コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
私もアップしています
(
桃太郎
)
2006-10-17 03:26:24
この本を最初に知ったとき、過去のものとして「遺産」=遺物にしてしまえ!と言うネガティブなイメージで捉えていました。
「「遺産」になってしまったものを現実の力にするには、また難関が待っているに違いない。」と言う田中さんの発言は的確です。単なる直感ですが、一度失えば少なくとも100年は取り返せないんじゃないかと思う。
田中優子の姿勢
(
これお・ぷてら
)
2006-10-17 05:10:27
コメントありがとうございます。
このエントリーの冒頭に書いているように、評者の太田光にたいする評価をたしかめ、同時に評者の主張に今度はこちらが批評を加えようという魂胆があって、田中優子をとりあげました。
田中の常々の発言は、たとえば「サンデー・モーニング」などでのそれで分かるように、改憲にたいする姿勢は明確です。
『憲法九条を世界遺産に』を読んで私はたくさんのことを考えさせられました。
今後ともよろしく。
おはようございます
(
ロキ
)
2006-10-17 05:13:04
>時代の変化に従い、社会の実情に合わせて理想を改変しよう、という考えを「堕落」という。
やたらと厳しい意見ですね。読んでいて身がすくんでしまいます。
確かにその通りなのかもしれませんが、我々が理想としているものが、果たして「理想」として足るべきことであるかどうかは、ときどき振り返ってみる必要だってあるんじゃないでしょうか。
Unknown
(
これお・ぷてら
)
2006-10-17 06:22:15
田中の姿勢でしょうね、これは。
それと、カッコ付の言葉は含意させる何かがあって、その点であいまいさも生じますね。
ただ、「二度と取り消しがきかない」ものを理想だと理解すればどうでしょうか。
>我々が理想としているものが、果たして「理想」として足るべきことであるかどうかは、ときどき振り返ってみる必要だってある
この理想をたとえば「正しいとおもっていること」「善だと思っていること」などに置き換えてみると、まったくこの態度は同感です。
たびたび申し訳ないです
(
ロキ
)
2006-10-17 15:06:17
>「二度と取り消しがきかない」ものを理想だと理解すればどうでしょうか。
私にはその辺りの価値観がどうもよくわかりません。
こちらの解釈が不十分であれば申し訳ないのですが、
「失ったら取り戻せるかどうかわからない」ことよりも、「今自分達にとってそれが本当に必要なのかどうか」のほうが問題じゃないかと思うんです。
理想と「理想」
(
これお・ぷてら
)
2006-10-17 16:15:47
私の理解は以下のとおりです。
田中は、田中のいう意味で日本国憲法を理想だと認識しているのです。これに対して、ロキさんにとって、日本国憲法はおそらく「『理想』として足るべきことであるかどうかは、ときどき振り返ってみる」対象でしょうから、ロキさん自身がいみじくもカッコでくくられていますが、田中の理解とは異なる、まさに「理想」なのです。
日本国憲法を理想と考えるまでに田中がどのような思考経路をたどったのかどうか、それを私は知る術がありません。むろん思想的な営み―あるいは認識の深まりといってよいのかもしれませんが―があったはずです。
要するに、田中にとって、日本国憲法は彼女自身の理想であって「二度と取り消しがきかない」ものなのです。この点がロキさんと異なるのではないか、と思うのです。
いうまでもなく、どのような理由であれ今、ロキさんもおしゃるように憲法を擁護することこそ大事だと私は思います。
Unknown
(
ロキ
)
2006-10-17 17:06:40
わかりやすい説明ありがとうございました。
違うなあ
(
千年虫
)
2006-10-19 21:00:51
このオバサンは根本的なことを勘違いしていて、ロキさんもこれおさんもそれに引き摺られてますよ。
>「遺産」になってしまったものを現実の力にするには、また難関が待っているに違いない。
何訳分からんことほざいてんだか……。
遺産は使えます。ていうより、有効に活用して何ぼです。
だから相続税を掛けられたり、推理小説で遺産目当ての殺人が起きたりするんでしょ。
ましてや世界遺産というのは文化・自然資源として、非常に価値のあるものです。
「ワシらの街が世界遺産として認められた。快挙だ。名誉だ。嬉しい。でも観光客が来すぎて荒れるのが心配」という話は聞いたことがあるけど、「ワシらの街が世界遺産にされてしまった。おしまいじゃ~っ(b号泣)」なんてありえません。
遺産という語にカッコを付けていることから、一般とは違う用法、自分なりの定義づけを意識しているのでしょうけど、それならそれと説明しなければ、受け手が混乱するだけです。
あるいは、意地悪い見方をして、ネガティブイメージの喚起を狙ってるのか。
いずれにせよ、まともな書評ではなさそうです。
敢えて何か反応するとすれば、田中さんにではなく、新聞社にでしょう。
「編集は原稿をきちんと確認して、常識的に解る文章を載せろ」と。
田中のいう「遺産」
