最近、ある知り合いのセラピストの先生と話す機会がありました。
子供を連れて会いにいったんですが・・・
すると、先生がうちの子とじ~~~と目を見合わせていました。
その後、「お前が健康だから、この子も大丈夫だ。」と一言。
え~~そんなことわかるんですか!ともうちょっと聞いてみると、
「少し愛情が不足してるかもしれないな。でも、目をじっと見ることができる子っていうのは、正常な証拠だ。大丈夫。忙しいから、愛情が不足するのは当たり前だし、”愛情、いっぱい注いだから、これでもう大丈夫”ってのはないだろう?これから、ない中に時間を見つけて、目を見つめて、アイデンティティに関することを伝えてあげればいい。”お前は大事だよ”とかそういうことをね。」
先生いわく、全ては「目」がその人を語っているとか。
そういえば、私もクワイアを教えるとき、必ず、一人ひとりの目を見て指導するようにしているし、M4Uで何か人に語りかけるときにも、顔をみて話すなぁ。
また、聖書にかかれているJesusも、同じだった。
必ず、なにかその人に奇跡や関わりを持とうとするとき、まず「その人を見た」と記述してあります。
忙しいとき、確かに、目を見て話すってことはできないよな。
そういえば、子供って、なにかするときに「お母さん、見て見て~」って言いますよね。
見られること・・・・関心を持ってくれること・・・・愛されてると感じること・・・
人間は欲しているんだな。
神様は、ずっと見てくれている。
His eye is on the sparrow....and I know He watches me....
彼は一羽のすずめにも注がれている。そして、この私も見てくれている。