夷狄の語誌
日本では外冦や朝敵に対して用いるほか、転じて地方人を道理をわきまえないものとして卑しめる意味にも使われた。また近世末期になると攘夷思想と関連して欧米列国に対して用いた例が見られるようになる。
人間と禽獣の中間の存在とさえみなされた。南朝の顧歓や唐の韓愈たちの排仏論の主たる論点は,仏教はそもそも夷狄のために設けられた教法であるから中国に行うことはできないという点に存したし,また近代西洋文明の受容を困難ならしめた思想的背景もこのような偏見にもとめられよう。
世界大百科事典(旧版)内の夷狄の言及
【衛正斥邪】より
…国内的には,朝鮮朱子学を唯一の正学とし,朱子学以外の儒教の潮流および仏教を邪学として斥けた。対外的には,華夷思想に基づき,朝鮮を小中華と自認し,清その他の国々を夷狄視した。華夷思想とは,本来漢民族の世界観で,礼の有無によって世界を華と夷に弁別し,自国は礼が備わった〈中国〉,すなわち〈中華の国〉とし,他は夷狄とするものである