(
これお・ぷてら
)
2006-10-19 22:50:26
千年虫さん、こんばんは。
>>「遺産」になってしまったものを現実の力にするには、また難関が待っているに違いない。
何訳分からんことほざいてんだか……。
遺産は使えます。ていうより、有効に活用して何ぼです。
だから相続税を掛けられたり、推理小説で遺産目当ての殺人が起きたりするんでしょ。
私の拙い文章では、「評者の主張に今度はこちらが批評を加えようという」魂胆がどうやら伝わらなかったようですね。
私は田中のいうところは、以上の千年虫さんの引用されている部分について限っていえば、寸分の狂いはないと思っています。
世界遺産、「遺産」と田中がよぶ際の概念を見極める必要があるのでしょうが、世界遺産とよぶのは、千年虫さんのいわれるところと差異はとりあえずないでしょう。問題は、田中が「遺産」とよぶものです。私はエントリーにあるように以下のように解釈したのでした。
田中は「遺産」、つまり日本国憲法がほんとうになくなってしまい、過去のものになってしまったら、たとえば文書としてのみ残ったとしたら、と仮定して語っている。そうなったら-カッコでくくられた遺産が再び-現実の規範になるのは困難だろう。
>世界遺産というのは文化・自然資源として、非常に価値のあるものです。
「ワシらの街が世界遺産として認められた。快挙だ。名誉だ。嬉しい。でも観光客が来すぎて荒れるのが心配」という話は聞いたことがあるけど、「ワシらの街が世界遺産にされてしまった。おしまいじゃ~っ(b号泣)」なんてありえません。
このように千年虫さんがおっしゃることは、田中の説くところとは、その意味で全くすれ違っていると私は率直に思います。そんなことは、田中優子は少なくともいっていない。世界遺産と「遺産」をあえて田中が峻別する意味はどこにあるのでしょうか。そこは読者が読み取らなければならないのかもしれません。
私は、田中の説くものは、「ネガティブ」でもなんでもなく、まさに日本国憲法が、なかでも九条が「二度と取り消しがきかない」ものとして、換言すれば理想とするにふさわしいとのべる田中・中沢への共感だと理解するのです。
なるほど
(
千年虫
)
2006-10-20 00:57:23
実は引用されている文にあまりの違和感を覚えたので、元記事に当たらないまま文句を付けたのですが。
これおさんのレスを読んで、やはり田中さんてズレてると感じました。
>このように千年虫さんがおっしゃることは、田中の説くところとは、その意味で全くすれ違っていると私は率直に思います。そんなことは、田中優子は少なくともいっていない。世界遺産と「遺産」をあえて田中が峻別する意味はどこにあるのでしょうか。そこは読者が読み取らなければならないのかもしれません。
新聞の書評って、読者に書評自体の解釈を求めるのではなく、評している本への興味を持ってもらうのが、一番の役目でしょう。
もちろんその上で評論として独立しているのが理想ですが、そのときでも読者の性格を考えると、中学生でも分かるほど、平易なことが望まれます。
毎日新聞にせよ田中さんにせよ、どうもそのあたり、勘違いしてるんじやないかな? やっぱり。
とはいえ憲法について太田氏、中沢氏に共感しているというなら、これ以上突っ込む気はありません。
基本姿勢が同じなら、バリュエーションはいろいろあった方がいいと考えますので。
それに何より、くたびれそう……。
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「「遺産」になってしまったものを現実の力にするには、また難関が待っているに違いない。」と言う田中さんの発言は的確です。単なる直感ですが、一度失えば少なくとも100年は取り返せないんじゃないかと思う。
このエントリーの冒頭に書いているように、評者の太田光にたいする評価をたしかめ、同時に評者の主張に今度はこちらが批評を加えようという魂胆があって、田中優子をとりあげました。
田中の常々の発言は、たとえば「サンデー・モーニング」などでのそれで分かるように、改憲にたいする姿勢は明確です。
『憲法九条を世界遺産に』を読んで私はたくさんのことを考えさせられました。
今後ともよろしく。
やたらと厳しい意見ですね。読んでいて身がすくんでしまいます。
確かにその通りなのかもしれませんが、我々が理想としているものが、果たして「理想」として足るべきことであるかどうかは、ときどき振り返ってみる必要だってあるんじゃないでしょうか。
それと、カッコ付の言葉は含意させる何かがあって、その点であいまいさも生じますね。
ただ、「二度と取り消しがきかない」ものを理想だと理解すればどうでしょうか。
>我々が理想としているものが、果たして「理想」として足るべきことであるかどうかは、ときどき振り返ってみる必要だってある
この理想をたとえば「正しいとおもっていること」「善だと思っていること」などに置き換えてみると、まったくこの態度は同感です。
私にはその辺りの価値観がどうもよくわかりません。
こちらの解釈が不十分であれば申し訳ないのですが、
「失ったら取り戻せるかどうかわからない」ことよりも、「今自分達にとってそれが本当に必要なのかどうか」のほうが問題じゃないかと思うんです。
