真面目にやってる人がいる。
人はその人を真面目と呼ぶ。
果たしてそれは「真面目」なのか?
きっと使い古される内に、言葉は魂を失ってしまった。
真面目って言葉の本当の意味ってなんだろう?
他人の目を気にして大胆な事はせず、
目立たず、慎ましく行動し、集団に埋もれて没個性。
これを真面目と呼ぶのだろうか。
大声でイニシアチブを執る人の下で
多くを語る事を恐れ、ありきたりなセリフを選び、
糞みたいな綺麗事を美徳として扱い、
上っ面の常識をバイブルのように重宝する。
それを真面目と呼ぶのなら、
他者ありきの生き様を真面目と呼ぶのなら
クソ喰らえだそんなもの。
そんなものが真面目だというのなら
そんな大多数の真面目な人間を食い物にして回る社会は真面目と呼べるのか?
違うな。
結局この世は都合よく言葉を大声で悪用した人間が上に立ち、
それらの敷いた偽りのレールに乗った気弱な人間で構成されている。
真面目ってのは
己が覚悟を以て決めた道を、
どんな事があっても貫き通す気概を言う。
国語辞典を開けば
「真剣であること」
「誠実であること」
「ウソがないこと」
とある。
己が身命を賭して決めた道に、真剣味がない訳もないし
不誠実である訳もなく、ウソがあっては歯も立たぬ。
覚悟とは、命を懸けても惜しまないという気概。
それが出来てこその真面目だ。
ならばこの社会は不真面目だらけという事がよく分かる。
他人の安っぽい評価や噂を気にして
己の人生までも支配されてしまう事はない。
他人の評価や噂なんてものは
貴方の人生を保証してもくれないし豊かにもしてくれやしない。
況してや、貴方の夢を叶えてくれるものでも決してない。
本当の評価は、貴方が覚悟を貫いて進んだ痕跡として付いてくる。
まだ道半ば、まだまだ途中段階で、貴方を評価してくる人間など一瞥の価値もない。
電信柱にかかってる犬の小便以下の価値しかないのだ。
迷いながら進め!
悩みながら戦え!!
きっとその先に見える景色は壮観だ。