第1回 ラモーンズ
「酔っ払って電撃バップで騒ぐのはやめてくれ」

やっとこさ画像を載せれたのはいいけれど、この画像デカッ。まあそれでもいいのです。この写真はこのくらい音楽史にでかいインパクトを与えた、歴史的な写真なのです。
これはラモーンズのデビューアルバム「ラモーンズの激情」のジャケット写真。左からギターのジョニー・ラモーン、何気に背伸びしている初代ドラマーのトミー・ラモーン、ボーカルのジョーイ・ラモーン、そして直線ベースの生みの親ディーディー・ラモーンです。
突然始まったこのシリーズ企画、一発目を飾るのはこのバンド以外にはありえません。その名はラモーンズ。70年代後半のパンク全盛期、いわゆる初期パンクの代表的なバンドです。
はじめにこのバンドの何がすごいというのか、それは誰もが想像するパンクのスタイルを発明してしまったという点です。
コードは3つか4っつ。一曲三分あるかないか。8ビートの単純なドラムに、全てダウンピッキングでルート弾きに徹するベース、ギターもコードを永遠となぞるだけ。歌詞はほとんど言葉遊びで幼稚で過激。何曲もこのパターンで猛スピードで駆け抜ける。
なんでそれまでこのスタイルを誰もやらなかったか?答えは簡単。プロのミュージシャンはこれをやるにはうますぎるから。奴らはなにかおかずをつけないと気が済まないのです。それに対して,楽器もろくに弾けない状態から曲作りをはじめたバンドがこのスタイルを発明するのはごく自然な流れだったのだと思う。
けれどあなどるなかれ。何曲もぶっとおして猛スピードでダウンピッキングないし8ビートを刻み続けるのはなかなか簡単なことではない。とりあえず俺は無理だ。
ラモーンズのドキュメンタリー映画「エンド・オブ・ザ・センチュリー」のメイキングで,二代目ドラマーのマーキー・ラモーンがカメラのために8ビートを叩くシーンがあるのだが、これがもう超人的というか、それはそれはものすごい速さでハットを刻むのである。
この映画で初めてラモーンズのライブ映像を見ることができたのだけれど、ジョニーもディー・ディーも、そんなドラムに全てダウンで合わせている。これはそうとう技術がいることで、単に体力とかではカバーできることではない。
なのにどうしてダウンにこだわるのか。俺はずっとそれは見た目がかっこいいからだとばかり思っていたけれど、それは間違いでした。最近気づいたのはダウンとオルタネイトでは明らかに音の勢いというものが違うということだ。なんというかダウンで弾くと一つ一つの音が壁のようにうなって聞こえる。「ラモーンズのコピーなんて簡単」という軽音的な発想はやめたほうがいい。
バンドの歴史的なものはどこでも調べられるので、ここではさっきすこし出た映画について書こうと思う。
まず、この映画、見たほうがいい。演奏シーンがかっこよすぎる。ジョニーとディー・ディーの両脇の暴れっぷりもさることながら、真ん中でどしんと構えるボーカルのジョーイのスタイルがめっちゃかっこいい。長身でひょろひょろという典型的なパンク体型で、スタンドから両手を離さずに、あの独特なのどに物が詰まったような歌い方で歌われると、何も暑苦しいことはしないでも、客は盛り上がってしまう。後期になるとちょっと歌い方が変わってしまうけど、俺は断然初期のこの歌い方が好きだ。
そして、映画でよく分かるのは意外とラモーンズは「売れようと」してたことだ。「ロックンロール・レディオ」とか明らかにその路線だし、ニルヴァーナとかのグランジ・ブームの時にはそれにあやかろうとしてみたり。個人的には意外だと感じてしまったけれど、まあ実際どれだけリスペクトされてても売れなきゃやってらんないんだろうな。結局最後までラモーンズは売れなかったらしい。それでも20年近く3分の速攻パンク一筋で貫いたのはすごい。
そしてもう一つ、個人的に触れたいのはやはりべーシストについて。ディー・ディー・ラモーンはパンク系べーシストの見本、というか発明者であるわけなので、大好きなべーシストにあげないわけにはいかない。
