「あっぱれ!さんま大先生」に中尾明慶くんがでてます。
いや~。
元彼ににてる。
笑うと目がなくなるところとかね!(笑
うん、元彼も確かに、笑顔はすごく感じ良かった。
その元彼Nくんとは、大学1年の6月くらいから付き合って、
2月に別れた。
原因は、まぁよくあるけんかの一種なんだけど。
2月に、友人Mが亡くなった。
特に仲良しってわけでもなく、会った時にあいさつする程度だったけど。
死因が死因だっただけに、やっぱりショックで。
なんか、落ち込んでしまった。当たり前だけど。
それで、Nくんに会って、楽しめるはずもなく。
ちょっとそっとしといて。
って、頼んだんだった。
そしたら、
「きょうが今悲しいのはわかる。けど、それは俺らに関係なくない?
「それに、今そっとしておいてって言ってるけど、落ち込みがおさまるまで待ってって言ってるけど、
その悲しみがなくなるのはおかしくない?」
彼が言ったことは、確かに正論だった。
でも、違うの。
違うんだよ。
きょうは、そのとき、そんな正論がほしかったんじゃないんだよ。
人間は、正論とかキレイことだけでは生きていけないと思うんだ。
なぐさめてほしいときや、あまやかしてほしいとき、
あると思うんだよ。
この考えが間違っているのかなぁ・・・
きょう達は、Mがいない生活に、やっぱりというかなんというか、
慣れたよ。
それは、1年の2月にも思ってたこと。
きょうも祖父を亡くしてるけど、
最初は、実感がなくて。
食事のとき、いつもの席に祖父が座ってないのが不思議で。
でも、次第にその光景にも慣れて。
いつのまにか、祖父の席には、
父が座るようになっていた。
祖父がいない生活が、普通になっていく。
でも、きっと時間って、死ってそういうことなんだろう。
でも、忘れたわけじゃない。
忘れることなんてできない。
その人がいたことを、亡くなったことを、
忘れることは決してない。
それでも、思い出は少しずつ消えていくのだろうけど。
それは、どうか許してほしい。
きっと、人間はそういう生き物だから。
君を毎日思い出していたのが、
時が経つにつれて、少しずつ、思い出す時間が少なくなっても、
どうか、責めないでほしい。
生きてる側のエゴかもしれないけど。
どうか許してほしい。
けれど、君のことを忘れることは決してない。
ずっと、覚えているから。
話が長くなった上に、若干軸がずれていきましたが。
最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、
ありがとうございました。
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