”  昭和元年に高柳健次郎さんが「イ」の字をブラウン管に映し出した実験装置が再現されていました。世界で初めてブラウン管によるテレビ電送の実験だったそうです。走査線40本だったそうです。1000倍の8Kテレビの原点にお目にかかることができました。

◆”A型衛星、B型衛星”  は全く知らなかったものです。衛星試作機の模型です。
昭和40年代初めにNHKで放送用衛星を試作したそうです。数十kグラム程度の小型で実験予定だったようですが、上げるためのロケットが無く終わったようです。
日本の衛星打ち上げ成功は昭和40年代半ばで衛星「おおすみ」です。こんな早くから放送衛星の実験を計画していたことに、ヘエーです。

◆”富田勲さんが昭和40年代に個人輸入したシンセサイザー”   富田さんが今年亡くなり特別展示されていました。アメリカから輸入したが税関に楽器と認識されず通関がなかなかできなかったエピソードが、追悼の番組で語られていました。また実際に音が出るまでかなり時間がかかったとのことです。電子音楽の先駆者です。
といっても私が冨田勲を知ったのは、NHKのドキュメンタリー「新日本紀行」テーマ曲です。多分小中学生のころだったと思うのですが。あの曲がが流れると懐かしく心が落ち着きますね。

 他にも興味ある放送機器がたくさん展示されています。
ただ残念だったのは、館内の展示物の撮影は禁止されていたことです。ということでこのブログも展示物の写真無しです。

「おかあさんといっしょ にこにこ、ぷん」だそうです(調べました)


 2時間近く見学しました。
東京タワーも直近です。興味ある方は是非」立ち寄られてはと思います。

 放送博物館は愛宕山にあります。愛宕神社に参拝しました。
関西人は愛宕山というと京都盆地の北西の高い山で、防火、家内安全の愛宕神社です。
私も中学生(?)の頃にお参りしたことがあります。また上方落語「愛宕山」は有名です。
 東京の愛宕山は、やはり防火の神様です。帰ってから調べてみると、山の高さは数十mということですが東京23区内で自然にできた山では、最も高いそうです。


 境内を散策、本殿にもお参りしました。結構観光される方も多いようですしサラリーマンの方も散歩コースなのでしょうか見かけました。


 木々に囲まれた大きな池もあります。涼しく汗も引いていきます。 この池の水はどこから??などと思いながら散歩していると、長い石段が下に延びています。結構急峻です。
でも登って来られる方もみえますが・・・   降りるのはパス。即決しました。
 帰ってからネットで調べていると、この階段を馬で登った人が何人かいたと書かれています。「とても馬なんかで登れるわけが無い。人は登る気はあっても、馬は登る気にはならんやろう」と思ったのですが、徳川家光の頃に登った人がいたとのこと。

へえー
近年で成功したのはテレビ番組でトライして登った方もいるようです。
お馬ちゃんエライ!!

 家光は、登った曲垣(マガキ)平九郎に褒美を与えたとのことで「出世の石段」と呼ばれるようになったとのこと。この話し、実は学生の頃に落語で聞いたことを思い出しました。
落語を聞くのが好きだったこともあり、多分ラジオを録音して何回か聞いています。しかし今回調べてみると記憶違いで落語でなく講談だったようです。

 別坂を降りましたが、これが失敗。神谷町駅までスマホ道案内で歩きだしたのですが、廻り道が迷い道で余計な迂回をしてしまいました。
スマホナビを使うのは初めてではないのですが、全く初めての土地を散策するのに使うのは初めてです。スマホに対して独り言が出てしまいました。
 愛宕山で時間をくったりで東京タワー訪問の予定は諦めて、駅付近で親子丼の食事をし
柴又へ

「寅さん 柴又へ」 に続く

 

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「西明寺」を拝観しました。

2015-11-21 11:45:19 | 旅行

 11月下旬ですが、昨日は暖かく紅葉散策に出掛けました。
近くでは湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)、永源寺などが有名です。
私の家からはどのお寺も車で15分です。永源寺、百済寺は何度も行っているのですが、西明寺、金剛輪寺はまだです。