初期パンクのべーシストというと、圧倒的にシド・ヴィシャス、それからリチャード・ヘルということになるのだろうけれど、前者はベースなんて弾けやしないし、後者はベース・プレイ云々ではないだろうから、純粋な奏者としてはやっぱりディー・ディーが一番だと思う。実は曲はほとんど彼が作っているというのも事実だが。
余談として彼はバンドの終盤で脱退して、その後「ディー・ディー・キング」という名前で白人初のラッパーとして再デビューを果たす。映画でそれも見れるけど、本人が大真面目に「失敗だった」って振り返るシーンがすごく面白い。
ようするに、このバンドはずっと大真面目だったのだと思う。「パンクを発明した」というよりは「それしかできなかった」のであり、「パンク精神がどうたらこうたら」ではなくて「売れたいけど、売れない。けど、これをやり続けよう」ということだったのだと思う。悪い意味ではなくて。
だからこそピストルズみたいに崩壊して、その後へんに神格化されることもなかったし、クラッシュやジャムのように「知的に」変貌することもなかったし、「その他大勢」のパンクバンドのように時代の変化の中で自然消滅することもなく、20年近く純粋にパンクバンドとしての活動を続けられたんだと思う。
今の時代にもはやピストルズのような伝説は生まれないと思う。もしそんなバンドがでてきて「パンク精神がどうたらこうたら」言いはじめても滑稽なだけだ。(それを青春パンクとよぶ)そしてクラッシュのようなバンドは今なら多分「パンク」とは言われない。ラモーンズに近いのは多分「メロコア」って言われる集団なんだろうけど、なんか能天気なだけで俺は好かん。結局今の時代にパンクなんてないわけですよ。
初期パンクの時代のにおいがぷんぷんして、なのにヘンに神格化されず、ずっと三分間の速攻パンクを演奏し続けてきた。それはラモーンズしかいなくて、だから俺はこのバンドが好きだ。
「酔っ払って電撃バップで騒ぐのはやめてくれ」

やっとこさ画像を載せれたのはいいけれど、この画像デカッ。まあそれでもいいのです。この写真はこのくらい音楽史にでかいインパクトを与えた、歴史的な写真なのです。
これはラモーンズのデビューアルバム「ラモーンズの激情」のジャケット写真。左からギターのジョニー・ラモーン、何気に背伸びしている初代ドラマーのトミー・ラモーン、ボーカルのジョーイ・ラモーン、そして直線ベースの生みの親ディーディー・ラモーンです。
突然始まったこのシリーズ企画、一発目を飾るのはこのバンド以外にはありえません。その名はラモーンズ。70年代後半のパンク全盛期、いわゆる初期パンクの代表的なバンドです。
はじめにこのバンドの何がすごいというのか、それは誰もが想像するパンクのスタイルを発明してしまったという点です。
コードは3つか4っつ。一曲三分あるかないか。8ビートの単純なドラムに、全てダウンピッキングでルート弾きに徹するベース、ギターもコードを永遠となぞるだけ。歌詞はほとんど言葉遊びで幼稚で過激。何曲もこのパターンで猛スピードで駆け抜ける。
なんでそれまでこのスタイルを誰もやらなかったか?答えは簡単。プロのミュージシャンはこれをやるにはうますぎるから。奴らはなにかおかずをつけないと気が済まないのです。それに対して,楽器もろくに弾けない状態から曲作りをはじめたバンドがこのスタイルを発明するのはごく自然な流れだったのだと思う。
けれどあなどるなかれ。何曲もぶっとおして猛スピードでダウンピッキングないし8ビートを刻み続けるのはなかなか簡単なことではない。とりあえず俺は無理だ。
ラモーンズのドキュメンタリー映画「エンド・オブ・ザ・センチュリー」のメイキングで,二代目ドラマーのマーキー・ラモーンがカメラのために8ビートを叩くシーンがあるのだが、これがもう超人的というか、それはそれはものすごい速さでハットを刻むのである。
