テキストの内容紹介は、あまりにもひどかったので省略させてもらいました.
Text: Zygmunt Bauman,2000,Liquid Modernity,Polity Press(=森田典正訳,2001,『リキッド・モダニティ 液状化する社会』大月書店.)
※ 著者名,出版年のない引用は[Bauman 2000=2001]から
0. 著者について(訳者解説から)
ジークムント・バウマン(Zygmunt Bauman)現在82歳
ポーランド出身の社会学者.イギリス・リーズ大学およびワルシャワ大学名誉教授.
◆Biography
1925 11/19 ポーランド西部ポズナンの貧しいユダヤ教徒の家にて出生
1939 第二次世界大戦が始まると,一家はソヴィエトに逃れ,彼はそこで大学を卒業
1943 18歳でポーランド陸軍に入隊
1945 ベルリン侵攻に参加,戦後も陸軍に残りながら,ポーランド労働党の党員となる
1953 28歳の時,父親が移住の可能性をイスラエル大使館に問い合わせたという理由で陸軍を除隊になり,その後ワルシャワ大学の哲学社会科学部の講師となる.『社会学研究』の編集長を務めながら,ポーランド社会学協会の会長をも兼任
1967 イスラエルとエジプト戦争の余波を受け,多くのユダヤ教徒が公職追放となるが,その影響で,バウマンも労働党を離脱,ワルシャワ大学を解雇
1968 家族とイスラエルを訪れる
1971 カナダ,アメリカ,オーストラリアを経て,イギリス・リーズ大学の社会学教授となって現在に至る.
◆主な著作(翻訳文献のみ)
1987,Legislators and Interpreters: On Modernity, Post-modernity and Intellectuals,Polity Press(=向山恭一ほか訳,1995,『立法者と解釈者――モダニティ・ポストモダニティ・知識人』昭和堂.)
1989,Modernity and the Holocaust,Polity Press(=森田典正訳,2006,『近代とホロコースト』大月書店.)
→ われわれは、ホロコーストを可能にする一方、ホロコーストの再現を食い止める手段を何も持たない社会に住んでいる-。ホロコーストによって暴きだされた近代の暗闇。その経験が現代社会にもつ意味を明らかにした古典的名著。
→ アウシュヴィッツを可能にした社会的条件をえぐり出し、近代社会の底知れぬ深淵を描いて思想界に衝撃を与えたバウマンの主著。
→ ユダヤ人大量虐殺が近代の象徴である官僚制、資本主義、民族国家なくしてありえなかったことを示す.
1990,Thinking Sociologically,Blackwell(=奥井智之訳,1993,『社会学の考え方――日常生活の成り立ちを探る』HBJ出版局.)
→ 自由と依存、贈与と交換、権力と選択など、日常生活における二つの対立するさまざまな問題をとりあげて追いながら、人間の日常生活そのものの存立の機制を明らかにしていく。
1999,In Search of Politics,Polity Press(=中道寿一訳,2002,『政治の発見』日本経済評論社.)
→ 今日の世界では自由にせよ幸福にせよ私的な問題とされがちである。私化された諸問題を政治的な力へ変えること、即ち公的問題へと移転可能にするための論争的考察。
2000,Liquid Modernity,Polity Press(=森田典正訳,2001,『リキッド・モダニティ――液状化する社会』大月書店.)
◆「リキッド・モダニティ」とは?
・モダン,ポストモダン,リキッド・モダニティ
→ バウマンは,ポストモダンの分析者,つまりモダニスト
→ ポストモダンとは?
「近代的経済構造が変化したとき,それを支え,それに支えられてきた様々な組織や仕組みは崩壊した.崩壊によって生まれた空白には,あらたな組織,仕組み,現象がはいりこんだ.ポストモダンとは,こうした組織,仕組み,現象の総体のことである.」[272]
→ 近代社会 国家による統制
→ 資本と国家と,資本と政治
経済の国際化,多国籍化,グローバル化と,生産・貿易・金融の自由化,規制緩和・撤廃は資本と国家,資本と政治の関係を一変させた.[273]
ポスト近代において,資本は国家の近代的機能を必要としなくなる.