 西明寺(さいみょうじ)に出掛けました。

不断桜 紅葉と桜の花が同時に見られました。

蓬莱庭 紅葉の赤の下の苔の緑が綺麗です。

三重塔 本堂とともに国宝です。
少しうんちくです。滋賀県の国宝、重要文化財の数は東京、京都、奈良につぎ4位だそうです。

 本堂内ではボランティアの方の楽しいお話しを聞くことができました。
比叡山の近くですので天台宗の寺院です。信長の焼き討ちに逢っているそうです。

 少し残念でした。
苔を踏みつけて記念撮影をされていました。私と同年代の方でした。芝生のように踏みつけても大丈夫と思っているのでしょうか。
もうひとつ
 百済寺は、”ひゃくさいじ”です。「次はクダラ寺だね」と話されているのを聞きました。確かに朝鮮半島の歴史では、”くだら”ですが。

 ちょうど見頃を楽しめました。

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東京散策してきました

2015-08-30 21:08:51 | 旅行

 先にブログに書いた(秋葉原、ハムフェア)とおり、8月20~22日東京を満喫?してきました。

その他の散策について書きます。

毎年ハムフェア(アマチュア無線家のお祭り)参加で、この時期に東京に行っています。ここ何年かは無線や電子工作外にも手を広げています。
20日 米原からこだま638で名古屋へ のぞみ112に乗り換え 東京駅10時43分着

☆ 今回は、皇居から散策です。なぜ皇居かというと、今年1月に中学校の同窓会を行いました。
 古いアルバム見ながら修学旅行の思い出をみんなで回想したのですが、この中に皇居二重橋での記念写真がありました。
ということで行ってみたくなりました。といっても二重橋が40数年後に大きく変わっているわけが無いのですが。
ほとんど東京駅丸の内側に出ることは無いのですが徒歩で。
”♪♪雨の外苑夜霧の日比谷♪♪”という歌は誰でしたっけ。島倉千代子さんの「東京だよおっかさん」も浮かびます(私は少し年代が違いますよ)
小雨でしたが、外苑には多くの人が来られています。修学旅行と違ったのは、見物客の半分以上(いやもっと)は外国の方です。ヨーロッパ系や多くのアジア系の人が記念撮影をされていました。

この夏は首相の「先の大戦のお詫び」が大きな話題でしたが、特に中国の方などは、この皇居は20数年前まで昭和天皇が住まわれていたという認識があって来られているのか?などとふと思ってしまいました。

☆ この後、桜田門へ廻りました。なぜ桜田門かというと地元滋賀の彦根藩の井伊直弼が1860年に暗殺されたところということで。

もっとも、事件の3月3日早朝は雪だったとのことで今の季節とは全く違うわけですが。そうだった、修学旅行の東京は3月というのに大雪だったのを思いだしました。
私と同じように説明看板を撮影される方をみました。「この人も滋賀県人かいな? 」「そんなことないはな」などと一人で突っ込みながら散策。
 刑事ドラマ好きの私には、桜田門といえば警視庁です。さらに無線好きの私としては、アンテナ鉄塔をパシャリ。(最近、パラボラがある鉄塔は少なくなりました)

☆ この後、渋谷のNHK放送センタへ
 昨年の夏は、調布の電気通信大学UECコミュニケーションミュージアムを見学しました。たくさんの通信関係装置等が展示される博物館です。JA1KGW青山OMに説明頂き感激しました。定年後は電気通信関係の博物館巡りをしようかと思ったのがきっかけです。
今年は愛宕山のNHK放送博物館を見学したかったのですが、リニューアルのため休館中で、一部の展示を渋谷でおこなっているとのこと。
☆ 渋谷ハチ公前からバスで。
 在阪の放送局は仕事で知っているのですが、さすがに天下のNHKの総本山、広~い 広~い。

ついでに「スタジオパーク」を見学。   高校野球中継でスタジオパークの生番組は無し。残念!
館内のレストランでカレーで昼食。

☆ その後、仮の博物館へ
 ラジオ、テレビの黎明期の放送機器や番組内容資料がこじんまり展示されていました。

私の子供の頃の懐かし番組といえば「ひょっこりひょうたん島」です。(もう一つはサンダーバードですね)

今でもテーマソングが歌えますよ。”♪♪波をちゃぷちゃぷかき分けて♪♪”
後で得た知識ですが、博士・中山千夏 トラヒゲ・熊倉一雄 サンデー先生・楠トシエ と声優さんの名前まで出てきます。ドンガバチョはJH1BAN藤村有弘さんでアクティブな無線家でした。
再放送は、テープなどがほとんど残っていないとかで不可能と聞いたことがあります。
当時も放送局にはVTR(多分2インチテープ)はあったのですが、テープが高価で使いまわしをしたため残っていないようです。
今だったら、当時よりもっと高品質なものが、全編を1、2万円で残せる(テラギガバイトのHD)のでしょうが。
でもやっぱり見てみたいですね、。

