A県a市の公園巡り

写真初心者の草写真です。
近所の公園を中心に散歩がてらの
写真を撮っています。

番外編その3)ぐるり油ヶ渕(後編)

2010年04月11日 | トピックス
草写真(以下”草”) :油ヶ渕一周の番外編も、4分の3ほど歩きましたね。

宿酔い(以下”宿”) :うむ、もう一息だな。

草 :写真左手が油ヶ渕から流れる新川の起点、その奥の橋が、同じく高浜川
   起点です。新川側へ歩きます。

草 : ”県営油ヶ渕水辺公園整備事業” の工事現場が点在しています。
宿 :このご時勢、さだめし小さなフロンティアだな。
草 :こういう工事による、環境への影響って、無いんですかね?。
宿 :そりゃあ、あるだろう。
草 :いいんですかね?。
宿 :まあ、工事によって得られる水質浄化や植生・生態系の回復といった効果が、
   工事期間中に周辺環境に与えるインパクトよりも大きいという、その、なんだ、
   アセスメント的なアレがあるんだろう、それは。

草 :はあ、そうですか。
宿 :それに、自然環境のことだけ考えていれば良いってものでも、無いだろうしな。
草 :と、いいますと?。
宿 :税金を投入して行う事業である以上、周辺住民や納税者への利益還元という
   ことも考える必要があるんだろう、多分。

草 :はあ。
宿 :そういう点から、公園の整備ということをやってるんだと思うぞ。自然環境の
   保護・回復というだけなら、公園を整備する必要は無いのだからな。

草 :ああ、なるほど。

宿 :まあ、自然環境や公園整備だけではなく、農業、漁業、商工業、風光や
   居住環境、水資源的な部分、あと、周辺地域の生活文化や観光的な部分にも
   気を配らねばならんわけで、難しいよな。

草 :ここに公園ができて、それが観光につながりますかねえ?。
宿 :お前が今やってる、湖を歩いて野鳥や草花を撮影して遊んでるってのは、
   観光とは言わんのか?。
草 :あ…。確かに、観光ですね!、これは。
宿 :そうだろう?。
草 :ええ、そうですよね、ここに立ち入ることができて、写真が撮れるという状況が 
   あるということは、私も利益を受けているということですねえ。
   ここに公園ができれば、その利益、確かに拡大するかもですね。
宿 :減少するかもしれん。こういう予測は、本当に難しいだろうよ。
草 :うーん……。おや?。

草 : 新川をさかのぼって、曳舟橋を渡るつもりでしたが、通行止めのようです。
    迂回しますか…。あれ?、

草 :工事現場から、ボートが盗まれたようですね。
宿 :この現場じゃあ、ボートが足代わりだろうからなあ、こりゃ、痛いなあ。
草 :そうですねえ。ん?。

草 :今度は、投光器も盗まれてるみたいですよ!。
宿 :物騒な現場だな(笑)。

草 :曳舟橋を渡ります。

草 :油ヶ渕湖岸に戻りました。あの模様は、カルガモですかね…。

草 : 高浜川方面へ向かいます。

草 :明治橋を渡ります。

草 : 油ヶ渕漁業協同組合です。

草 :建物の隣には、魚類の供養塔があります。
宿 :漁協があるのか。
草 :今日は工事関係以外の船や釣りも見ないですが。
宿 :まあ、今日は花見なんだろう、みんな。


草 :船や養殖施設があります。

草 :水鳥の群れです。腹部の白いあの模様は…、キンクロハジロだと思いますが。
宿 :パンダみたいな配色だな。

草 :こっちは違う鳥ですね。あの茶色の頭は…、ホシハジロですかね。
宿 :これだけ水鳥がいるってのは、やっぱりエサになる魚やら貝やらが豊富
   なんだろうな。


草 :スタート地点の潭水橋まで、あと1kmあまりです。

草 : 「油ヶ渕遊園地」 が見えました。入ってみましょう。

草 :良く整備された公園です。サクラが見頃ですねえ。

草 :油ヶ渕の碑がありますね。明和三年というと…。
宿 :1766年、江戸時代だな。よくそんなものが残ってるものだ。

草 :となりに、説明板があります。
宿 :本願寺の中興の祖である蓮如が、応仁の乱を避けてこの西端の地へ、
   如光という人の案内で逃れてきた時期があり、応仁寺という寺を建てて、
   三河で布教活動を行ったとあるな。で、この池に龍燈をたてて、日夜
   仏読経の絶えることがなかったので、油渕と呼ばれるようになった。と、ある。

