スローなマサ君

日曜日には教会へ、月は菜園で、火は伝承学習を、
水は観光ガイドに、木はピースボランテイアを、
金・土は自由に使う。

外出禁止令が発令されました

2014-12-17 22:06:43 | 日記
朝起きると、何とモノトーンの世界です。


お昼前には日が照りだしたので外出準備にスノーシューを取り出しかけたところで
「外出禁止令」が発動されました。

門扉周辺のブロックの上には、定規を充てがってみますと何と25センチ。
帰路の部分がそうです。


道路も自分の足跡だけが、処女雪の上に点々と残ります。





似島

2014-12-13 22:38:52 | 山歩き
似島


広島湾に浮かぶ、名峰「安芸の小富士」のある似島に行ってきました。


安芸の小富士(278m)と下高山(203m)を縦走するハイキングです。

総勢58名の昔の若人です。

これは何の花でしょうか?みかん畑の中に咲いていました。



大岩をくぐって頂上に

残念ながらの曇天で広島の市街地の眺望はイマイチでした。



眼下には、今が旬の牡蠣、牡蠣筏が目白押し

筏の上のかき小屋
我が物顔のウミウが所狭しと

沖合には海の守りの要の
日本産業の牽引者自動車の運搬船
瀬戸内の海底を掘りまくった海砂利の運搬船

似島といえば、かっては日清戦争から太平洋戦争終結まで「軍の島」でした。
戦地からの帰還兵・馬の検疫所が置かれ、第一次世界大戦後には捕虜収容所となり、
捕虜の中に「カール・ユーハイム」氏が居て、彼がこの収容所で日本で最初の「バームクーヘン」を製造し、産業奨励館(今の原爆ドーム)で展示販売を行い大好評を得たと言われております。


また、原爆被爆後には、被爆者の収容所となり多くの犠牲者を看取ったところでもあります。
一方、多くの原爆孤児を収容した「似島学園」は、日本のサッカー界の至宝、森 健児・孝慈兄弟の実父で教育者「森 芳麿」氏が開設されたものです。

宮島の砲台跡

2014-12-08 11:11:37 | 平和
海に浮かぶ大鳥居や社殿で知られた宮島ですが、
毛利元就が中国地方の覇権を握る鍵となった古戦場跡が有る事はご存知の通りです。



しかし砲台跡があるなんて?
しかも太平洋戦争当時のものではなく、
何と、「日清・日露戦争」当時のものなのです。
それは、明治22年に呉に海軍の鎮守府が置かれ、海軍工廠も開設され、
また、明治27年の日清戦争の時には広島城に「大本営」が設置されるなど、
広島湾要塞地帯が形成されたからの様です。

日露戦争の海戦にあったては、あのバルチック艦隊が日本海に抜けるか、
関門海峡を抜けて瀬戸内海に?

幸か不幸か、一度も使用されることなく、
太平洋戦争が始まる頃には兵器は秘密裏に解体され、
戦地に移送されたようです。

よって、当時の基礎部分が近代的な文化遺産として残っているようです。

高砲台跡図


砲台跡、二基で一対が三対




砲弾置き場

方位観測所

砲台司令室



井戸



伝令管



厠(トイレ)

忘年登山

2014-12-08 10:30:48 | 山歩き
毎年恒例の忘年登山、
何時もは弥山に登っていたが、今年は包が浦近くの砲台山へ。
ルートは毛利元就が厳島合戦で奇襲を行った逆ルートです。


可愛いる鹿のペアーに迎えられて


博打尾を超えて山越えです

博打尾から元就も眺めたであろう神社

一部羊歯の藪こぎも幾らか有りますが、まずまずの道のりです。



砲台については続編で報告します。

見送りには、立派な角を蓄えた牡鹿君でした。

天皇・皇后両陛下来園

2014-12-05 00:48:53 | ガイド
8月の土砂災害の見舞いを兼ねて12月2日に両陛下が来広された。

3日には平和記念公園に来演され慰霊碑に参拝献花をされた。










その後、アメリカらのツアー客10名を園内の案内をする。


公園内の「アオギリ」がすっかり落葉を始めた。

中12月5日付け中国新聞