遊ぶということ
空間把握ができない・・見えないものが想像できない・・
それは、幼い頃の遊び方からさかのぼる・・ことがあるように思う・・と、
同じインテリアの仕事をする友人が言っていた。
積み木やパズル、立体パズルやレゴブロック・・
空間把握や立体感覚、そして物事をいろんな角度から見て、またそこから何かを気づく・・
そんな感覚も、そういう『遊び』から養えるのではないか・・と。
子供の頃に、どんな遊びをしたか・・それは『思い出』だけでなく、
いろんな感覚を身につけていたんですね。
caduさんの
blogでも紹介されていたLEGO。
『遊び』とは、なかなか奥が深い。
インテリアとか建築とか、無いものをあるように組み立てていく前の段階においては、
『ままごと遊び』にも通じるものがあるようにも思う。
役割決めて仕切ったり、しきられたり。
『ここに○○があることにして・・』とか、『ここが入り口で、これは台所なっ・・』とか。
無いものをあるかのような空間にしていたり、まさに妄想ワールドの共有ですから。
小さい子も、その妄想の中にしっかりついてきてるもんね。
子供の頃、いろんな遊びをすることができた環境に感謝する。
今にして思えば玩具に囲まれ、恵まれていた自分にも気づく。
バケツいっぱいのブロック遊びは私の定番だったし、
人形遊びは、バービー人形からはじまって、りかちゃん、双子の赤ちゃん、ワタルくん、
とひとり何役もこなしていた。
三輪車で石焼き芋ごっこしたり、ままごとでは2歳くらいの弟にまでムリやり
お父さんの役なんかもさせていた。
家の前が幼稚園だったので、先生も顔見知りだったし、幼稚園にあがる前から
運動場や砂場や遊具は、自分のもののように遊んでいた。
お絵かきや着せ替え人形づくり、起こし絵のような家を作っては増築に増築を重ね、
延々とつながる家を造るのも楽しかったし、自動販売機も紙で作っていろんな商品を出していた。欲しいものはどんな商品も出すことができた。
近所の友達は女の子ばかりだったので、女の子らしい遊びもすることもできたし、
田舎へ行けば、同年代のいとこは全員男の子だったので、お客さま用の布団を引っ張り出しては、
プロレスごっこに布団巻き攻撃。 一歩引きながらも参戦していた。
・・ま、そんな遊びの数々が、どこまで今の私の中にいきているかわからないけれど、
今の子供たちやこれからの子供たちにも、そんな遊びのできる環境は残していきたい。
最近のいろんな事件の続く中、安心して遊ぶということ・・この情報化社会の中、
自分で考えて遊ぶということ・・それも意識してつくっていかないと
『遊ぶ』ことができなくなってきているのかもしれませんね。
いつの時代も『遊ぶ』ことから、いろんな思い出と感覚を身につけていきたい。
オトナになっても・・・。