1月16日、都心に行った。 歩き回ったので疲れたが、楽しい1日だった。
地下鉄日比谷線京橋駅
画廊「くぼた」。昔勤めていた会社の美術部OBの絵画展が毎年、この季節に開かれる。
私はここ10年ほど楽しみに通っている。風景画、人物画など30数点。気に入った数点を
デジカメに撮り作品名と作者名をメモ。
「来てくれてありがとう」。招待のメールをくれた先輩から声をかけられる。先輩の作品は御前崎の海を
走る漁船。富士山を背景に大漁旗を掲げている。 聞けば先輩の知人のロシア人実業家が、東京臨海部の
新築マンションの最上階を購入、そのお祝いのプレゼントに描いたものの由。
「ヘエー、あのロシア人が」と思う。私が会社に入ったころ、ロシアはソ連邦であり、共産主義国家だった。
人々は貧しく、パンを買うにも映画館に入るにも長い列に並んでいた。。。。
ソ連が共産主義を捨ててまだ30年経っていない。国の制度を変えただけで人々の暮らしがそんなに激変するものか?
京橋駅に戻り昼食。この辺もすっかり変わってしまった。1970年ころ、この近くに「第一ぬり彦ビル」
があり、ソ連東欧貿易会が入っていた。当時、モスクワ見本市の打ち合わせやシベリヤ開発の資料を
もらうためによく通った。当時は明治屋のビルだけが大きくて立派で、周りにはくすんだ建物ばかりだった。
ところが、今やその頃の面影はない。高層ビルが立ち並んでいる。その高層ビルの1階のシャレたレストランで
親子丼を食べた。 トロトロの卵が美味しかった。
地下鉄東西線竹橋駅からJR御茶ノ水駅へ歩く
昨年、友人からメールが入った。かつて我々が勤めていた会社が本社を他所に移し、竹橋の本社ビルが
解体されると。その現場を見、写真に撮って友人に送ってやろうと考えた。
16階建てのビルの周辺は幕が張られ、ガガーという工事の音だけが聞こえてくる。人影は全くない。
御茶ノ水駅に向かって歩き出す。博報堂が大規模な開発をしている。広い敷地内に立派な高層ビルを建て、小川を配している。 その奥にも高層ビルが2つ。昔、昼食の時間にあちこち歩いた頃の面影は全くない。
小学館ビルも立派なビルに変身。昔はここの地下一階の食堂によく来たが、今や全く変わっている。
1階のシャレたカフェで紅茶。岩波書店も立派なビルになっている。
神田の古本屋街を歩く。昔、このあたりにソ連書籍専門の「ナウカ」と「日ソ図書センター」があった。
街を歩き回りようやく「ナウカ」の後身「ナウカジャパン」を探し当てた。私が持っているロシア語の辞書、
ソ連・ロシア関係書籍を買ってくれないか聞いた。「買い取り」はしていない、ただ、書籍を店に置いて売る
「委託販売」はするとの回答。ここにお世話になることがあるかも、と思って辞去する。
「山の上江ホテル」に立ち寄る。フロントの前のソファで紅茶を注文。客は私以外に2組と少ない。私の席の
左側3-4メートルのところに元東大教授の姜尚中氏が座っておられた。氏は氏の正面に座る編集者と思しき3人に例の低い声で何事かを話しておられる。氏の声は低いが何故かよく聞こえる。時々、「日露戦争」とか「露土戦争」、「シベリヤ出兵」の言葉と編集者の笑い声が聞こえてくる。私は暖かい紅茶を飲みながら耳を
すました。
このホテルは文士が好んだことで知られる。池波正太郎はここに1週間ほど投宿し、絵を描いたという。
山口瞳は奥さんとともにこのホテルに泊まり、直木賞の応募作品を読んでいる。そして、五木寛之氏は、
私の記憶に間違いがなければ、このホテルに投宿中窓から投身自殺を図ったが、果たせなかったと書かれていた。
現役の頃、このホテルには何度かお世話になった。ロシア人を連れてステーキ、中華を食べた。特に、
忘れがたいのが天ぷらだ。モスクワ支店に赴任するH君と二人、打ち合わせを兼ねてここで天ぷらのコース
を食べた。4月はじめの頃で山菜の苦みが美味しかったことを思い出す。
地下鉄日比谷線京橋駅
画廊「くぼた」。昔勤めていた会社の美術部OBの絵画展が毎年、この季節に開かれる。
私はここ10年ほど楽しみに通っている。風景画、人物画など30数点。気に入った数点を
デジカメに撮り作品名と作者名をメモ。
「来てくれてありがとう」。招待のメールをくれた先輩から声をかけられる。先輩の作品は御前崎の海を
走る漁船。富士山を背景に大漁旗を掲げている。 聞けば先輩の知人のロシア人実業家が、東京臨海部の
新築マンションの最上階を購入、そのお祝いのプレゼントに描いたものの由。
「ヘエー、あのロシア人が」と思う。私が会社に入ったころ、ロシアはソ連邦であり、共産主義国家だった。
人々は貧しく、パンを買うにも映画館に入るにも長い列に並んでいた。。。。
ソ連が共産主義を捨ててまだ30年経っていない。国の制度を変えただけで人々の暮らしがそんなに激変するものか?
