情況物語

所詮公開日記です。

919USJれぽ~20日大阪編

2006-09-22 21:47:16 | Takanori Nishikawa
画像は、見てのまんま
歴代の有名人が来場のVestigeを残してくらしい(上手いっw←って誰か言ったげて)

前日パークを後にしたのは、まだまだ夜もこれからって時間帯だったんだけど、なんせ東京からの車の旅と(あたしは岩手からなんだけどね)一日テーマパークを歩き回ったのと、西川目の前にすると無条件に急上昇してしまうテンションに、どーにこーにもぐったりだった。

あ、でもあたしとMはもー疲れたー眠いよってなってたのにEは全然元気だったな。体力には自信あるって日頃から公言してるしな(まーEが一番若いてのもあるんだろうケドね

風呂入ってさっさと休むつもりだったんだけど、なんやかんやで、結局1時回ってたね。女3人寄るとねー。積もる話もあるわけよ。って、いや、そない話してないな…何やってたんダロ。。。



                

よくあさ


ちょっと早めに起きてUJSゲート前で記念撮影するつもりだった。
(19日は人がうじゃうじゃいすぎて、どーも撮影意欲が湧かなかったのでね。20日の朝なら空いてるかなーと思って)
だらだら準備しながら、朝のニュース番組張ってたわけよ。いつものように映るかなーどうかなーって。
ズームインは残念だったね。せっかくテロップ出たのに一番最後だったしね。しかも、体操か何かの生放送やってたしね。タイミング悪いったらありゃしないね。
実は、6時台の関西ローカル番組で結構長い時間流れてたらしい。
テレビはつけてたけど爆睡だったよ…。
ガッカリ(´・ω・`)ショボーンで、見慣れた目覚ましに変えたら、

キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!

まさか蝶ネクタイで映像来るとは思わなかった。ここ最近スルーだったもんね。
「存在自体がテーマパークみたいな方ですから」
軽部、あんた上手いこと言うね。
でもそれ、ちょっとギリかもよ。ギリ侮辱罪かもよ。
まぁ扱ってくれるだけおいしいけどね。そういうことにしといてあげる。

とりあえず部屋中3人でキャーーーーーって叫んどいた。
多分、隣の部屋も上の部屋も下の部屋もそんな感じだったと思う。


10時集合でなおかつチェックアウトも10時だったんだけど
15分くらい遅刻した気がする。
てか、ありなのかそれ?!って話だが。
いやね、部屋出たのは9時55分くらいだったのよ。
ま、それでもギリなんだけどさ。
一応5分前行動で動いてたわけ。
でさ、廊下出たらさ、

長蛇の列www

うわっ忘れてた!ツアー客が何人泊まってるかすっかり忘れてた!!
しかもよ、時間的に一般客も混じってるわけよ。
6基のエレベーターフル稼働ですよwww
最初来た時は6基もいらんだろ、って思ってたけど、高層階の物件には見事に必要でした。
で、どうせみんな遅刻なんだから仕方ないですってことで、堂々と遅刻(おい)
これがね、もうちょっと下の階だったら階段で行く気にもなったんだけど、9階だからね、フロントある3階までちょーっと重い荷物持ってはきついよねー。

そうして、バスは大阪某所へ。
連れて来られたのは、今年のツアーの初日を飾ったフェスティバルホールでした。
まさか、初フェスがLIVEではなくTURBOツアーになるとはねー。

さて、こっからが記憶との勝負ですよ。
がんばれ、がんばれあたし。のうみそひっかきまわせ。
(てか、記憶補完しに他人のブログ覗いてくっかなーとかちょと誘惑に負けそう)

会場に到着したのは11時くらい。
イベントまで時間があるので、自由行動とします。12時に、集合してください…と。
朝食をとったのがほんの数時間前なので、食欲はなかったけど喉を潤したい気はした。トイレも行っときたいしってことで近くのカフェにて休憩。
イベント自体は13時からで、集合が12時ってことは、1時間くらい座席でまったり待たされるんだろーなーと、のん気に考えてた。

でもさー、これが、違ったんだなー。会場の準備なのか西川の入りの時間帯なのか知らんけど、フェスの周囲をぐるっとわしらで囲み、かなりの時間突っ立って待たされてしまった

動かない列の中でじっと待ってんのは、本当に辛いものよ……
遅刻気味に12:30くらいに行って最後列に並んでも良かったんじゃないかと今では思う。
ああそうだ思い出した、何でアタシがこんなに辛かったか!!
そうだよ、予想外にも歩くちゃんになってしまったわけだよ!!予定より何日か早いような気がするが、これでいいような気もする…ってか、連日ワクテカコーフン(゜∀゜)のあまりすっかり、すーーーーーかりイチゴチャンの準備なんか頭になかったんである。んもーサイアクッスよなんせあたし生理痛めちゃめちゃ重いし

