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あしたはてんき。

過労でうつ病。
ひと休み。(・∀・∩)

しろきやのかじ。

2011-08-25 23:00:09 | Weblog
昭和7年12月16日午前9時15分。

この頃は白木屋呉服店と呼ばれていた白木屋4階から出火。
午前9時に開店したばかりだったが歳末の売り出しセールの最中で客も多かった。
火は4階、5階を全焼させ、客や店員は屋上へと逃れた。
この頃の消防技術では4階、5階といった建物でも「高層建築」とされ全く手がでない状態だった。
東京に3台しかない梯子自動車のうち1台が、消防夫が沢山乗りすぎて梯子が折れるという珍事もあった。

戦前にはアドバルーンが非常に効果的な宣伝手段で、昭和11年の美ち奴が歌いヒットした「ああそれなのに」の出だしも♪空にゃ今日もアドバルーン、とある。
4階、5階が「高層階」というのだから、戦前の東京の街並みは推して知るべしであろう。非常に視界が良かったという事になる。
また戦前は東京の中心が現在より東にずれていて、新宿は郊外の部類で、日本橋、銀座、浅草が東京の中心であった。
日本橋のデパート火災のインパクトは今ならさしずめ、新宿や池袋、渋谷で駅ビル火災といった感じだろうか。野次馬が殺到して物凄かったのである。

白木屋火災の出火場所は4階玩具売り場だった。
クリスマスの飾りの豆電球に漏電で発火、吊るしてあったセルロイドの玩具に燃え移り、あっという間に店内に燃え広がった。
この火災に陸軍では飛行機や歩兵連隊を出動させ客の救援を試みている。
現在でも大災害には自衛隊が出動するが、戦前には陸軍や海軍が大災害の時には救助作業の主力となった。
この白木屋火災では陸軍が飛ばした飛行機の大活躍で、多くの客の生命が救われた。
陸軍の飛行機7機が投下したロープによって、屋上に避難した多くの客が無事に火から逃れて地上に降りる事が出来たのだった。

火災は昭和7年12月16日午前12時半に鎮火、4階以上は全焼した。
白木屋では12月2日に防災訓練をしており、5階から救助作業のデモンストレーションまでしたのだが、訓練と実際の火災とは大違いだというのを関係者の目にまざまざと焼き付けさせた火災でもあった。
火災と同時に地下室も停電となり、パニックに。向かいのビルまで火災の熱気が物凄かったという。
白木屋の屋上にはよりによってこの火災の時、ライオン2頭が客寄せ用に飼われていて、煙を見たライオンは大暴れをして避難客は恐怖に震えたという。
一方、火事見物をしていた外資の石油会社社員のC・W・アイヤースは呉服橋に止めておいた車を乗り逃げされるという被害に遭っている。

この火災の死者は12月16日時点で男6人女7人の13人だった。うち12人が店員で、残る1人は書画骨董展の陳列に訪れていた京都市の美術関係者の男性だった。
売り場で死亡した玩具部副主任の男性以外はほとんどが避難の際に墜死したものだった。
反物を伝って下に降りようとしたのだが、途中で反物が切れて墜死したのである。
その後、女性店員が死亡して死者は14人となっている。

女性店員の多くは着物の下には腰巻(腰に巻く布のようなもの)だけでズロース(パンツ)は履いておらず、この頃の女性の恰好はこれが普通であった。
それがロープで避難する時に風で着物の裾がめくれると、下の見物人の好奇の目にさらされるのが若い女性なら恥ずかしく、手で裾を押さえながら避難しようとしたからロープを持つ手が緩んで墜死したという噂が立った。

12月23日の東京朝日新聞朝刊には「ビルの居住者や外出婦人への戒め、体験から非常の場合を語る、白木屋の山田専務」と山田忍三専務の談話として、「女店員が折角ツナを或はトヒを伝はって降りて来ても、五階、四階と降りて来て、二、三階のところまでくると下には見物人が沢山雲集して上を見上て騒いでゐる、若い女の事とて裾の乱れてゐるのが気になって、片手でロープにすがりながら片手で裾をおさへたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまったといふやうな悲惨事があります」との記事が掲載された。山田専務は出火時に屋上へと上がり、最後の店員が避難するのを見届けて午前10時40分に退避しているから、これは伝聞情報などではなくて恐らくは山田本人が目撃した情景なのであろう。
ただ山田専務は女性店員が裾に気を取られて墜落した事例があるとは言っているが、死亡したとは言っていない。

12月28日の都新聞朝刊には「女性に警鐘、生死を分けた下ばきの有無」として、「白木屋の火災に当って猛火に追われた女達が、咄嗟の場合にロープまたは帯を繋ぎ合わせて降下運動を試みた瞬間、ズロースを穿いてゐぬために、下から煽られる風に裾が捲くれアッといふて身づくろいする途端、両手がお留守となって命綱ともいふべきものを放し、惨死したことを聞きました」との記事が掲載されている。

この火災での女性の死者は8人でいずれも店員であった。うち7階食堂に勤務していた5人は、友人同士の2人(17、18)が一緒に飛び降りて死亡、さらに1人(17)が父親の写真を身に付けて飛び降りて死亡している。
残る2人のうち1人(17)は6階の窓から飛び降りたとも、煙に巻かれてロープを離して墜落死したともされ、もう1人(19)も煙に巻かれてロープの手を離して墜落、夜になって死亡している。

6階の経理部で仕入勘定掛をしていた女性(26)はロープが焼き切れて墜落死し、同じく6階で出納係レジスター掛だった女性(28)はロープで避難する際にブリキに引っかかって墜落し、12月17日夜に死亡している。また6階特売呉服38売場で働いていた女性(22)は雨樋を伝って避難していたが腕が疲れて転落、夜に死亡している。
このように実際には裾の乱れによる羞恥心からロープを手離して死亡した事例は存在しなかったが、ズロースの話は白木屋火災の象徴のように後々まで語り伝えられていく事となった。

なお白木屋は12月24日午前10時に開店、午後1時までに6万人が押しかけ、1時間で5度の客止めをする盛況となった。
この白木屋火災は日本で歴史上、2番目のデパート火災であった。
日本最初のデパート火災は12月2日、静岡市呉服町で田中屋百貨店という4階建てデパートで起こり、2人が死亡している。


(`・ω´・)b コピペしたんだZⅡ

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