ちむあ~すん

 感じたことなどをつれづれと。。
(たま~に気が向いたら書きます)

神服機織殿神社(かむはとりはたどのじんじゃ)

2011-07-07 | tree

今日は七夕ですね。

七夕と聞いて連想してしまう神社・・・

(といっても七夕のお話にまつわる神社ではありません・・・。)

三重県松阪市(櫛田川左岸)に「神服機織殿神社」という神社があり、

そこには神宮(伊勢)の神さまの衣を織る御機殿の鎮守の神さまが祀られています。

 

田んぼの中にこんもりと浮かぶ緑の船のような広大な鎮守の杜。

鳥居をくぐると、すぐ右手にどっしりとした楠の巨樹が迎えてくれます。

杜に足を踏み入れるにつれ、風は弱まり、鳥達のオーケストラに包まれます。

歩を進めると、前方に白く開けた空間が現れます。

四角く区切られた境内の片隅にも見事な枝振りの楠があります。

 

この楠の根元に座って、上を見上げるのが大好きです。

わっさわっさと枝が揺れる度に、その空間の空気が浄化され、

こころの中まで清らかな風が吹き込んでくるようで。。。

 

社務所の前にあるその楠。(写真は5月に訪れた時のものです。)

ちょうど照葉樹たちの芽吹きの時期で、杜は湧き上がるような生命力に満ち溢れていました。

 

右手にちらりと写っているのが八尋殿で、こちらの社の中で5月と10月の年2回、

地元の女性の織り子さんが機織り機で和妙(にぎたえ)と呼ばれる絹衣を織り、

神宮で行われる神御衣祭に奉納されているそうです。

(八尋殿のさらに奥手にあるのが正殿です。)

 

境内には左右にちいさな6つの祠があり、細部までとても丁寧に作られています。

無垢の木で作られた大小の社の数々と、それを囲む豊かな樹木たち。。

この神社には、お賽銭箱などはありません。

そして、人間の「文字」が見当たりません。

俗世から切り離された場所。

とても素朴で、美しい空間です。

 

こちらにおじゃますると、いつも同じ方が境内を掃き清められています。

地元の方が大切に守ってこられたこの空間に、よそ者の私が足を踏み入れさせてもらう時は、

いつもこころの中で「おじゃまさせていただきます」と頭を下げます。

(こちらの神社も、神宮の式年遷宮に合わせて建て替えられるのかと、その方に尋ねてみると、

式年遷宮のために取り壊された木材を再利用して建て替えてもらえるかも、とのことでした。)

 

ちなみに、この神社の近くには「神麻続機殿神社」(かむをみはたどのじんじゃ)があり、

こちらでは、神さまへ奉納する荒妙(あらたえ)と呼ばれる麻布を、地元の男性が織られるそうです。

こちらの八尋殿の前には、オガタマの樹が鎮座しています。

神麻続機殿神社へと誘われる道。

 

鎮守の杜は大好きだけれど、神社や神さま自体にはそれほど関心がない私ですが、

両神社、とりわけ神服機織殿神社には何故だかとても惹きつけられ、

時々ふらっとおじゃまさせてもらっています。

私にとってのイヤシロチです。

 

 

 


魂の役割

2011-06-10 | spirit
   
先日、友人から心がほんわかとする話を聞きました。
  
その友人 M ちゃんは、去年ふたり目のあかちゃんを授かりました。
産まれてきた S ちゃんは、18トリソミーという染色体異常を持っていました。
18トリソミーベビーちゃんは、流産や死産になることが多く、
無事に誕生できても、1年以上生きることのできる確立は1割程です。
 
S ちゃんは心臓などの臓器に重い奇形があったため、
産後まもなく旅立つだろうと予想されていました。
なので、産後に積極的な治療は施されずに、
カンガルー抱っこでママのあたたかい胸に抱かれたまま、
しばらくの時間を過ごしたそうです
 
