私にはもう一つ、千葉の海の想い出があります。
1980年、私が千葉市の幸町1丁目に住み、少年野球チームの監督をしながら、コミュニティづくりに携わっていた頃のことです。稲毛の人口浜に、6万本の黒松を植えようという運動がありました。植樹の当日は、お年寄りから子どもまで5千人が集まり、埋め立てで失われた浜辺を取り戻しすための壮大な作業が始まった。私も家族や少年野球チームを連れて参加した。千葉市の農政緑化部とコミュニティ課と市民が一体になって植樹し、20年以上の年月を経て見事な松原が広がっている。
この時のことは、カルチャー千葉 1981年創刊号に「磯の松原に見る新しい市民運動の芽」に書いた。
1980年、私が千葉市の幸町1丁目に住み、少年野球チームの監督をしながら、コミュニティづくりに携わっていた頃のことです。稲毛の人口浜に、6万本の黒松を植えようという運動がありました。植樹の当日は、お年寄りから子どもまで5千人が集まり、埋め立てで失われた浜辺を取り戻しすための壮大な作業が始まった。私も家族や少年野球チームを連れて参加した。千葉市の農政緑化部とコミュニティ課と市民が一体になって植樹し、20年以上の年月を経て見事な松原が広がっている。
この時のことは、カルチャー千葉 1981年創刊号に「磯の松原に見る新しい市民運動の芽」に書いた。