今回の洒井法子逃亡騒動で、真如苑も巻き込まれた形となりました。
そもそも、日本の宗教施設で犯罪者を匿うということは、常識的にもまずないことでありましょう。大昔の記憶にT教の布教所に信者としてしばらく滞在した人が追われている犯罪者であったという事件が新聞で騒がれていた、というものがありますが、それ以外聞いたたことがありません。
私のキリスト教時代の記憶で、牧師の愚痴に「教会への宿泊を正体不明者から求められ断ったところ、扉の向こうで賛美歌を歌い続けられ困った。物乞いもしょちゅう来るが断る規則があり断る。しかし、いろいろあって困っている。」と言うのを今回思い出しました。施しは、決まった日、場所、専門関係者(ボランティア)が行うものです。
暴力に苦しめられている妻が駆け込む専門宗教施設はあるでしょうが、宗教施設に犯罪者が逃げ込むなどという感覚は、宗教活動に無知か、寺社奉行がいたころを想う前近代的思考だと想われます。
宗教施設はホームレスをまず受け入れていません。都内なら明治神宮の森、大きな神社、京都の寺々に、町内の神社境内などにホームレスはいないし、ブルーシート村はありません。決められた施設をつくり収容するか、寄付をするか、信者ボランティアを送るかの活動です。 有料宿坊以外の宿泊収容、ましてや犯罪者の収容は真如苑に限らず宗教施設ではまずないでしょうね。
こういった形でニュースになるように、のりぴーが導かれちゃったのかもしれないですね。
その意図を考え中の者です。
のりぴー自身は数回吸ったと言ってますが、それは本心で、自分で吸おうと思って吸ったのが数回、旦那に吸わされたのが何回もだと、思います。