玉川上水をブラブラ歩く

2014年5月11日ブログを開設。
日常のよしなしごとを記す。

 母  その1 母の死

2016年05月05日 | 日記

母は今年3月6日、96才の誕生日を迎え、2日後に息を引きとった。
私と弟は3月5日、母の面倒を看てくれている大阪の妹の家に集まったが、母はもう、
我々と話せる状態ではなかった。

3月8日、妹は朝から調子が良くない母を毎週お世話になっている総合病院に
連れて行ったが、それから数時間後に死亡。妹は病院から死亡診断書をもらい、
田舎に住む弟と相談したうえ、病院が手配してくれた霊柩車に母を乗せ、
中国山脈の、四方を山に囲まれた村に連れ帰った。

母の遺体は8日~9日実家に安置し、村の方々に最後のお別れを告げた。
遺体は9日の夕方隣りの市の葬儀場に移され、11日夕刻通夜、12日昼葬儀を行った。
自宅でお別れをしたにもかかわらず、夫々200人、180人ほどの方が集まり焼香をして
下さった。

私は、故郷に向かう霊柩車の中からかけてきた妹の電話で母の死を知ったが
悲しみは全くなかった。むしろ開放感を感じていた。

母は妹のところで4年3ケ月暮らしたが、昨年9月、3日間ステイしていた病院で
脳こうそくで倒れた。それ以来、話もほぼできなくなり一日中目を閉じ、パイプを
通じて食事を与えられ、排せつをするだけになっていた。妹はそうした環境に母を
おいておけないと、1ケ月後再度自宅に引き取り、24時間介護を続けていた。

その頃、ほぼ毎日のように妹と電話をかけあい食事の準備や排せつ物の処理などについて
聞いていた私は、妹の健康が心配だった。今、妹が倒れたらどうなるんだ、いつに
なったら妹は母の介護から逃れることが出来るのか、とひたすら妹のことを心配していた。

母は96年を生き、大往生した。母は幸せな人生を全うした。(兄は7年前に死んで
しまったが)残った3人兄弟が団結して母を看、見送ったと私は今、そういう思いでいる。