経済の政治に対する優位性
政治の経済化,経済の政治化
国家の衰退は,政治の後退でもあった
→ ポストモダン状況
雇用の流動化
個人のアイデンティティ
公的空間で,市民は消費者へ
大文字の政治から生活政治へ
現代人はポストモダンによってもたらされた,自由,解放,選択肢の増大といった恩恵に対し,不安,不確実性,危険といった代償を支払わなくてはならない.[274]
→ リキッド・モダニティ(=ポストモダニティ)とは?
ポストモダニティは,モダンとの断絶を前提
リキッド・モダニティは,「近代と現在はひとつながりであって,現在は近代のあらたな段階(フェーズ),つまり,流体的(リキッド)な段階」[274]
→ モダンとリキッド・モダニティを連続体とみることによる利点
「現在がいかに様変わりしたとしても,古い近代が近代であるかぎり,そして,新しい近代が近代であるかぎり,ふるい近代の復活の可能性も残るからである.」[274]
ゆえに本著では,5つの近代的概念(解放、個人、時間/空間、仕事、共同体)を考察.
固体的近代より流体的近代に批判的
・固体的近代における希望
→ 短所:個人的自由の否定と抑圧,全体主義(官僚制,資本主義,民族国家)
→ 流体的近代は小さな幸せ,短期的満足はもたらすとしても,根本的改善の余地も,未来の展望もない袋小路状況[275]
→ 流体的近代では,個人の不安,苦悩はすべて個人のレヴェルで解決されなければならない[276]
よき社会,幸福な社会とは,綿密な計画と,理性的管理と理想的運営によって形成された産業社会のことだ,という強い信念.また,真の道徳的衝動は,人間同士の連帯のなかにのみある,という信念[277]
モダニストの精神 → 啓蒙主義,自由主義的フューマニズム → 資本主義 → 社会主義
社会主義のなかでほぼ理想的なかたちで体現されかけた近代的精神は死んだわけではなく,バウマンによれば,ゾンビーのように蘇生を待っているのである[278]
Text: Zygmunt Bauman,2000,Liquid Modernity,Polity Press(=森田典正訳,2001,『リキッド・モダニティ 液状化する社会』大月書店.)
※ 著者名,出版年のない引用は[Bauman 2000=2001]から
0. 著者について(訳者解説から)
ジークムント・バウマン(Zygmunt Bauman)現在82歳
ポーランド出身の社会学者.イギリス・リーズ大学およびワルシャワ大学名誉教授.
◆Biography
1925 11/19 ポーランド西部ポズナンの貧しいユダヤ教徒の家にて出生
1939 第二次世界大戦が始まると,一家はソヴィエトに逃れ,彼はそこで大学を卒業
1943 18歳でポーランド陸軍に入隊
1945 ベルリン侵攻に参加,戦後も陸軍に残りながら,ポーランド労働党の党員となる
1953 28歳の時,父親が移住の可能性をイスラエル大使館に問い合わせたという理由で陸軍を除隊になり,その後ワルシャワ大学の哲学社会科学部の講師となる.『社会学研究』の編集長を務めながら,ポーランド社会学協会の会長をも兼任
1967 イスラエルとエジプト戦争の余波を受け,多くのユダヤ教徒が公職追放となるが,その影響で,バウマンも労働党を離脱,ワルシャワ大学を解雇
1968 家族とイスラエルを訪れる
1971 カナダ,アメリカ,オーストラリアを経て,イギリス・リーズ大学の社会学教授となって現在に至る.
◆主な著作(翻訳文献のみ)
1987,Legislators and Interpreters: On Modernity, Post-modernity and Intellectuals,Polity Press(=向山恭一ほか訳,1995,『立法者と解釈者――モダニティ・ポストモダニティ・知識人』昭和堂.)
1989,Modernity and the Holocaust,Polity Press(=森田典正訳,2006,『近代とホロコースト』大月書店.)