鉱石ラジオです。 ゲルマニウムラジオは作ったことがありますが。

ラジオ放送が始まった(大正末)頃は、ラジオを視聴するには国からの許可が必要だったそうです。
当時はまだ鉱石ラジオの時代で屋外に空中線(アンテナ)を張る必要があった時代です。聴取無線電話空中線設備に就ての注意書です。空中線を設置する時の注意事項が書かれています。(今のアマチュア無線にも通ずる内容もあります)

円盤録音機 終戦の玉音放送を録音した装置の同型機とのこと

先日も玉音放送の逸話のドラマがNHKで放送されました。どのように動くのか学芸員さんに聞きたかったのですが、いらっしゃらないようでした。
帰ってきてから調べると、この録音機のメーカーは後にデノン社となる会社だったそうです。

白黒テレビ受像機 左は、現シャープ製(私が生まれた年の製造)10数万円しただそうです。今に換算すると高級車くらい?
右は無線機メーカでもあるハリクラフターズ社(ハリクラ)製だそうです。

今年は仮展示場でしたが、年末には愛宕山にリニューアルオープンするそうです。来年はいきます。

☆ NHKから徒歩で明治神宮へ
 20数年前に竹の子族が流行って原宿が有名になった頃、一週間くらいの出張があり一度どんなところか覗いてみようと思い出掛けましたが、結局明治神宮だけ行きました。
なぜ原宿見物の予定が明治神宮になったのか覚えていません、森のなかを歩いた記憶はあるのですが、社殿にお参りした記憶もありません。
明治神宮の森は人工の森だったというテレビの番組を最近見たこともあり今回の散策ルートにしました。

百年近く前に植林されて原生林になった森の中の参道は涼しく感じられます。(帰ってから調べると、神宮の土地は元彦根藩井伊家の屋敷とのこと)
10数分歩くと本殿。皇居と同様に外国観光客の方が多いのも同様です。ここは、昭和天皇の祖父である明治天皇が祀られているのですが。
深く考えないで沢山の外国人が日本にお金を落としてくれると考えればよいのかもしれませんが・・・・・。
たくさんの絵馬が奉納されていますが、半分以上は外国語が書かれています。
不思議に思ったのは、おみくじが境内の木々に一枚も結ばれていません。帰ってから調べると明治神宮のおみくじは吉凶でなく、天皇が詠んだ和歌が書かれており持ち帰るものとのこと。
他が知らない知識です。少し賢くなったような・・

☆ 原宿から地下鉄で浅草のホテルへ
 宿は浅草寺の近くです。大提灯の前を通ると、観光人力車の車夫のお兄ちゃんが7,8人で客待ち(客引き)しています。
最近流行なのでしょうか?

☆ 宿にチェックイン。 夕食はラーメンとバナナ餃子(3個分くらいの大きさ)を。

☆ 翌日(8月21日)は、上野公園近辺を満喫。
 東京国立博物館へ。
今夏は「クレオパトラとエジプトの王妃展」が開催されています。結構おじさん、おばさんが来ています。

ヨーロッパの美術館が所蔵するエジプト美術品です。当のエジプト所蔵では無いのですが、結構大きなものもあります。
歴史好きでもないのですが、結構面白いです。 今までクレオパトラとローマ、シーザー、アントニウスの関わりが???だったのですが、少し分りました。
クレオパトラはローマ人なのかエジプト人なのかさえ分らなかったのです。
蛇足ですが、館内で音声ガイド端末を借りました。ガイド番号を入力すると、解説がヘッドホンから流れます。(声は戸田恵子さん)
最終のガイド内容は、クレオパトラが亡くなった時の夜空がスクリーンに映し出されるのですが、そのガイド番号は ”88”でした。
アマチュア無線をやられる方でしたら、ご存じでしょう。 このガイドを作成された方は、「無線家かな?」などとフト思いました。

☆ この後、本館の博物館を見学。
 ここで初めて本物の銅鐸を見ました。地元野洲市から出土したものです。地元の博物館はまだ行ったことが無いのですが。感激です。

☆ 昼からはお隣の国立科学博物館へ
 その前に昼食です。昨年は科学博物館内のレストランで食べたのですが、昼は長蛇の列でした。
これを避けて今回は時間をずらしたのですが、待ち列はやっぱり長い。結局夕方まで持ち越しです。(一食抜いてもその体形は変らんだろうと言われますが)
科学博物館の夏季の特別展示は、「生命大躍進」 NHKスペシャルでも放送されています。

