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奉公人は主人を訴える権利がなく、主人による私的制裁(暴力など)も黙認される傾向にあったため、永年季奉公や譜代奉公は奉公人にとって過酷な労働環境を強いられることが多かった

1698年(元禄11年)に江戸幕府が年季奉公の年限制限を撤廃し、永年季奉公(終身奉公)や譜代奉公(永代奉公)を容認したことは、江戸時代の社会・経済構造、特に労働制度に極めて大きな影響を与えた重要な出来事でした。
1. 年季奉公とは?その多様な形態
年季奉公とは、江戸時代に広く見られた、一定期間雇い主の家に住み込みで労働を提供する制度です。主に農村出身の貧困層が、生活のために商家、職人、武家などで働き、衣食住が提供される代わりに給与はほとんど支払われませんでした。
年季奉公には、次のような形態がありました。
* 年季奉公: 当初3年から10年など、定められた期間働く契約形態です。
* 永年季奉公(終身奉公): 奉公人が生涯にわたって主家に奉公する形態です。
* 譜代奉公(永代奉公): 奉公人の子孫も含めて代々にわたり主家に奉公する形態です。これは奴隷制度に近い性質を持っていました。
* 出替奉公: 1年や半年といった短期間の奉公です。
2. 1698年:年限制限撤廃の背景にある社会・経済の変化
1698年の年限制限撤廃の背景には、江戸時代の社会と経済の大きな変化がありました。
(1) 労働需要の増大と既存制度の限界
元禄期(1688年~1704年)は経済的な繁栄が見られ、都市の商家や職人の労働需要が著しく増大しました。しかし、寛永2年(1625年)に定められた最大10年という奉公期間の制限では、長期的な労働力、特に技術習得が必要な職人や商家の奉公人を安定して確保するには不十分でした。
(2) 人身売買の実態と幕府の追認
江戸時代初期、幕府は人身売買を規制しようとし、前述の10年という年限を設けていました。しかし、農村の貧困や飢饉を背景に身売りや借金の担保としての奉公は後を絶たず、親が子を売ることも一般的でした。1698年の政策変更は、こうした現実を幕府が事実上追認し、規制の限界を認めた結果と解釈できます。
(3) 貨幣経済の浸透と多様な労働形態
元禄期には、貨幣経済が農村にも浸透し、労働力の需要が多様化しました。貧困からの脱却だけでなく、技術習得(徒弟奉公)や純粋な労働力提供を目的とする奉公も増加しました。年限撤廃は、こうした多様なニーズに対応し、長期契約を可能にするための措置でした。
3. 政策変更の内容:永久的な隷属関係への道を開く
1698年の政策変更の具体的な内容は以下の通りです。
* 年限の撤廃: これまで最大10年とされていた奉公期間の制限がなくなり、主家と奉公人(またはその親族)の合意があれば、期間を自由に設定できるようになりました。
* 永年季奉公の容認: 奉公人が生涯にわたり主家に奉公する**「終身奉公」が正式に認められました**。これにより、無期限に主家に縛られるケースが増えました。
* 譜代奉公の容認: 奉公人の子孫も含めて、代々にわたる奉公(永代奉公)が認められました。これは奉公人の家系全体が主家に隷属する、奴隷制度に近い性格を持つものでした。
* 法的保護の欠如: 奉公人は主人を訴える権利がなく、主人による私的制裁(暴力など)も黙認される傾向にあったため、永年季奉公や譜代奉公は奉公人にとって過酷な労働環境を強いられることが多かったのです。
この変更は、主家の権利を大幅に強化し、奉公制度を経済的・社会的な需要に合わせて柔軟化した一方で、奉公人の人権を大きく制限するものでした。
4. 永年季奉公と譜代奉公の具体的な実態
永年季奉公(終身奉公)
奉公人は主家の家業(農業、商業、職人業など)に従事し、衣食住は提供されるものの、給与はほとんどなく、移動や職業選択の自由が著しく制限されました。商家での丁稚奉公や、武家での家事労働者などがこれにあたります。
譜代奉公(永代奉公)
先祖から続く奴婢や下人の系譜、借金の質流れ、誘拐、永代人身売買などに由来することが多く、奉公人は主家の一員として扱われる一方で、法的権利がほとんどなく、実質的に奴隷に近い地位に置かれました。美濃国安八郡西条村(現・岐阜県)の例では、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、多くの男女が譜代奉公を経験しており、その普及がうかがえます。
5. 政策変更がもたらした多岐にわたる影響
1698年の年限制限撤廃は、以下のような影響を社会にもたらしました。
(1) 経済的影響と労働力の安定化
商家や武家、豪農は長期的な労働力を安定して確保できるようになり、経済活動の安定化に大きく寄与しました。特に技術習得が必要な分野では、長期の奉公が技術の継承に有利に働きました。
(2) 奉公人の人権問題の深刻化
永年季奉公や譜代奉公の容認により、奉公人の移動や職業選択の自由はさらに制限され、過酷な労働環境や暴力にさらされるケースが増加しました。法的保護がほとんどない中で、搾取が常態化する要因となりました。これは、事実上の人身売買の黙認であり、貧困層の困窮をさらに悪化させることにもつながりました。
(3) 社会構造と封建的秩序の強化
永年季奉公や譜代奉公は、封建的な主従関係を強化し、幕府の支配体制を支える役割を果たしました。奉公人は主家への絶対的な忠誠を求められ、社会の階層構造がより固定化されました。また、農村の貧困層が都市で奉公することで、農村と都市の経済的な結びつきは強まりましたが、同時に農村からの労働力流出が農業生産力に影響を与える側面もありました。
(4) 国際的な類似性
17~18世紀のアメリカ南部における「indentured servitude(年季契約奉公)」など、同時期の他地域にも類似の制度が存在しており、1698年の日本の政策変更は、グローバルな労働制度の潮流と部分的に符合するとも考えられます。
6. 歴史的文脈とその後の変遷
中世からの連続と江戸時代の規制
中世日本では人身売買や奴隷制度が広く行われていましたが、江戸時代に入り幕府はこれを規制しようとしました。しかし、1698年の政策変更は、こうした規制が実効性を欠いていた現実を追認するものでした。
江戸時代後期の変化
江戸時代後期になると、貨幣経済のさらなる浸透や社会の変化に伴い、年季奉公は次第に短年季(1年など)に移行する傾向が見られました。成人労働者が賃金を得る目的で奉公するケースが増え、徒弟奉公や子守奉公など、より目的に応じた多様な形態が発展しました。
明治維新による終焉
明治維新(1868年)を経て封建制度が崩壊するとともに、年季奉公も廃止されました。1871年の「戸籍法」や1872年の「芸娼妓解放令」により、人身売買や奴隷的労働は法的に禁止され、奉公人は法的自由を獲得しました。しかし、貧困層の厳しい労働環境は続き、新たな形の搾取(工場労働など)が問題となりました。
7. 現代への示唆
1698年の年季奉公年限制限撤廃は、江戸時代の経済的繁栄と労働力需要に応じた政策でしたが、同時に奉公人の人権を著しく軽視する結果を招きました。永年季奉公や譜代奉公は、現代の人権基準から見れば明確な搾取であり、封建社会の階層構造を維持し、貧困層の困窮を固定化する役割を果たしたと言えます。
現代において年季奉公のような制度は禁止されていますが、労働搾取や貧困を背景とした強制労働は、形を変えて世界各地で存在する問題です。この歴史的出来事は、労働と人権の関係性を考える上で、重要な教訓を与えてくれます。
もし、特定の側面についてさらに詳しく知りたい場合は、お気軽にご質問ください。



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