→ われわれは、ホロコーストを可能にする一方、ホロコーストの再現を食い止める手段を何も持たない社会に住んでいる-。ホロコーストによって暴きだされた近代の暗闇。その経験が現代社会にもつ意味を明らかにした古典的名著。
→ アウシュヴィッツを可能にした社会的条件をえぐり出し、近代社会の底知れぬ深淵を描いて思想界に衝撃を与えたバウマンの主著。
→ ユダヤ人大量虐殺が近代の象徴である官僚制、資本主義、民族国家なくしてありえなかったことを示す.
1990,Thinking Sociologically,Blackwell(=奥井智之訳,1993,『社会学の考え方――日常生活の成り立ちを探る』HBJ出版局.)
→ 自由と依存、贈与と交換、権力と選択など、日常生活における二つの対立するさまざまな問題をとりあげて追いながら、人間の日常生活そのものの存立の機制を明らかにしていく。
1999,In Search of Politics,Polity Press(=中道寿一訳,2002,『政治の発見』日本経済評論社.)
→ 今日の世界では自由にせよ幸福にせよ私的な問題とされがちである。私化された諸問題を政治的な力へ変えること、即ち公的問題へと移転可能にするための論争的考察。
2000,Liquid Modernity,Polity Press(=森田典正訳,2001,『リキッド・モダニティ――液状化する社会』大月書店.)
◆「リキッド・モダニティ」とは?
・モダン,ポストモダン,リキッド・モダニティ
→ バウマンは,ポストモダンの分析者,つまりモダニスト
→ ポストモダンとは?
「近代的経済構造が変化したとき,それを支え,それに支えられてきた様々な組織や仕組みは崩壊した.崩壊によって生まれた空白には,あらたな組織,仕組み,現象がはいりこんだ.ポストモダンとは,こうした組織,仕組み,現象の総体のことである.」[272]
→ 近代社会 国家による統制
→ 資本と国家と,資本と政治
経済の国際化,多国籍化,グローバル化と,生産・貿易・金融の自由化,規制緩和・撤廃は資本と国家,資本と政治の関係を一変させた.[273]
ポスト近代において,資本は国家の近代的機能を必要としなくなる.
経済の政治に対する優位性
政治の経済化,経済の政治化
国家の衰退は,政治の後退でもあった
→ ポストモダン状況
雇用の流動化
個人のアイデンティティ
公的空間で,市民は消費者へ
大文字の政治から生活政治へ
現代人はポストモダンによってもたらされた,自由,解放,選択肢の増大といった恩恵に対し,不安,不確実性,危険といった代償を支払わなくてはならない.[274]
→ リキッド・モダニティ(=ポストモダニティ)とは?
ポストモダニティは,モダンとの断絶を前提
リキッド・モダニティは,「近代と現在はひとつながりであって,現在は近代のあらたな段階(フェーズ),つまり,流体的(リキッド)な段階」[274]
→ モダンとリキッド・モダニティを連続体とみることによる利点
「現在がいかに様変わりしたとしても,古い近代が近代であるかぎり,そして,新しい近代が近代であるかぎり,ふるい近代の復活の可能性も残るからである.」[274]
ゆえに本著では,5つの近代的概念(解放、個人、時間/空間、仕事、共同体)を考察.
固体的近代より流体的近代に批判的
・固体的近代における希望
→ 短所:個人的自由の否定と抑圧,全体主義(官僚制,資本主義,民族国家)
→ 流体的近代は小さな幸せ,短期的満足はもたらすとしても,根本的改善の余地も,未来の展望もない袋小路状況[275]
→ 流体的近代では,個人の不安,苦悩はすべて個人のレヴェルで解決されなければならない[276]
よき社会,幸福な社会とは,綿密な計画と,理性的管理と理想的運営によって形成された産業社会のことだ,という強い信念.また,真の道徳的衝動は,人間同士の連帯のなかにのみある,という信念[277]
モダニストの精神 → 啓蒙主義,自由主義的フューマニズム → 資本主義 → 社会主義
社会主義のなかでほぼ理想的なかたちで体現されかけた近代的精神は死んだわけではなく,バウマンによれば,ゾンビーのように蘇生を待っているのである[278]