少し話しから外れますが、この手のものはNHKでないとできません。金と時間のかけ方が違います。
同様の番組を民放が作っても内容が薄いうえ、CM後にCM前の内容がリピートでうんざりします。NHK嫌いの方もいますが、これは評価できます。
会場はクレオパトラより多くの入場者です。子供たちがメチャ多いです。ノートにメモを取っていたり。夏休みの宿題でしょう。頑張れ!   サンデー毎日の私にとっては、大昔のことです。
人が多くなかなか先に進めません。副題は「脊椎動物のたどった道」ですが、生命誕生からの展示ですので、ホモサピエンスに到達するまでがかなり長いです。

いずれも子供騙しのレベルでは無く、解説内容は結構レベルの高いものです。
少し驚いたのは、生命の大量絶滅が過去に5回もあったとのこと。三葉虫が突然消えたことや例の6500万年前の恐竜絶滅は知っているのですが。
地球の時が止まっているわけでは無いので次の大量絶滅は?となるわけですが。 「それは人間の営みにより現在進んでいると」いうようなことが述べられていました。
地球温暖化などもその一つなのでしょうか。節電しないハイパワーでの無線は生命の大量絶滅の一因になるのかも うーむ 考え過ぎですね。

☆ この後、秋葉原電気街を散策(別ブログに書いています)
 この日の夕食は、親子丼。 昼食無しだったため夜食にサンドイッチ。

☆ 寄席へ 20日、21日両日の夜は寄席を満喫しました。 

 実は、落語好きでもあります。
就職した頃、先輩が落語好きで桂米朝の独演会などに時々行っていました。暫く間があったのですが、十数年前に新宿の寄席末広亭に友人のJJ1OVU植村氏と一緒して関西にはない寄席(落語が主体の寄席)を見て気に入りました。
それから東京で夜が空いているときは寄席に行くことにしています。ということで宿は浅草や上野にすることが多いです。(それまでは神奈川平塚のOVU氏宅にお世話になることが多かったのですが)

☆ 20日は浅草演芸ホールです。
 夜の部の開演に少し遅れましたが、ほぼ最初から聞くことができました。林家正蔵(昔のこぶ平)を楽しみにしていたのですが、今日はお休み、残念。
寄席ではテレビなどでは聞けない枕噺や演目が聴ける(テレビでは出来ない内容)のも楽しみです。正蔵の弟の三平、漫談の林家ぺー、紙切りの正楽、などのテレビでお馴染みも楽しめました
☆ 翌21日は上野鈴本演芸場です。
 東京の寄席は落語協会と落語芸術協会の二つの団体が10日毎に交互に興業しています。
今回は、浅草演芸ホールの8月20日までは、芸術協会です。一方の鈴本は落語協会です。で21日からの10日間は反対になるわけです。
この仕組みは頭にあったのですが、20日は浅草、21日は鈴本にしてしまいました。結局、両日とも芸術協会となりました。
奇術などが同じ演者でした。しかし残念でもなかったです。内容は全く同じで無く、いろいろなネタを持っているんだなどと感心。
毎年はこの時期は怪談噺が聴けるのですが、今年はどちらの寄席も有りませんでした。これは残念でした。
今回のことでは無いのですが、春に大阪の常設寄席の天満天神繁昌亭に行きました。
その日のトリは桂きん枝さん。いろいろお騒がせされた方です。久し振りに聴いたのです。私だけがそう思ったのかもしれませんが、このきん枝さん結構うまいのです。
「きん枝がトリ?」と思っていたのですが。休まれたりしてその間に研鑽されたのでしょうか。余談でした。
話しは戻って鈴本演芸場のハネ太鼓(追い出し太鼓)です。演目が全て終わった時に鳴らされます。

来年はまだ行ったことのない池袋演芸場が楽しみです。

☆ 22日 お台場ビックサイトのハムフェアです。
 内容は別ブログに書きました。

夕食は書いていないので。
「特製幕の内御膳」 でした。(東京駅東海道新幹線の改札内売店で購入)

少し高い駅弁ですが、東京駅発ひかり523号の車内で頂きました。美味しかったです。

楽しい3日間でした。

では

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関ハム(関西アマチュア無線フェスティバル)道中記(7月12日台風通過後)