この映画で初めてラモーンズのライブ映像を見ることができたのだけれど、ジョニーもディー・ディーも、そんなドラムに全てダウンで合わせている。これはそうとう技術がいることで、単に体力とかではカバーできることではない。
なのにどうしてダウンにこだわるのか。俺はずっとそれは見た目がかっこいいからだとばかり思っていたけれど、それは間違いでした。最近気づいたのはダウンとオルタネイトでは明らかに音の勢いというものが違うということだ。なんというかダウンで弾くと一つ一つの音が壁のようにうなって聞こえる。「ラモーンズのコピーなんて簡単」という軽音的な発想はやめたほうがいい。
バンドの歴史的なものはどこでも調べられるので、ここではさっきすこし出た映画について書こうと思う。
まず、この映画、見たほうがいい。演奏シーンがかっこよすぎる。ジョニーとディー・ディーの両脇の暴れっぷりもさることながら、真ん中でどしんと構えるボーカルのジョーイのスタイルがめっちゃかっこいい。長身でひょろひょろという典型的なパンク体型で、スタンドから両手を離さずに、あの独特なのどに物が詰まったような歌い方で歌われると、何も暑苦しいことはしないでも、客は盛り上がってしまう。後期になるとちょっと歌い方が変わってしまうけど、俺は断然初期のこの歌い方が好きだ。
そして、映画でよく分かるのは意外とラモーンズは「売れようと」してたことだ。「ロックンロール・レディオ」とか明らかにその路線だし、ニルヴァーナとかのグランジ・ブームの時にはそれにあやかろうとしてみたり。個人的には意外だと感じてしまったけれど、まあ実際どれだけリスペクトされてても売れなきゃやってらんないんだろうな。結局最後までラモーンズは売れなかったらしい。それでも20年近く3分の速攻パンク一筋で貫いたのはすごい。
そしてもう一つ、個人的に触れたいのはやはりべーシストについて。ディー・ディー・ラモーンはパンク系べーシストの見本、というか発明者であるわけなので、大好きなべーシストにあげないわけにはいかない。
初期パンクのべーシストというと、圧倒的にシド・ヴィシャス、それからリチャード・ヘルということになるのだろうけれど、前者はベースなんて弾けやしないし、後者はベース・プレイ云々ではないだろうから、純粋な奏者としてはやっぱりディー・ディーが一番だと思う。実は曲はほとんど彼が作っているというのも事実だが。
余談として彼はバンドの終盤で脱退して、その後「ディー・ディー・キング」という名前で白人初のラッパーとして再デビューを果たす。映画でそれも見れるけど、本人が大真面目に「失敗だった」って振り返るシーンがすごく面白い。
ようするに、このバンドはずっと大真面目だったのだと思う。「パンクを発明した」というよりは「それしかできなかった」のであり、「パンク精神がどうたらこうたら」ではなくて「売れたいけど、売れない。けど、これをやり続けよう」ということだったのだと思う。悪い意味ではなくて。
だからこそピストルズみたいに崩壊して、その後へんに神格化されることもなかったし、クラッシュやジャムのように「知的に」変貌することもなかったし、「その他大勢」のパンクバンドのように時代の変化の中で自然消滅することもなく、20年近く純粋にパンクバンドとしての活動を続けられたんだと思う。
今の時代にもはやピストルズのような伝説は生まれないと思う。もしそんなバンドがでてきて「パンク精神がどうたらこうたら」言いはじめても滑稽なだけだ。(それを青春パンクとよぶ)そしてクラッシュのようなバンドは今なら多分「パンク」とは言われない。ラモーンズに近いのは多分「メロコア」って言われる集団なんだろうけど、なんか能天気なだけで俺は好かん。結局今の時代にパンクなんてないわけですよ。
初期パンクの時代のにおいがぷんぷんして、なのにヘンに神格化されず、ずっと三分間の速攻パンクを演奏し続けてきた。それはラモーンズしかいなくて、だから俺はこのバンドが好きだ。
ひょっとして就活見据えてね?