ここ最近、刀と絵のスランプ状態が続いていた。刀も絵も自分の身心の有様が如実に現れてしまうので誤摩化しがきかない、技術的なことはもちろん大事ではあるが、それよりも身心一如と言われる身体と心が一致した状態にならなければ、刀も絵も腑抜けたものになる。心が考え事などにとらわれていて、雑念妄想の中にさまよい、今この瞬間にいないことが習慣化していたようだ。
日常生活の中では、心配事や気にかかることが常に発生してくる。しかし、まだ来ない未来のことや過ぎ去った過去などというものは、今この瞬間には存在しない。いくら大事なことのように思えても、それは現実を伴わない妄想である。
そんなことを言ってはみても、ただ今この瞬間にいるというシンプルなことは簡単ではない、先日の稽古での黙想の時、師範がおっしゃっていたのは、とめどなく雑念妄想が湧いてくるのは当たり前だ、ただそれに気付いて姿勢や息に意識を戻せばよい。というようなことだった。
何事にもとらわれない、今この瞬間に生き鼓動する身体と心が一致している。そんな当たり前のことが出来ない人間。それを徹底的に意識して無意識でも自然とそうなるようにしてゆく、なんだか自然の働きからはずれてしまった人間が、自然の働きに戻るリハビリをしているようだ。
日常生活の中では、心配事や気にかかることが常に発生してくる。しかし、まだ来ない未来のことや過ぎ去った過去などというものは、今この瞬間には存在しない。いくら大事なことのように思えても、それは現実を伴わない妄想である。
そんなことを言ってはみても、ただ今この瞬間にいるというシンプルなことは簡単ではない、先日の稽古での黙想の時、師範がおっしゃっていたのは、とめどなく雑念妄想が湧いてくるのは当たり前だ、ただそれに気付いて姿勢や息に意識を戻せばよい。というようなことだった。
何事にもとらわれない、今この瞬間に生き鼓動する身体と心が一致している。そんな当たり前のことが出来ない人間。それを徹底的に意識して無意識でも自然とそうなるようにしてゆく、なんだか自然の働きからはずれてしまった人間が、自然の働きに戻るリハビリをしているようだ。