田中は、田中のいう意味で日本国憲法を理想だと認識しているのです。これに対して、ロキさんにとって、日本国憲法はおそらく「『理想』として足るべきことであるかどうかは、ときどき振り返ってみる」対象でしょうから、ロキさん自身がいみじくもカッコでくくられていますが、田中の理解とは異なる、まさに「理想」なのです。
日本国憲法を理想と考えるまでに田中がどのような思考経路をたどったのかどうか、それを私は知る術がありません。むろん思想的な営み―あるいは認識の深まりといってよいのかもしれませんが―があったはずです。
要するに、田中にとって、日本国憲法は彼女自身の理想であって「二度と取り消しがきかない」ものなのです。この点がロキさんと異なるのではないか、と思うのです。
いうまでもなく、どのような理由であれ今、ロキさんもおしゃるように憲法を擁護することこそ大事だと私は思います。
>「遺産」になってしまったものを現実の力にするには、また難関が待っているに違いない。
何訳分からんことほざいてんだか……。
遺産は使えます。ていうより、有効に活用して何ぼです。
だから相続税を掛けられたり、推理小説で遺産目当ての殺人が起きたりするんでしょ。
ましてや世界遺産というのは文化・自然資源として、非常に価値のあるものです。
「ワシらの街が世界遺産として認められた。快挙だ。名誉だ。嬉しい。でも観光客が来すぎて荒れるのが心配」という話は聞いたことがあるけど、「ワシらの街が世界遺産にされてしまった。おしまいじゃ~っ(b号泣)」なんてありえません。
遺産という語にカッコを付けていることから、一般とは違う用法、自分なりの定義づけを意識しているのでしょうけど、それならそれと説明しなければ、受け手が混乱するだけです。
あるいは、意地悪い見方をして、ネガティブイメージの喚起を狙ってるのか。
いずれにせよ、まともな書評ではなさそうです。
敢えて何か反応するとすれば、田中さんにではなく、新聞社にでしょう。
「編集は原稿をきちんと確認して、常識的に解る文章を載せろ」と。
>>「遺産」になってしまったものを現実の力にするには、また難関が待っているに違いない。
何訳分からんことほざいてんだか……。
遺産は使えます。ていうより、有効に活用して何ぼです。
だから相続税を掛けられたり、推理小説で遺産目当ての殺人が起きたりするんでしょ。
私の拙い文章では、「評者の主張に今度はこちらが批評を加えようという」魂胆がどうやら伝わらなかったようですね。
私は田中のいうところは、以上の千年虫さんの引用されている部分について限っていえば、寸分の狂いはないと思っています。
世界遺産、「遺産」と田中がよぶ際の概念を見極める必要があるのでしょうが、世界遺産とよぶのは、千年虫さんのいわれるところと差異はとりあえずないでしょう。問題は、田中が「遺産」とよぶものです。私はエントリーにあるように以下のように解釈したのでした。
田中は「遺産」、つまり日本国憲法がほんとうになくなってしまい、過去のものになってしまったら、たとえば文書としてのみ残ったとしたら、と仮定して語っている。そうなったら-カッコでくくられた遺産が再び-現実の規範になるのは困難だろう。
>世界遺産というのは文化・自然資源として、非常に価値のあるものです。
「ワシらの街が世界遺産として認められた。快挙だ。名誉だ。嬉しい。でも観光客が来すぎて荒れるのが心配」という話は聞いたことがあるけど、「ワシらの街が世界遺産にされてしまった。おしまいじゃ~っ(b号泣)」なんてありえません。
このように千年虫さんがおっしゃることは、田中の説くところとは、その意味で全くすれ違っていると私は率直に思います。そんなことは、田中優子は少なくともいっていない。世界遺産と「遺産」をあえて田中が峻別する意味はどこにあるのでしょうか。そこは読者が読み取らなければならないのかもしれません。
私は、田中の説くものは、「ネガティブ」でもなんでもなく、まさに日本国憲法が、なかでも九条が「二度と取り消しがきかない」ものとして、換言すれば理想とするにふさわしいとのべる田中・中沢への共感だと理解するのです。
これおさんのレスを読んで、やはり田中さんてズレてると感じました。
>このように千年虫さんがおっしゃることは、田中の説くところとは、その意味で全くすれ違っていると私は率直に思います。そんなことは、田中優子は少なくともいっていない。世界遺産と「遺産」をあえて田中が峻別する意味はどこにあるのでしょうか。そこは読者が読み取らなければならないのかもしれません。
新聞の書評って、読者に書評自体の解釈を求めるのではなく、評している本への興味を持ってもらうのが、一番の役目でしょう。
もちろんその上で評論として独立しているのが理想ですが、そのときでも読者の性格を考えると、中学生でも分かるほど、平易なことが望まれます。
毎日新聞にせよ田中さんにせよ、どうもそのあたり、勘違いしてるんじやないかな? やっぱり。
とはいえ憲法について太田氏、中沢氏に共感しているというなら、これ以上突っ込む気はありません。
基本姿勢が同じなら、バリュエーションはいろいろあった方がいいと考えますので。
それに何より、くたびれそう……。