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恋も学も美も友も財も

毎日をちゃんと上手に生きていけたら。
という趣旨の私的な日記です。

中尾明慶くん

2007年05月13日 | その他

「あっぱれ!さんま大先生」に中尾明慶くんがでてます。

いや~。

元彼ににてる。

笑うと目がなくなるところとかね!(笑

うん、元彼も確かに、笑顔はすごく感じ良かった。




その元彼Nくんとは、大学1年の6月くらいから付き合って、

2月に別れた。

原因は、まぁよくあるけんかの一種なんだけど。




2月に、友人Mが亡くなった。

特に仲良しってわけでもなく、会った時にあいさつする程度だったけど。

死因が死因だっただけに、やっぱりショックで。

なんか、落ち込んでしまった。当たり前だけど。

それで、Nくんに会って、楽しめるはずもなく。

ちょっとそっとしといて。

って、頼んだんだった。




そしたら、

「きょうが今悲しいのはわかる。けど、それは俺らに関係なくない?

「それに、今そっとしておいてって言ってるけど、落ち込みがおさまるまで待ってって言ってるけど、

その悲しみがなくなるのはおかしくない?」




彼が言ったことは、確かに正論だった。

でも、違うの。

違うんだよ。

きょうは、そのとき、そんな正論がほしかったんじゃないんだよ。

人間は、正論とかキレイことだけでは生きていけないと思うんだ。

なぐさめてほしいときや、あまやかしてほしいとき、

あると思うんだよ。

この考えが間違っているのかなぁ・・・





きょう達は、Mがいない生活に、やっぱりというかなんというか、

慣れたよ。

それは、1年の2月にも思ってたこと。




きょうも祖父を亡くしてるけど、

最初は、実感がなくて。

食事のとき、いつもの席に祖父が座ってないのが不思議で。

でも、次第にその光景にも慣れて。

いつのまにか、祖父の席には、

父が座るようになっていた。

祖父がいない生活が、普通になっていく。

でも、きっと時間って、死ってそういうことなんだろう。




でも、忘れたわけじゃない。

忘れることなんてできない。

その人がいたことを、亡くなったことを、

忘れることは決してない。



それでも、思い出は少しずつ消えていくのだろうけど。

それは、どうか許してほしい。

きっと、人間はそういう生き物だから。

君を毎日思い出していたのが、

時が経つにつれて、少しずつ、思い出す時間が少なくなっても、

どうか、責めないでほしい。

生きてる側のエゴかもしれないけど。

どうか許してほしい。

けれど、君のことを忘れることは決してない。

ずっと、覚えているから。




話が長くなった上に、若干軸がずれていきましたが。

最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、

ありがとうございました。

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