ところが医師の予想に反して、S ちゃんは旅立ちませんでした。
そして、NICU(新生児集中治療室)に移ることになりました。
 
S ちゃんにはお兄ちゃんの J くん(3歳)がいます。
J くんの出産時はとても難産で、誕生後 J くんもしばらくNICU に入っていたそうです。
 
S ちゃんが産まれ、NICU に入ることになった時、その J くんがお母さんの M ちゃんに
突然こんなことを話してくれたそうです。
 
「産まれてくる前、ぼくと S ちゃんは双子やってん。
S ちゃんが産まれてからNICU に入っても ママが慌てなくていいように、
ぼくが先に産まれて(NICUに入って)、ママに練習させてあげたんやで」
 
 
S ちゃんは今7ヶ月です。
まわりのみんなから、ぎゅっと濃縮された愛情を絶えることなく注がれて生きています。
今、とてもしあわせ」と言うM ちゃんの表情はとてもやわらかくて輝いていました。
 
2000g に満たないちいさなちいさな、でもとってもあたたかい S ちゃんをだっこさせてもらって、
 私も本当にしあわせでした。
 
生きているだけで、とても大切なことをいっぱい気づかせてくれる Sちゃん
特別な役割を持って、特別な身体を授かって、
この世に産まれてきてくれたんだと思います。
 
すべての命が かけがえのない命です。
 
私たちもみな、それぞれの役割をもって産まれてきていると言われています。
その役割を果たしながら生きてゆくのが、魂のお志事なのですよね。。
 
でも・・・。
最近はその「役割」って、人に歓びや感動を与えるような、そんな特別なものばかりではなく、
何気なく生活している中で、人と人が関わり合うことでうまれてくるものすべてが、
(たとえそれが否定的な感情を与えるものであっても、それもまた)
その人にとっての「役割」なんだと感じられます。
歓びや感動だけでなく、苦しみや悲しみからも大切なことはたくさん学べるのだから。。
 
 
  
 
  ありのままの自分をまるごと愛してあげられますように。。。
   
 
 

「宇宙が伝える心の声にしっかり耳を澄ませること」

2011-04-15 | aynu
大好きな山元加津子さん(かっこちゃん)の『本当のことだから』という本のなかに、
李政美さん(ミュージシャン)のこんなお話が紹介されています。
                                           
「自分の中に宇宙があって、フタが開くときがある気がするの。
いい詩や自分の中にある、これと思った言葉に触れたときなどにフタが開いて、
メロディーが聞こえてくる。
だから、そんなときは自分で作ったという気がしないことがある。
そのフタは、自分で開こうと思っても開けなくて、あるとき、開かれるの。
きっと、その瞬間というのは、
自分の中の宇宙と外の宇宙とがつながる瞬間という気がして、とても不思議。
歌ができるのはそんなとき・・・」
                                
なぜ、絵や曲を作る時に、宇宙とつながることができるのか、
かっこちゃんはこう語っています。
                            
「人と人が出会って、影響しあい、いろいろなことに気がついて変わっていけるのと同じように、
絵や歌や、文章や彫刻なども、人の心を動かすことで、
人を変えていく力を持っているからだという気がするのです。
そしてそのことが未来を変えることにつながっていくからじゃないかと思うのです。」
                    
かっこちゃんのいう「宇宙」とは、ガイアの純粋意識のことであり、
それは神やカムイや great spirit とも呼ばれ、
私たち一人ひとりにも内在する 同じひとつのものなのだと思います。
            
宇宙の“大きな力”は、「一人ひとりの人を信じてくれているんだなぁと思う」
と、かっこちゃんは言います。
信じてくれているから、このような機会を与えてくれたんだ、とも捉えることができます。
                           
今、目の前で起きていることが、今の自分たちにとってすべて必要なことならば、
「宇宙が伝える心の声にしっかり耳を澄ませること」
先ずは、このことが一番大事なことなんだと思います。
                  
