まだ終わらんよ!

GRANDE CAMPIONE JUVENTUS 1994-1995

 デルピエーロの通算200ゴール達成をに記念して、「GRANDE CAMPIONE JUVENTUS 1994-1995」 という1994-1995シーズンのユベントスの軌跡を収めたDVDを借りました。

 デルピエーロもスゴイですが、バッジョも負けてませんね~。そして彼らと3トップを形成したヴィアリのオーバーヘッドに”トラック野郎”ラバネッリのダイビングヘッド。なつかしいです。一方、当時のサンプドリアからフリットが復帰。ラツィオ戦では豪快な右足アウトサイドのジャンピングボレーを決めたりしましたが、シーズン半ばにサンプへとんぼ返り。ファン・バステンもケガで長期離脱中。オランダ勢に代わって” ジェニオ または 東欧のプラティニ ”こと旧ユーゴスラビアサビチェビッチががんばってましたが、フリットファン・バステンの復活を楽しみにしていた僕にはシモーネや後に清水エスパルスに移籍するマッサーロでは正直物足りなかったです。

 それにしても守備重視でつまらないと言われるイタリアのサッカー(カルチョ)ですが、いわゆる”カテナチオ”と呼ばれるデイフェンスの国であると同時にそれを崩すアタッカンテ(FW)の国でもあると改めて思いました。

 振り返ればユーベとスクデットを争ったゾラのバク転FWアスプリージャの2トップを擁し、オランダベルカンプと” ゴールの詩人 ”ことウルグアイソサの犬猿のセカンド2トップ。ASローマは” 元祖王子 ジャンニーニアルゼンチン代表バルボウルグアイ代表フォンセカの南米2トップを操り、対するラツィオは” ベッペ シニョーリカシラギイタリア代表勢を中心とした3トップ。にはパナマの” 怪人デリー・バルデスベルギーオリベイラにはカズと” チェコの高木 (笑)”スクラビーバーリには” ムカデ隊長 ”(名前忘れた)もいました。

 そんな1994-1995シーズンの得点王に輝いたのはフィオレンティーナの英雄、バティストゥータ。トップ下にルイ・コスタを従え、バイアーノとの” BB砲 ”のコンビは破壊力十分でした。

 かってに在籍したドイツの” 闘将  ”マテウスが「イタリアで通用するFWはどこへいっても通用する。」といってましたが、現在にいたるまで数多くの名FWを輩出してきました。逆にカンナヴァーロレアル・マドリー)やネスタ)、マテラッツィ)に代わる次世代のDFが出てきてないように思います。


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コメント一覧

クワヒロ・バラーナ
jenio10さん→こちらこそいつもありがとうございます。
そうですバーリのムカデ隊長の名前はトバリエリでしたね。トまでででたんですが、トリチェッリ?トトラオーレ?トスタン?って感じでド忘れしてました。
jenio10
コメントありがとうございました!
http://blog.livedoor.jp/jenio10/
デーヨの名前を見つけたのが嬉しくて嬉しくて・・・(笑)。
バーリの隊長はトバリエリでしたっけ?非常に懐かしい名前がたくさんで、楽しく読ませていただきました。
バルボとフォンセカが織りなすカウンター攻撃も魅力がありましたね。
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