スローなマサ君

日曜日には教会へ、月は菜園で、火は伝承学習を、
水は観光ガイドに、木はピースボランテイアを、
金・土は自由に使う。

外国のお客に混じって

2015-02-27 00:14:13 | 山歩き
外国のお客に混じって


今日も多くのお客様が、
イスラエルから、ドイツから、スコットランドからも来ていただきました。









そんな中に、こんなに可愛い子供たちがいました。




初登山は三原・尾道の鳴滝山から鉢ヶ峰へ縦走

2015-01-19 03:06:18 | 山歩き
初登山は三原・尾道の鳴滝山から鉢ヶ峰へ縦走


生憎の小雪混じりの山行となりました。
バスを降りると早速雨具を着込んでの出発です。


目指すは、鳴滝山(408m)と鉢ヶ峰(429m)ですが、海抜0mからの出発なので標高差は丸々あり、累積標高は657m、沿面距離で8,906メートルとなります。

途中、早春の香りをかいたり

水滴を

廃屋もあり


高台の豪邸も



近くには船便の安全を願って尾道水道を照らした常夜灯が


仏岩が見守っていました


古の強者どもが夢の跡、鳴滝山城址


パラグライダーのフライト広場が見えてきました。


頂上から千光寺山、尾道大橋の眺めは


昼食休憩の後尾根道を上り下りして

最期のピークは鉢ヶ峰


ジジババグループの行列です



頂上からの眺め、多島美に波紋にしばしウットリとした一日でした。





似島

2014-12-13 22:38:52 | 山歩き
似島


広島湾に浮かぶ、名峰「安芸の小富士」のある似島に行ってきました。


安芸の小富士(278m)と下高山(203m)を縦走するハイキングです。

総勢58名の昔の若人です。

これは何の花でしょうか?みかん畑の中に咲いていました。



大岩をくぐって頂上に

残念ながらの曇天で広島の市街地の眺望はイマイチでした。



眼下には、今が旬の牡蠣、牡蠣筏が目白押し

筏の上のかき小屋
我が物顔のウミウが所狭しと

沖合には海の守りの要の
日本産業の牽引者自動車の運搬船
瀬戸内の海底を掘りまくった海砂利の運搬船

似島といえば、かっては日清戦争から太平洋戦争終結まで「軍の島」でした。
戦地からの帰還兵・馬の検疫所が置かれ、第一次世界大戦後には捕虜収容所となり、
捕虜の中に「カール・ユーハイム」氏が居て、彼がこの収容所で日本で最初の「バームクーヘン」を製造し、産業奨励館(今の原爆ドーム)で展示販売を行い大好評を得たと言われております。


また、原爆被爆後には、被爆者の収容所となり多くの犠牲者を看取ったところでもあります。
一方、多くの原爆孤児を収容した「似島学園」は、日本のサッカー界の至宝、森 健児・孝慈兄弟の実父で教育者「森 芳麿」氏が開設されたものです。

忘年登山

2014-12-08 10:30:48 | 山歩き
毎年恒例の忘年登山、
何時もは弥山に登っていたが、今年は包が浦近くの砲台山へ。
ルートは毛利元就が厳島合戦で奇襲を行った逆ルートです。


可愛いる鹿のペアーに迎えられて


博打尾を超えて山越えです

博打尾から元就も眺めたであろう神社

一部羊歯の藪こぎも幾らか有りますが、まずまずの道のりです。



砲台については続編で報告します。

見送りには、立派な角を蓄えた牡鹿君でした。

三瓶山に行ってきました

2014-11-18 22:51:21 | 山歩き
日本退職者協会の仲間と三瓶山に行きました。
今回は北の原からのスタートです。
落葉を踏みしめながら頂上を目指します。
千メートルを越える辺りから小雪やアラレに見舞われました。
頂上近くで視界が開けると、一面のススキが原です。
はるか向こうには日本海が微かにみえることができました。
頂上では強風のためランチもそこそこに下山準備に。

皮肉なことに下山途中から青空が覗いてきました。
子三瓶、孫三瓶へ通る鞍部を見ながら、今回は西原へ直降し、
「定めの松」から帰途に着きました。