京橋駅に戻り昼食。この辺もすっかり変わってしまった。1970年ころ、この近くに「第一ぬり彦ビル」
があり、ソ連東欧貿易会が入っていた。当時、モスクワ見本市の打ち合わせやシベリヤ開発の資料を
もらうためによく通った。当時は明治屋のビルだけが大きくて立派で、周りにはくすんだ建物ばかりだった。
ところが、今やその頃の面影はない。高層ビルが立ち並んでいる。その高層ビルの1階のシャレたレストランで
親子丼を食べた。 トロトロの卵が美味しかった。
地下鉄東西線竹橋駅からJR御茶ノ水駅へ歩く
昨年、友人からメールが入った。かつて我々が勤めていた会社が本社を他所に移し、竹橋の本社ビルが
解体されると。その現場を見、写真に撮って友人に送ってやろうと考えた。
16階建てのビルの周辺は幕が張られ、ガガーという工事の音だけが聞こえてくる。人影は全くない。
御茶ノ水駅に向かって歩き出す。博報堂が大規模な開発をしている。広い敷地内に立派な高層ビルを建て、小川を配している。 その奥にも高層ビルが2つ。昔、昼食の時間にあちこち歩いた頃の面影は全くない。
小学館ビルも立派なビルに変身。昔はここの地下一階の食堂によく来たが、今や全く変わっている。
1階のシャレたカフェで紅茶。岩波書店も立派なビルになっている。
神田の古本屋街を歩く。昔、このあたりにソ連書籍専門の「ナウカ」と「日ソ図書センター」があった。
街を歩き回りようやく「ナウカ」の後身「ナウカジャパン」を探し当てた。私が持っているロシア語の辞書、
ソ連・ロシア関係書籍を買ってくれないか聞いた。「買い取り」はしていない、ただ、書籍を店に置いて売る
「委託販売」はするとの回答。ここにお世話になることがあるかも、と思って辞去する。
「山の上江ホテル」に立ち寄る。フロントの前のソファで紅茶を注文。客は私以外に2組と少ない。私の席の
左側3-4メートルのところに元東大教授の姜尚中氏が座っておられた。氏は氏の正面に座る編集者と思しき3人に例の低い声で何事かを話しておられる。氏の声は低いが何故かよく聞こえる。時々、「日露戦争」とか「露土戦争」、「シベリヤ出兵」の言葉と編集者の笑い声が聞こえてくる。私は暖かい紅茶を飲みながら耳を
すました。
このホテルは文士が好んだことで知られる。池波正太郎はここに1週間ほど投宿し、絵を描いたという。
山口瞳は奥さんとともにこのホテルに泊まり、直木賞の応募作品を読んでいる。そして、五木寛之氏は、
私の記憶に間違いがなければ、このホテルに投宿中窓から投身自殺を図ったが、果たせなかったと書かれていた。
現役の頃、このホテルには何度かお世話になった。ロシア人を連れてステーキ、中華を食べた。特に、
忘れがたいのが天ぷらだ。モスクワ支店に赴任するH君と二人、打ち合わせを兼ねてここで天ぷらのコース
を食べた。4月はじめの頃で山菜の苦みが美味しかったことを思い出す。