草 :つまり、その、油ヶ渕の油というのは、灯油(ともしびあぶら)ということですか?。
宿 :そう書いてあるな。
草 :はあ、まあ、昔は、油は高価で、ずっと灯りをつけておくということは、かなり
   すごいというか、特別なことだったんですよね。
宿 :そうだな、それに、仏教の寺とか教えがずっと健在であることを、
   ”法灯を絶やさず” なんていうからな、灯明というのは、仏教自体を象徴する
   ものなんだろう。

草 :そう考えると、油ヶ渕という名前は聖なる場所というか…。
宿 :そんなイメージだろうな。少なくとも、水質汚染で油が浮かんでいるイメージでは無いな。
草 :ははは。


草 :油ヶ渕遊園地正面入り口と如光堂です。

草 :公園の向かいには、 ”油ヶ渕花しょうぶ園” の案内板があります。
   残念ながら、花しょうぶの時期ではありませんが…。

草 :碧南市のマンホールにも意匠されていますね。

草 :ここにも、油ヶ渕の説明があります。
宿 :ふむ、かつては北浦とよばれる入江だったが、1605年の矢作新川開削工事
   に伴って土砂が流れ込み、入江の入り口がふさがれて湖となった。
   その後、周辺を水害から守るために新川と高浜川を排水のために掘った。と。
草 :へえー、そうなんですか。それ、天然湖沼っていうんですかね?。
宿 :まあ、ダム湖や溜池と違って、水を導いたり、人為的にせき止めたりは
   していないということだろうな。


草 :蓮如上人が建て、三河布教の根拠地となった応仁寺です。
宿 :いやーサクラが満開だなあ。

草 :どうも、なにかイベントをやっていたみたいですね…。テントが畳んであります。

草 ;提灯やのぼりもありますね、春祭りっぽいというか…。
宿 :どうしてこう、間が悪いかね。
草 :人の行かぬ道を行けということなんだと、最近は思い始めました…。
宿 :そ、そうか…。

草 :このお寺には、蓮如上人の像があり、碧南市の有形文化財に指定されている
   そうです。
宿 :”西端区民の悲願”か。ずいぶん表現が強いな。
草 :さっきの看板にも、西端区の説明がありましたね。

宿 :ふむ、西端地区というのは、江戸期に西端藩が置かれていて、廃藩置県の
   際にそのまま西端県となり、うーむ、その後、西端村として昭和25年に明治村、
   昭和30年に碧南市と合併するまで存続していたということだ。350年間くらい
   だな、すごいな。地区は城下町のように入り組んでおり、昔の姿を今に残し
   ています。と、あるぞ。

草 :それは是非、路地探訪に行きたいですねえ。

草 : ”蓮如井戸、この水飲めます” とありますね。
宿 :ほう、じゃあ、今日も水割りといくか。

草 :用意が良いですね。
宿 :まあな。フゥー、うまいぜ。なかなかの花見だ。
   それにしても、油ヶ渕の由緒、蓮如と如光、応仁寺、西端地区と、
   ここにきて名所旧跡が目白押しだな。

草 :そうですね、今日は西端地区を巡る余力が無いのが残念ですが、かなり力の
   ある観光資源ですよね。また、碧南市の力の入れ具合も強く感じます。

草 :そろそろ、油ヶ渕に戻りましょうか…。おや?。

草 : ”日本モーターボート選手会 勤労青少年水上スポーツセンター” とあります。
宿 :ああ、朝見た、モーターボートか。
草 :やっぱり、プロ選手の訓練所だったんですねえ。
宿 :こんなところになあ。


草 :ああ、確かに、朝にみた施設がありますね。

草 :あと、300mでゴールですね。

草 :潭水橋が見えます。

草 :潭水橋を渡って、安城市にもどりました。

草 :ここにも、公園整備事業のお知らせが掲示されていますね。
宿 :これから何年かで、油ヶ渕の周辺は、激変するわけだな。
草 :そうですねえ。現在でも大変に魅力的な部分がありますし、農業や漁業、
   商工業、観光、そして周辺地域の生活文化全般に、油ヶ渕が根ざしている
   部分は深いものを感じましたから、もしかすると、単に公園ができたという
   だけでは済まない影響があるのかもしれませんねえ。
宿 :どっちかっていうと、碧南側のほうが、活気付きそうだな。
草 :どうでしょうか、そうかもしれないですねえ。まあ、安城だ碧南だと争うものでも
   無いかとは思いますが、環境面で安城市、観光面で碧南市がポテンシャル
   がある感じはしますね。

宿 :ま、波高し。だな。

(了)


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