ん、でもね、この日は全然楽な方だった。凄い助かったよー。神様ありがとう!!
これが判ってたら、もうちょっと体を冷やさない格好とかしてたんだけどー。スカートだったからひざから下が冷えてちょい泣きそうになったくらい。これで済むなんて、あたしホントにらきぃ


でもまぁ、そんな愚痴は置いといて、

アタシの座席は14~5列目辺り、LIVEで言ったらSUNAOさん側。
ステージにはスクリーンが設置されてて、TURBO STUDIOっつー字面が、スクリーンセーバーみたいな感じで動いてた。
時計みたいなのとかね、斜めにシャキーンって感じでね、全体的にオレンジというかやまぶき色というか

着席してから数回ほど、女性の声でアナウンスがあった。
ツアーご参加ありがとうございます、って挨拶と、今後の予定。
・Movie Meeting
・Ann Special Talk Live
・Group Poto Session
・西川貴教の今後の活動について

定刻になって、ステージのスクリーンに映像が流れ始める。

学校という設定なのか、黒板の上に将軍様をパロったとしか思えない西川の写真(ちと鼻の穴が目立つんじゃ?な、ここ最近のアー写に詰襟の黒い制服を無理やり合成させたもの)
映像は、TMRの活動ごとに1時間目、2時間目…と流れていって、間、間でパッション屋良がおなじみのギャグで繋ぐという…。
何で彼が出演していたのかという謎は、繋ぎに使ってたジングルがDYNAMITE PASSIONだったからではないかとあとでネット見て知った。
芸細めーーーー∑( ̄□ ̄;)!!

しかし、流れで結局やらなかったけど、
ニシカワタカノリショウグンマンセ━━━━ヽ(`∀´ )ノ━━━━!!!!
ってのは、ちょっとやりたかった。
やりそうだったのにやらんかった。
あれでやってたら、屋良は神だったのに。

それにしても、あの映像は多分15分くらいなもんだと思うんだけど
なかなかどーして、素晴らしい流れだったよ。
TMR、西川の10年の奇跡をたどった映像だったんだけど、
TMRに詳しくない一般人でも分かりやすいような、
けど、そこは大事はずせない!!って言う部分は、ちゃんと押さえてて
あたし達みたいなマニアにゃーたまらんツボも突いてて
なにこのT.M.Revolutionを知り尽くした作りはーーーっ!?この仕事只者じゃないわーーって感心しながら見てたんだけど。

どうやらこの編集は、石川の仕事だったらしい。

映像が流れた後の、Ann Special Talk Liveでちろっと話していた。

さてそのAnn Special Talk Liveだけど、Aコース参加者には事前にメールの募集をかけられていた。内容は簡単で、西川さんへの質問を、というもの。

やや時間差で登場した二人は、今日に到るまでの事のいきさつを話す。
『石:7月の中旬くらいにこいつから連絡が来た。9/20暇?って。そんな先の予定なんかわからん!』
『石:FCのイベントがあるんだけど、ちょっと手伝ってくれないって。オマエ、あん時、ち ょ っ と(ここ強調)って言ったよな?』
『西:うん、言ったねぇ』

ところが、この日の全体の構成やら冒頭の映像やら、果ては司会まで、結局俺がやる羽目になった…話が違う!!というような流れで、
石川はちょっと緊張気味なのか、落ち着かない感じではあったけど、それでもトークになってくると乗ってくるステージ上の二人。

散々話した後で、
『石:てかさ、立ち位置かわんない』
と、まるで芸人のようなセリフですな。
なんかね、ラジオん時は、立ち位置じゃないけど向かって左が西川で右が石川っていうポジションで放送してたんだって。だから、逆だとやっぱ落ち着かないみたいな。

立ちっぱなしもあれなんでーと、きちんと放送席のようなテーブルが用意される。

石川が、用紙の山をがさがさしながら
『石:事前にメールで募集してたんだけど、まずねぇこんなの来たよ。西川さんは、足のつめは自分で切るのですか?』
石川、あきれ気味に。でも会場は笑ってた。
『西;切りますよーそれくらい。あ、でも、刃の部分が丸くなってるヤツじゃなくてまっすぐなやつをこだわって使ってる』
石川、そんなんどうでもいいし。みんな食いついてきてないし。みたいな切り替えし。

あとは、お二人の関係はどういったかんじなんですか?
っていう質問に、
友達とも違うし、仕事仲間って言うにも何か違うし、プライベートで二人で飯食いに行くって事もほとんど無いしね。
強いて言うなら、ダウンタウンさんみたいな、相方ってのが近い関係なのかなぁ?