先日、結城幸司さんが twitter で語られた『白いふくろうになったカムイ』のお話は、
そんな「宇宙」につながって汲みとられた「メッセージ」だと感じました。
                    
ここに語られたカムイたちの想いが、ひとりでも多くの人の内なるカムイに届いてくれますように。
そして共鳴し、環となり染み渡っていきますように。
                 
  
             
****************************************
 
 結城幸司さん 『しろいふくろうになったカムイ』
              
                                                          
私が目覚めると なんだか空のカムイの様子がおかしい
樹の祠から空に向かい 私はその理由を空のカムイに聞くために近づいて見た
 
フームフームバサッバサッ
 
「偉大なるカントコロカムイ(天の神様)よ  貴方ほどの神がいったい何を嘆いてなさる」
カントコロカムイは言った
「森を見守り 森を愛してやまない梟のカムイよ
あの山のおくの山の向こうの方で 人間の作りし火の産む化物が暴れて暴れて仕方ない
雨を降らそうが風を吹かそうが 怒りを沈めんのじゃよ」と言った
 
見てみると 向こうの山のほうで白い煙をあげ 空のカムイを追い上げるように激しく音をたて
火をはく何かの様子が見えた
梟のカムイは恐ろしかったが勇気を振り絞り その山の向こうに飛び立つ決意をし、そこに向かった
 
しばらく梟のカムイは飛んだ
疲れたので途中の森に羽を休める為に森の中の桂の樹に降り立つと
その樹のカムイが梟のカムイに話しかけてきた
 
「これはこれは遠くの森を見守る梟のカムイさま、遠路遥々来ていただき有難うございます」
「空のカムイが困っていたので、あの煙を上げている所まで出向くつもりなのだが…」
すると桂の樹のカムイが
「おやめなさい、あそこにあるモノは皆もう毒にまみれていますよ 、行くのはおやめなさい」
 
どういう事だと聞き返すと
「人間たちは、いつしか自分たちの事だけ考える様になり 夜も眠らない街をつくり、
森を切り刻み、火の神をも自分達で造れると考え違いをおかし
合わせてはいけない神々たちを掘り起こし 引き合わせていかりに触れてしまった」
 
桂の樹のカムイは続けた
「カムイ同士は喧嘩をしてしまい、人間はなだめる事もできずに
その喧嘩で流れた毒の咳、毒の血をあたり一面に撒き散らしたのです
咳は風に混ざり、血は土から水に混ざりおかげで…」
 
「私の足元からもう毒が沁みて来ています
命に限りある生き物は 水を飲まないわけにもいかず、空気を吸わない訳にもいきません
仕方ないのでその水を飲んでいます
だからせめても遠くの森に住む生き物のため あなたは引き返し知らせてやってください」
 
梟のカムイはよく考えて
「いやこの様子なら、その合わせてはいけないカムイたちの喧嘩を止めなければ
やがて私の住む森にも染み込んでくるだろう
あの咳も空のカムイを脅かす力がある
困ったものだ、一体どうすればよい」
 
「あのぉもし」
その時梟のカムイに語りかけるモノがあった
「誰だ」
と振り向くと 桂の樹の隣に それは綺麗な花を咲かせた桜の樹のカムイがいた
 
そして梟のカムイにこう言ったのだ
「私に染み込んでいる水や空気の神様たちの代弁をさせていただきたいのですが…」
 
梟のカムイが黙って首をたてにふった
桜の樹のカムイは美しい花びらを散らしながら 心から話した
 
「水のカムイの言うことには、私たちはあの喧嘩さえ止めて下されば
時間がかかっても新しい水を運び 命の繰り返しに力を貸す事が出来ます
新しい水に毒が混ざらなければ 木々を育て空気を作っていけます」
 
桜の樹のカムイは続けた
「その事によって 生き物みな命の循環を繰り返し やがてもとの姿にもどるでしょう
しかし喧嘩を止めず 今までの様に人間しか住んでないように振る舞うなら
森の命は尽きていきます」
桜の樹のカムイは花を散らしながら心から話した
 
