国からの頼み事、不要不急の外出を避けて欲しい。
こんな伝えは以前から発せられ各自従ってきたはずです。
我らに言い換えれば不要とする歩きは果たして有るのかと思う。
体力温存の皇居外周マラソンとか公園のランニングもしかり、我らが行って来た里山から始まる登山でも同じ扱いではと感じる。
走れば大汗かいて湯に浸かりさっぱりして帰る、さっぱりする行動は大衆の中に入ってからなのだ。山で大汗は確かに出る、でも直ぐにでも湯に浸りたいとは思わない。
大汗流しながら無心に上がって行く心境はランニングとはかけ離れ頭を真っ白にし自分に言い聞かせながら上に上らせる神経にしか伝えてない。
辿り着いた時の解放感、満足感は混雑の乗り物中には思いつかないはず、ヘトヘトと成りながらの足取りでも得られる物は大きい。
家から防御態勢で抜け出しリュックを背負うも冷たい視線を受けながら乗車してる。早くこの場から抜け出したいと我慢、最寄りの駅に着いて同様の姿に安堵する。
やっぱり行くんだね~と気持ちが解れやっと解放感を得るのだ。
コロナ感染症に掛らないように歩いて來るが、見えない細菌には対処の仕方は無く、接触する相手を避ける事ぐらいしか無い。コロナ菌持ってますと目印が有れば危険となり近かづかない。アプリでも有るようだが接触が如何たらこうたらが、此れだって直ぐに判明しない。
後々に分る話、あの時有ったんだ~程度ですね。
わかって脅えても後の祭り。
兎に角家から出、登山口まで無呼吸で辿りつければ良いだけ。無呼吸はあり得ない・・何言ってんの・・・
確かに気を付けてとしか言いようが無いが冷たい視線をうまく交わして辿りつければやれやれです。
第三波たのと言ってるが抑えるのなら誰もが家を出さない事にする。隣の国を真似よう、そうすれば良いだけ。
質素な生活で切り抜け戦後の我慢生活のように耐える。
此れしかない。戦後の生活って言ったが自分すら知らないが映画、親の話で嫌なほど聞かされてたからね。
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