2016年5月9日 お嬢が虹の橋を渡りました。
7歳7か月28日の短い生涯でした。
昨年末に切除手術した左前脚指間のデキモノは病理検査の結果「肥満細胞腫」でした。グレード2の診断でしたが深刻なレベルではないとの見解だったので、年初からステロイドの服用と毎週のインターフェロン注射で再発を警戒してきました。
それが4月20日、一夜にして左の首下部にピンポン玉大の瘤ができたのです。検査の結果、やはり再発した肥満細胞腫でした。切除は難しく、残された治療法はわずかでしたが、どれもお嬢の身体に負担を掛けるものだったため、少しでもお嬢が楽にのんびりと過ごせるようにと、これまで通りの対処療法を選びました。その時は、まさかこんなに急激に悪化するとは思っていませんでした。
ゴールデンウィークに入って5月3日までは、少し食欲がなかったくらいでいつもと変わらずに過ごしていましたが、翌5月4日の夜、外出から戻ると部屋の至る所に黄色い嘔吐跡があり、それはお嬢のものでした。
翌日、すぐ病院に行き点滴をして、一旦は帰宅し様子を見ましたが、5月6日の深夜にまた嘔吐が続き、翌7日には緊急入院…危険な状態と言われました。しかし、翌日には持ち直して「ヤマは越えたので、食べられるようになれば退院できる」と先生からも言われ、タいつも戻ってもいいように準備をはじめました。
そして、5月9日…連休が明けて出勤していた昼前、携帯電話に病院から着信…午前中にお嬢の様子が急変して大変厳しい状態との報せでした。急いで病院に駆けつけると、お嬢は手術台の上に突っ伏していました。荒い呼吸で、瞼の落ちた細い眼に意識はなく、呼び掛けても反応がなく、ただ苦しそうに息をしているだけでした。この状態でここまで生きているのは奇跡に近いと言われ、これ以上は苦しくて辛いだけになるという見解でした。
私はお嬢を楽にさせてあげる以外に、もう何もできなかった。麻酔が打たれると、お嬢の荒い呼吸が静かになって、眠るようにゆっくりと瞼を閉じました。
それから、お嬢を連れて自宅に戻り、大好きだったソファに寝かせ、大好きだったTVをつけてあげました。小町と坊は、起きあがらないお嬢が気になるのか、何度も鼻先を顔に近づけて匂いを嗅いでいました。その夜は、お嬢は家人のベッドで一緒に眠りました。
翌日の午後、お嬢を抱いて、一緒に引っ越してきてから6年間一緒に過ごした家の各部屋を巡り、最後に庭に降りてドッグランを一周しました。それからみんなでお寺へ行き、お嬢を荼毘に付しました。
日常の中にずっとお嬢がいましたので、私たち夫婦はお嬢がいない現実に打ちのめされています。お嬢の匂い、手触り、体温、抱っこの感触、騒々しく吠える声を思い出しては泣いてしまいます。
小町は少し大人しくなったように感じます。逆に坊は無駄吠えをするようになり、背中に5箇所はげができました。たぶん、家族それぞれにお嬢がいなくなったことで何かおかしくなっているのだと思います。
私は勝手に、お嬢は10歳までは絶対生きると考えていました。
肥満細胞腫とわかっても、内臓にさえ転移しなければ心配ないと思っていました。
メシマコブやアガリクス、レンチンコップなどのサプリも買い漁りました。
まさか、こんなに早く逝ってしまうなんて思ってもいませんでした。
悔しくて、悔しくて、仕方ありません。
我が家の再生にはまだ時間が必要だと思いますが、小町と坊がお嬢の分まで長生きしてくれるように…お嬢の分まで愛情を注いであげたいと思っています。
お嬢、駄目な父ちゃんだったかもしれないけれど、一緒に過ごした日々は忘れない。
良い子だったな、お嬢ありがとう。