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勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

読書のすすめ

2020-04-19 15:54:23 | 日記
読書のすすめ
キーワード
外国語学習、多読、文章の慣れ、語彙力向上、情報処理、理解力向上

私は月に20冊本を読む。院試の勉強用に読んでいるのもあるが、外国語学習向上のためである。20冊中15冊は新書、10冊は小説である。読書は内容理解も大切なのだが、文書に慣れることが基本である。学校ではよく洋書の多読がすすめられているが、洋書をたくさん読んで英語力などが伸びるわけではない。基本となる語彙力が必要だからだ。日本語において語彙力を身に着けた人が、外国語学習においても力を発揮する。これは私が院試の勉強を通じて思ったことだ。読書に限って言えば、洋書を読んだあとに新書を読むと読むスピードや理解力が驚くほど向上していることに気がつく。また和訳や英作をしても同様のことに気がつく。これらは文章に慣れているか否かに起因する。文章に慣れれば情報処理能力が上がり、結果的に自然と理解力も身につけることができるのである。

歴史はバームクーヘンのようものである

2020-04-19 15:53:00 | 日記
歴史はバームクーヘンのようものである
キーワード
2周目、自分の興味あるテーマ、話題性、教え方

「歴史はバームクーヘンのようなものである。2周目からが面白い。」これは僕の友達の受けよりである。私も無意識にそう思っていたところがあり、気付かされて納得した。元号が変わり日本は新しい時代を迎えた。安倍執政期とも言えるこの時代、象徴天皇制について今一度考えてみた。象徴天皇制について書かれた本を読んでみると古代から中世までの政治史が面白いほどよくわかった。日本の政治史は常に天皇との関わりかたの中で発展してきた。今まで日本史で習ってきた内容が点から線へとつながったのである。歴史の1周目とは教科書の内容を覚えることである。内容をすべて暗記する必要はない。忘れても良い。2周目以降は「象徴天皇制」のようにそれぞれのテーマで日本史を追って行けば良い。どのテーマに興味を持つかは人それぞれである。興味や関心は個人の経験から呼び覚まされることが多い。

私は将来的に先生になりたいと思っている。大学であれ、高校であれ、「ホットな話題をつかって日本史を教える」人に教えるときこの信念は大切にしたいと思っている。

自己満足

2020-04-19 15:51:21 | 日記
自己満足
キーワード
自己満足、警戒、謙虚さの補助、目的化、ビジョン、手段、活用

私は最近自己満足することに警戒感を抱いている。人間誰しも自己満足するし、自己満足は自信につながるので良いことだと思っている。自意識過剰だと批判するひともいるかもしれないが、謙虚すぎる人間(自分に自信が持ちづらい人間)にとっては自意識過剰ぐらいがちょうど良いのである。私が懸念しているのは自意識過剰の多くが結構脆いことだ。多くが目的を達成し、そこから先が見えないためだ。せっかく手に入れた自信を手放したくはない。自己満足を次につなげたいのである。自己満足を成しうる実績と努力を認めつつ、それを道具としていかに活用するかが重要である。

量的変換は質的変換をもたらす

2020-04-19 15:49:49 | 日記
量的変換は質的変換をもたらす
キーワード
稚拙さ、斬新さ、良質な視点

現在、私は論文を書いている。論文を書くで一番大切なのは1自分ビジョンを描くこと2自分のビジョンを相手に伝えることである。簡単にいえばビジョンがインプット、アウトプットできるかである。両方とも容易な作業ではない。アイデア力とプレゼン力2つが必要だからだ。両者をこなすコツは「たくさん手を動かして考え抜く。」ことである。駄作だと思ってありったけのアイデアを紙(論文)に書き、次に「現在理解できる範囲内」で必要なものを吟味する。最初から書き出したアイデアすべてを捨ててはならない。作業が進むにつれて必然的に理解度が高まり、アイデアを活かす術を自ずと知ることになるからだ。稚拙さが斬新さを生み、良質な視点へと変化する。最初は稚拙な理解度が3〜4ヶ月後には研究者なみに上がっている。3〜4ヶ月で研究者になれるという意味ではない。質が向上する比喩である。しかし、研究者が考える世界を垣間見ることはできる。私も似たようなテーマを毎回寄稿しているが、すべて視点は異なり、高度な内容をシンプルに書くことができるようになった。

「怒り」の必要性

2020-04-19 15:47:55 | 日記
「怒り」の必要性
キーワード
怒り、必要性、客観性、持続可能な研究

私はゼミで先生に「問題意識は何か」と聞かれたことがある。悩んだ末に企画書を持って行くと「君の研究は趣味でしかない」と突き返された。一生懸命考えて書いた企画書をあっさりと突き返されて怒りを覚えた。私には「趣味」と「研究」の違いがわからなかった。私なりの見解だが、研究には怒りが必要だと思う。趣味は気の向くまま「自分の中にある必要性=楽しさ」に従って書けば良い。しかし、万人に共感してもらうためには怒りが必要である。怒りは人間の本能的な感覚であるからだ。当然、怒りに任せてかけば、主観的になり、論文を書くことができない。怒りに必要性を加えて、客観性を生み出すのである。怒りと必要性は研究を持続するために必要な要素である。