人間の本質は精神生命です。
実体はこの身体ではなく精神である。
かたちあるこの世界は常に変化し、ひとところにとどまることはない。
人間も常に変化の波にさらされている。
真実とは不変であるということ。
つまり移りゆくこの世の姿は真実そのもではない。
仮の姿と言ってもいい、仮想世界と言ってもいいでしょう。
真実の世界は不変な精神の世界です。
霊的な世界です。
日本社会には『道徳』というものがあります。
これは『儒教道徳』という概念から派生しています。
私たちは知らず知らずのうちに儒教の教えの影響を受けています。
日常の中で意識することさえないくらい溶け込んでいます。
儒教には仏教などと同じく『教』の語が入っていますが、いわゆる宗教…すなわち霊的なものを伝える教えではありません。
あくまでも、知覚できるこの世界での生き方、社会のあり方についての思想です。
儒教から派生した朱子学の中には宇宙論もありますが、宇宙の真実を解き明かしているとは言えない観念的な思想です。
つまり道徳というのは霊的な真実を捉えられない思想です。
これが社会の規範として広く浸透してしまっている所に日本の社会が生きにくい原因のひとつがあります。
本質が含まれていない教えが社会のすみずみに行き渡って、しかも自覚がない。
道徳では満ち足りて生きることはできません。
人間がなぜこの世に生まれ、生きるのかがその教えには無いからです。
お釈迦様やイエスの教えにはそれが含まれています。
ただし『仏教』『キリスト教』がそれを正しく伝え、実践しているかどうかはまた別問題です。
霊的な感覚はこの世界の感覚を包括しますので、霊的に目覚めれば道徳がカバーしている社会規範も当然そこに含まれますから心配はいりません。
霊的世界を認められない人は、最後に必ず苦しみの中に落ちます。
それを地獄と呼んでもいいし、天罰と呼んでもいいし、神仏の怒りと考えてもいいです。
どれも霊的観点からは同じことです。
人間の本質は精神生命であり、真実の世界は精神の世界。
霊的な本質を見極める視点を持てば精神的な悩み、苦しみからは脱却します。
そして霊的なエネルギーに満ちてくるので疲れにくく、病みにくくなります。
内観にその糸口があります。
静かに自分と向き合ってください。
人生の意味に目覚め、有意義な時間を生きるチャンスはいつもあります。