2015-07-20 21:26:46 | 旅行

 関ハム(関西アマチュア無線フェスティバル)について、先に書きましたがこの道中のことを書きます。

今年も関ハム自体はあまり変わりませんでしたが、今年はとんでも無い道中でした。台風11号通過後で、天気を心配しながらでしたが・・・ 
 朝8時前に出てJM3EYKを拾って最寄りのJR近江八幡駅へ。改札前に多くの人がいて??。  台風後の影響で京都~吹田間が運休とかのアナウンス。
「取りやめにするか、どうするか?」ですが「Go」を即断。 阪急京都線で迂回することに。
京都まで40分あまり。地下鉄で京都駅から四条まで。順調では無いですがここまではなんとか。

 阪急烏丸から十三経由宝塚線で石橋駅が大変でした。阪急も台風後の影響で本数間引き運転でしかも特急、急行無し。立ちながらラッシュ状態でしかも徐行。
私の横には大きなスーツケースが。押されてスーツケースに脚が押し付けられて痛いイタイ。ええいどないやねん!!。
石橋駅に着いたのが12時。家を出て4時間。「これじゃ家を出て東京まで行けてる」などとEYKと愚痴りながら会場へ。交通機関の影響か、会場は例年と比べて空いているようでした。

ジャンク漁りなどを楽しんだ後「帰りのJRの運転状況は?」 スマホで情報収集するもJRは同じ状態とか。
来た時のルートの阪急で烏丸駅までと話していたのですが、EYKが「新幹線で新大阪~京都という手がある」と提案。
うーむ、あの阪急の混雑よりはましかもということで、梅田(大阪駅)へ。

 大阪駅に着くと吹田~京都間が動き出したとかの表示。駅員に確認するもあやふやな返答ながら動きだす様子。
では新幹線でなくともということで、EYKは近江八幡まで在来線の切符を購入。(私はICOCAで改札)
ホームに上がるも、京都方面電車は停車状態で一向に動かずでラッシュ状態。
やっぱり新幹線を選択。(EYKは久しぶりの新幹線を楽しみたいたとか。私も座りたいし)
新大阪駅で東海道線を降車し新幹線特急券を購入の行列並びで、またまた時間が。自由席860円を追加。(もっと高いと思っていたのですが)
ようやく、のぞみに乗り込み。15分もかからないですが、「絶対眠らないように。失敗すれば名古屋」とお互いに言い聞かせて。
EYKは山崎付近ではじっと山側を監視。「どこを見ても山崩れなんか無い」とブツブツ
13分で着いて、「やはり世界に誇る新幹線」などと変な感心。

 京都駅で、在来線に乗り換え。エスカレータからホームを見ると通勤時間帯のラッシュを凌ぐ混雑。
次がいつ来るのかも不明で、決心して押されながら乗り込み。
いやはや。3月まで通勤で乗っていた路線ですが、年に何回もないような込み具合。周りの女性に痴漢と勘違いされないよう足を踏ん張って。横の小さい子供を圧迫しないように。
8月の琵琶湖花火大会の時の混雑を思い出しました。
「あーあ、ジャンクの大物品を買い込まなくて良かった。皆から非難の的になるだろうな」などと思いながら。数十分で近江八幡駅着。
車で20分で、帰宅。
帰りは3時間半。往きは、4時間。 通常は片道2時間半もかからないのですが。

今回のJRの区間運休は、累積の雨量が規定値を超えたとかでの運休とか。
JRは私鉄と違い、運行距離が長距離であるのはわかりますし、安全が第一なのが分かるのですが、なんとかならないのでしょうか。

といっても、もう通勤することもないので、どうでも良いといえばそれでよいのですが
愚痴といえば愚痴を書きました。

では

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京都嵐山「電電宮」に参拝

2015-06-23 13:34:11 | 旅行

ここ2、3か月の間に測定器の不具合が多発しました。
 ・3年前に購入のMade in大陸製の低価格オシロに不可解な波形表示現象が発生(ローカル局にQSY後に回復)
 ・6年前に中古で購入のアドバンテストのスペアナは、波形にノイズが重畳。(突然の発生と回復を繰り返し)
 ・もう一台の11年前に中古購入のアドバンスペアナも、CALの出力信号レベルがダウン(10日後に自然回復)
さらに、製作中のRIGは、バグまたバグの大量発生・・・ (これは「異常でもなんでも無い。いつものことや」と言われそうですが)