梟のカムイは考えた
「昔のように言葉を超えて私たちの心を受け取るモノが今の人間に居るのであろうか…」
暫く考えて梟のカムイは  フームフームバサラバサラ  と桂の樹から飛びだった
 
桂の樹のカムイは梟のカムイを見て
「ソッチは喧嘩をしている方向デスよ」と言うと梟のカムイは
「私に考えがある」と カムイの喧嘩する森へ飛びだって行った
 
フームフームバサラバサラ
 
近づくとカムイたちの喧嘩は激しかった
毒の咳を吐き 毒の血を撒き散らしていた
もはや梟のカムイの言葉など聞く様子もない
 
「やはりな…仕方あるまい」
梟のカムイは天を仰ぎ見た
「太陽のカムイよ…」
と言って 天高くバサラバサラと飛びだった
 
梟のカムイは太陽のカムイに近づいた
とても熱かった
いやもう火がついてしまった
 
太陽のカムイが言った
「梟のカムイよ そんな思いまでして なぜ私に近づいたのだ」
 
梟のカムイは太陽のカムイに言った
「もう昔のように人間たちの世界では、私たちの声を聞くものがいません
だから私は姿を変えて 目につくカタチで間違いを訴えたいのです
さぁ太陽のカムイよ、どうか私の姿を変えてください」
 
必死な梟の言葉に
「わかった」と梟の体を真っ白な姿に変えて赤い輝く目を与えた
 
梟は先祖から受け継がれた模様を無くす事に悲しい気持ちだったが
「ありがとうございます」と言って、空に大きく円を描き バサラバサラと
羽を三度鳴らすと 喧嘩するカムイ目掛けて急降下した
 
あいも変わらず興奮覚めやらず カッカッと温度を上げている
「人間が自然界から化け物造りだしたな。なんと罪深き事だ」
と呟くと梟は毒の血を呑み
「ふぉぉぉつ」
と声をだし羽を思いきり広げた
そして喧嘩するカムイの場を飛びだって上空で旋回した
「この姿を見よ、この苦しみの声を聞け、もの言わぬ自然界の苦しみをこの私の中に取り込み
人間に見せつけてその本当の事を知ってもらうぞ」
 
梟のカムイは力の限り人間の街の上を休む事なく
何日も何日もわざと目にとまるように飛び回った
 
時間が経過すると その事は人間界の話題となり 白い梟の話を皆がするようになった
「神の啓示だ」とか「なにか意味があるんだ」とか人間は言うようになった
 
しかし何日も飛び続けた梟のカムイは体に入れた毒のためもありフラフラになっていた
「最後に私のこの姿をみて総てを知る人間に会わなくてはダメだ」
 
梟のカムイは空から探した、
でも誰一人としてそんな人間はいないように見えた
 
「あきらめてなるものか…」
と言ってはみたもののもう力は使い果たした
 
空から梟のカムイは落ちて行くと 向こうから薄紅色の風がやって来て
梟を抱き抱える様に包み混んだ
あの桜の樹のカムイの花びらが 春の風に乗ってやって来たのだ
 
桜の樹のカムイの声が聞こえた
「ありがとう」
梟のカムイはゆっくり目を閉じた
すると太陽のカムイも金色の涙を流し その涙も梟のカムイを取り巻いた
美しい渦になり ゆっくりと梟のカムイを地上に運んだ
 
人間たちはその光景を見た
見たことのない光景だった
梟の近くに行くと 花びらに抱かれるように白い梟が死んでいた
ある人間が言った
「神など居ないと思っていたよ」
違う人が言った
「俺たちのかわりになってくれたんだよ」
「やっぱりあの原発は、すべての命を脅かすんだよ、この梟が教えてくれたんだよ」
と言っていた
 
