日常道場

現代人の道場手記

2010-12-15 10:32:33 | 日記
息とは不思議なものだ、意識して息をすることもできるが、日常生活の中では息をしていることをほとんど意識しない。
 最近道場では稽古前の黙想に少し長い時間かける。数息に集中して雑念を払う時間は、身心を掃除するような感覚で雑念満載の日常をリセットできるようで気持ちが良いし集中力も冴えるように思われる。
 そこで私はこれを日常にも応用することにして、毎朝黙想の時間をとるようにした。息を観察すると今まで気が付かなかった心や身体の様子が面白いように観える。一つ例を挙げると、力みは深く息をすることに対しての抵抗となる。力みのある箇所が素直な息の流れを詰まらせる。これは刀で斬る時も同じで、力みが抵抗となり全身全霊の力が出せないという弊害になる。息を観察することは、身体の力みを観察することにも通じると思う。私の場合顔から首筋にかけて力みが残るようだ。顔は感覚器官が多く、周囲に対して表情をつくり、さらには頭には脳みそがある、あまりに人間らしい力み方で微笑ましくもあるが、息の出入り口である鼻と口がある顔が力んでいては、息を含めたエネルギーの出入り口が狭くなっているとも考えられる。これはもったいない、とりあえず全身の力みが抜けるまで黙想するようにしている。全身の力みが抜けてくると、自然と雑念妄想の波も静まってくる。
 
 インドで佐々井秀嶺師に自己紹介をさせていた頂いた時、佐々井師は私の泰生という名の生という字に対して、生きるとは息をすることであると語ってくれた。
 これはシンプルだがすごく大事なことだと思う。日常で生きていることを忘れないための基本は、息をすることを忘れないこと。