一番心配なのは暑さ。対策はしっかりできているか。
見どころは、日刊がわかりやすい。
https://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/201808040000498.htmlみよう
著名な高校ならテレビ観戦してみようかという気持ちになる。
開会式 9:00
第1試合 10:30 星稜
第2試合 13:00 済美
第3試合 15:30 慶応
一番心配なのは暑さ。対策はしっかりできているか。
見どころは、日刊がわかりやすい。
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著名な高校ならテレビ観戦してみようかという気持ちになる。
開会式 9:00
第1試合 10:30 星稜
第2試合 13:00 済美
第3試合 15:30 慶応
ベーブルースが10勝、10本塁打の年は50奪三振していない。
ベーブルースの初期の記録
1914年 19歳 2勝1敗 3.91 23.0回 3三振 0本塁打 .200
1915年 20歳 18勝8敗 2.44 217.2回 112三振 4本塁打 .315
1916年 21歳 23勝12敗 1.75 323.2回 170三振 3本塁打 .272
1917年 22歳 24勝13敗 2.01 326.1回 128三振 2本塁打 .325
1918年 23歳 13勝7敗 2.22 166.1回 40三振 11本塁打 .300
1919年 24歳 9勝5敗 2.97 133.1回 30三振 29本塁打 .322
レッドソックスから、ヤンキースに移籍
1920年 25歳 1勝0敗 4.50 4.0回 0三振 54本塁打 .376
今と比べると、当時は奪三振が非常に少ない。
ウォルター・ジョンソンでさえ、低い奪三振率だった。
1915年 336.2回 203三振
1916年 369.2回 228三振
1917年 326.0回 188三振
1918年 326.0回 162三振
この数値でも、リーグ1位の奪三振だった。
本塁打はたまに打っていたが、打率はジリ貧で2割5分台にまで落ちていた。
マルチでも3安打以上打たなければ、打率はなかなか上がらない。
1年目でも11本塁打は素晴らしい。ほぼフル出場していた日本人野手と比べると大谷の本塁打率は高いはず。
1年目日本人選手本塁打ランキング
1位 18本 城島、2006年 144試合 542打席
2位 16本 松井秀、2003年 162試合 695打席
3位 15本 井口、2005年 135試合 582打席
4位 11本 大谷、2018年 58試合 205打席
5位 10本 新庄、2001年 123試合 438打席
10本 福留、2008年 150試合 590打席
10本 青木、2012年 151試合 588打席
一番打席数の少ない新庄の438打席の半分以下の打席での二桁本塁打。
松井秀と同じ595打席なら、計算上では37本塁打となる。
エンゼルスの残り試合は51試合。投手でも復帰できれば、野手での出番がへるが、このペースなら20本塁打を打ってもおかしくない。