ということで、これはシャックの厄払いが必要ではと考え、昨日京都嵐山の「電電宮」に出かけました。
実際は、京都に私用のついでだったのですが。
電気・電波の神様を祀る「電電宮」が、京都嵐山にあることは、勤め先が通信キャリアだったこともあり入社時代(39年前)には,知っていたのですがお参りするのは初めてです。
京都四条烏丸で、前勤務先の同僚と再会し立ち話、私用も早々に済ませて阪急電車で四条大宮へ。
嵐電(京福電鉄嵐山線)に乗り換えで終点の嵐山駅へ。

いやー懐かしい。というのも入社3年間は近くの会社の独身寮に住んでいて、この辺も何回も来ていたからです。
梅雨の時期ですが、駅前通りは修学旅行生や外国からの観光客で大賑わいです
駅前の天龍寺をしばし拝観。以前2回ほど来ているのですが。三十何年前、伯母夫婦と池(曹源池)の周りを散策したことを思い出しました。池は良く覚えているのですが、境内がこんなに大きかったのか。

「電電宮」は、法輪寺の一角にあります。
渡月橋を南に渡り200mほど歩いたところに参詣道があります。神社と寺院が同じ境内に祀られています。
虚空蔵菩薩(自然現象を司る菩薩様とのこと)が本尊で、元来は雷様などの神(電電大明神)を祀っていたとのことです。
昭和30年代くらいから、電気利用(強電)、電波利用(放送、通信、エレクトロニクス)が大きく進み、先駆者の顕彰や事業発展を願うために関係者が「電電塔」を建てたとのことです。(詳しくは法輪寺HPにあります)
山門を入ったところに石塔があり「電電塔」と彫られています。


壁には電球、蓄音機の発明者であるトーマス・エジソンと電波の存在を実験証明したハインリッヒ・ヘルツのレリーフがあります。西洋人のレリーフがある神社は珍しいのでは。
まずは、2拝2拍手1拝。

階段を上っていくと電電宮への寄進者札があります。電力会社、在阪放送局、通信キャリア、通信建設会社、電子機器メーカーなどが名を連ねています。

アマチュア無線関係では、アンテナメーカのS社が見られました。私が3月まで勤めていた会社名もありました。

さらに上がると左側の少し奥まって電電宮の赤鳥居があり、社があります。

お賽銭を入れ祈念。 39年間の通信系の仕事に従事しサラリーマン生活を無事(??)終えられたことに感謝。

階段を上りきると広い境内。法輪寺本堂にお参り。
左側には展望広場があり、下は渡月橋。京都市内が一望できます。画面中央右には京都タワーが見えます。正面は東山36峰。

V/Uは良く飛びそうですが360度展望ではないので、エリアは限られそうです。いくら電波の神様とは言えコンテスト移動は許可が出ないでしょうね。などと考えながら。
JM3EYKに頼まれている電電宮のお札を祈祷所の方に聞きました。電電宮のお守りはあるとのことで、3個頂きました。
さらに虚空蔵菩薩のJPEG画像が入った8GByteのSDメモリも購入。 

階段を下りる途中で男性二人の「我々もお世話になっている神社や・・」とのお話しが聞こえました。関係者の参拝でしょう。
私は通信キャリアに勤めていたのですが、回線中断のようなトラブルは、会社の命運にかかわります。ネット速度何十Mbpsなどと競っても、やはり安定に通信できなければなんにもならないわけです。
ここがアマチュア無線とプロの違いかとおもうのですが。アマチュアは、強い電波で相手に勝つ、より遠くに飛ばす。
しかしプロは、遠くに飛ぶことが大きな問題となることがあります。(この辺はまた別の機会に書きたいと思います)
帰りは再び渡月橋を渡り嵐山駅近くで食事をして帰宅。

で、アマチュア無線のことは祈願しなかったの?と言われそうなので、反省もも含めて。
 いい加減に書いたプログラムにごめんなさい。バグの退散のお願い。
 いい加減な設計、いい加減なイモハンダを棚において、「こりゃ、嘘記事や」「偽データや」「このパーツは信用できん」などと言って いたこと        ごめんなさい。
 これまで粗末に扱った中古測定器に感謝。
 10年来の製作中のRIGの早期完成成就を祈願。

帰宅後、製作中のRIGのPICユニットのバグ退散を祈祷をしました。

 

 御利益ありますよう

 いい、一日でした。万歩計21,087歩でした。

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