白い梟のカムイは目と目の間から魂となり 人に見えない姿になり その光景を見つめた
『私のその体を調べなさい。毒の体を調べて役立てなさい』
と呟いた
 
何人かの人間がその声無き声を聞いたようだ
見えない私を見ようとしている
 
魂になった私はゆっくり空に吸い上げられて行く
詩を謡った
『銀の風が吹く時代をつくりなさい、命の声を聞きなさい』
『金色の雨を感じなさい、命の詩を謡いなさい』
 
と天に召されながら梟のカムイは語ったとさ
 
この話は過去にあるのか未来にあるのか
それは私たちの考え方次第
 
と梟のカムイは人間に託しましたとさ
 
 
(結城幸司さんの承諾をいただいて掲載しています。)
    

祈りと進化

2011-02-28 | nature

アイヌモシリで初めて「ふきのとう」を見つけた時、

その、あまりにやわらかな薄黄緑色に息を呑んだ記憶があります。

   

 

私がちいさい頃から見慣れていたふきのとうは、もっと力強い黄緑色。

   

 

写真では違いがわかりづらいですが・・・。

 

沖縄で見つけたツユクサの花の色も印象的でした。

   

沖縄の、とっても淡い瑠璃色のツユクサ。 ↑ 

肉厚で、力強ささえ感じました。

 

こちら ↓ はこの辺り(東海地方)で見られるツユクサ。

とても薄くて繊細な花びらです。

   

どうして、このような違いが見られるのでしょうか・・・。

 

「想いは現実を引き寄せる」ということ。

 

動植物をよくよく観察すると、なるほど。。と感じさせられます。

生物の進化というのは、つまりは「こうなりたい・・」と願ったことが現実化した結果なのだと思います。

「大空を飛びたい」と願い、翼を得た鳥、

「敵の目からうまく逃れたい」と身体の色を変える術を得たカエルやカメレオン、

「もっと遠くまで子孫を増やしたい」と願い、種子にプロペラを付けたり、(松やモミジなど)

アリに運んでもらうため、種子に甘い突起(エライオソーム)をつけたり、(スミレやカタクリ)

・・・。

ちいさな昆虫、ちいさな草花でも、とても巧みな知恵を持ち合わせています。

 

これらは彼らが「意思」を持ち、長い長い時間をかけて祈り続け、

その想いを現実化させた結果(証明)なのだと思います。

 

その真実を人間に向けた時、祈ることの大切さを想います。

ジョン・レノンの「イマジン」の世界を、多くの人々がこころから願えば、

現実化されるのでは・・・と感じます。

 

瞑想して、こころを空にすることも大事かもしれない。

でも、祈ること、想像することは、

きっと、もっともっと大事なことですよね。。

 

写真のふきのとうやツユクサたち・・・、

どのような想いの違いが、このような差を産み出したのでしょうか。。。

 

 

     

 

 


歓喜の春

2011-02-19 | aynu

結婚後の一時期、北海道に住んでいたことがありました。


アイヌモシリの春は、一気に弾ける圧倒的な「歓喜の春」でした。

雪解けと共に、

      
     ふきのとう

   
     フクジュソウ

   
     ザゼンソウ

・・・などの早春の花々が林床に咲きはじめます。
   

すっかり雪がなくなると、

   
     エゾエンゴサク

   
     カタクリ


・・・などの「スプリングエフェメラル」と呼ばれる花々が咲き乱れます。


樹々が芽吹き始めたばかりの、まだ明るい林に足を踏み入れると、
歓喜のオーケストラが奏でられているかのような光景です。

   

ここは、旭川にあるカタクリの群生地。
敬愛する小野有五さんの著書 『自然をみつける物語2(森の時間)』の舞台になった場所です。

   

春の妖精たちは、今はまだ深い雪の下で、やがて確かに訪れてくれる春をじっと待っているのでしょうね。
( 写真のような光景が見られるのは4月下旬頃です。)

私の大好きな場所 (その2) です。