いつもパワー全開でないと嫌だった。
だから、病気になったり、ちょっとでも体の具合が悪かったりすると、すぐにやる気をなくした。
「私が本気を出せばこんなもんじゃない」みたいな気持ちがいつもどこかにあって、調子のいいときと悪いときの差は甚だしかった……と思っている(笑)
私のこのあふれんばかりのエネルギーをすべて引き受けてくれるものが芝居だった。
それはどんなにパワーを注ごうと、終着点が見つからず、どんどんどんどんはまっていった。
私は昔、完璧主義者だった。中途半端が嫌で嫌で、やるなら全力投球しなければ気が済まない。結果がついてこなければどこかで自分がズルしている気になった。
そして、何事にも完璧でいられない自分に対する自己嫌悪はどんどん深まっていった。
完璧な人間などいない。
人は誰しも、どこか欠けているもので、完璧など求めなくてもいいのだ。
人は皆、みずから生きているのではなく、生かされているのだ。
──ということを、平山先生に教えられ、目が覚めた。
それからは先生の教えを繰り返し心につぶやきながら生かされてきているわけだが、頭でわかっていても、なかなか人間の性質を根本から変えることは難しい。
文字どおり、変え難い。(苦笑)
1つのことにエネルギーを注入すると、私はとんでもなく独りよがりな世界にいまだ入ってしまいがち。
その危険を察しての自己保身で、私は芝居以外のことにもエネルギーを分配するようにしているのかもと思うときがある。(笑)
「道楽なんだから」と思うことで6~7割のエネルギーを注ぐ気持ちで芝居と向き合うことができる。それも自己保身なのかもしれない。
報酬をいただけるかどうか、で、それが仕事であるかないかが決まるとすれば、芝居(舞台)は仕事にはなり得ていないという思いもある。
ではプロとは何だろうと考える。
いい芝居であれば、ギャラなしで出たいという人もいる。
仕事だから仕方がないと思いながらやっている人もいるかもしれない。
プロは結果がすべてだ。その結果を出すまでの過程はさまざまだけれど、舞台は自分のためだけにやるものではなく、お客さまに見ていただいて何らかのエネルギーを感じ取っていただき喜んでもらえることが、役者としてやれることのすべてではないかと思う。
そのエネルギーを枯らすことなく自分の心体から発していけるように、私は今日もこうして生かされている。
──と思うのはまた独りよがりかな(笑)
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