私は、ここでDTの名前が出た事がとても嬉しかった。
何でって言われても困るけど。
私が西川に関わるようになったのは、この人達が原因でもあるので(ある意味余計なことをしてくれたよw)

二人の初顔合わせの時の思い出話なんかもしてくれた。
あの頃は、お互いギラギラしてたよな、みたいな。
ぜってー天下取ったる、みたいな、野心に燃えてたなって。会った瞬間わかったとかなんとか話してた。

そんな光景、容易に想像がつく私は何者だろう……

あとはー、大昔の懐かしい放送をテープもって来て流してくれたり。
当時のネタでWAになって踊ろうってのがあったけど、それのネタはがき読んで一番長く笑った放送のテープとか。ホントに1分くらい笑ってたwこの放送はあたしもちゃんと覚えてたよ。
あと!かづかづのレイブの中でも最大級という伝説の、サマクラ02後、ホンマに抱きつけレイブ

なんとあたし、これ知らなかったんだよねーーーΣ(*゜Д`;)
サマクラ後に友達がケータイラジオもって来てて、ゆりかもめの中で3人で聴いた記憶はあるけど。この辺りは、長野にリゾバ行ってて、毎週ちゃんと聞けてなかったからラジオ離れしていた時期だったのよね。
よっぴーが骨折し、石川が始末書だか顛末書だかなんだかを書かされたというあの伝説のレイブを、家庭用ビデオに撮って記録していたリスナーがいたんだって。
で、(かれこれ4年も前の話だけど)テープをね、送ってくれたらしいんだが、ラジオじゃぁ発表の場が無いでしょ。
それをー、本日この場で4年のベールを脱いで大公開!!みたいな。

映像は、とても臨場感にあふれていて「ホンマに抱きつくとスッテカーもらえるって」という周囲の声、ぞろぞろと歩くサマクラ帰りのファン達から始まった。
まるでブレーメンの音楽隊のようだっと思ったら、石川か貴教かも同じことを言って、同時にPide Piperが脳内再生され、そんな自分にウケタ。

そぞろ歩くオタ、事態が収拾付かなくなり、放送ではホンマの身が危険(平成のお台場ですよww冷静に考えてバカウケ)現地へは当時まだニッポン放送アナだったよっぴーが企画の中止、事態の説明をしてるところが映し出された。
ブーイングの中「文句は全部放送作家の石川に言ってください。彼が主犯です」
みたいなご案内のよっぴー(それってありなのかw)
そんなよっぴーの後方、少し離れたところでひっそりたたずむホンマに向かって、どこぞの青年が


タックル!!!

会場爆笑(そしてちょっと心配そうな声)


いやはやすっげーーもんみせてもらった。

時代が時代だけに、まだカメラ付きケータイも普及しておらず、もちろんムービーなんてあるわけが無く。
そんな中で、家庭用ハンディカムもってサマクラに参戦してたってのは、よくよく考えるとまぁ、あれだが、撮影主さんのお陰で、4年後こうして貴重な映像にありつくことができたわけだ。

このレイブでよっぴー骨折してたのよね(´ヘ`;)
それ考えると群集って恐ろしい…(しかも自分の同朋かと思うとますます恐ろしい)


あとはね、放送中の服装は?みたいな流れの時に、
LIVEであちこち飛び回ってた99年か00年あたりだったかな、きっとまだANNに予算があった頃ってことかしらね。生放送にこだわっていた西川自身の声に製作側も共感してて、そのせいか地方出しがとても多かった(なつかしー)
遠征先のラジオ局を借りたり、それも難しい時は、ホテルの一室に機材を設置したり。そんな、宿泊先件、即席スタジオとなったホテルの一室でのワンショット。


パジャマで生放送


もうこれも、会場へんなどよめき。爆笑とパジャマかよ?!と、若干の萌え。
髪型からして、相当昔。佐賀だか熊本だか…とにかく九州でのLIVEのときだったはず。

おまえラジオなめてるかwみたいな石川の言葉に、だって、放送終わったら寝るだけなんだもんLIVE終わりでシャワーも済ませてるしさ(´・ω・`)という、開き直ってんだかすねてんだかあんまりいいわけがましくない貴教。


そんな流れで、
あとまだまだ話してたけど、

とりあえず、一区切りつけますか。


最新の画像もっと見る