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神武天皇詔勅謹解02

2006-04-09 14:17:10 | 神武天皇詔勅謹解
 遠く神代に遡つて考ふに、天照大神、三種の神器を天孫瓊瓊杵尊にお授けになり、豐葦原の瑞穗國、即、大日本帝國の君として高千穗の峰にお降しになつてから、永久に光輝のる我が國の歷史は始つている。その間、次第次第に國の威力は強大になつて今日に至つたのであるが、特に大きな國威發揚の場合には、やはりそれぞれに大きな困難にうち勝つて居る。古代に在つては、神武天皇の御事蹟の如きも、最光輝あるものとして仰がれる。瓊瓊杵尊が、高千穗の峰にお降りになつてから、續いて彥火火出見尊、鸕鶿草葺不合尊の第四皇子として御降誕になり、御歲四十五に及つて、「その地が我が國の西に偏して居つて、國家統治の大業をなされるのに不便である。」と思召されて、東の方大和の國にお移りになり、各地に於ける凶徒を御討伐になつて、遂に即位の式を舉げさせれられたのである。この神武天皇の御精神を拜すべき資料としては、我が國の最古の歷史書の一なる『日本書紀』に、天皇の詔敕を載せて居るのである。これらは何れも貴いものであるが、そのうち特に今日の時勢に於いて重大なる意義を有する詔敕が三篇あつて、今これを假に御下しになつて年代に依つて、紀元前七年の詔敕、紀元前二年の詔敕、紀元四年の詔敕と申し上げる事とする。次にこれらの詔敕を揭げ奉つて、謹んでその意義を說明しようと思ふ。

二、紀元前七年の詔敕
 この詔敕は、天皇御歲四十五歲にましまし、日向の國で皇兄弟及び皇子達に對して仰せられた物である。此時の御事情は、前にも記したやうに、天孫瓊瓊杵尊が高千穗の峰にお降りになつてから、久しく九州南方の地に宮居せされ、その間隼人族の如き附近の豪族を征服せられた如き事はあり、皇威漸く振つたけれども、地の理を言へば猶西に偏して居つて、大八洲全體を統治せられ、更に威を海外に振はせられるには御不便であつたので、東の方、海を航して、本州の地にお移りにならうようとする御趣旨を述べさせられたものである。次にその詔敕の本文を揭げ奉る。但し原文は漢文であつて、その讀み方にも諸說があるが、今これを比較的平易な讀み方に從つて書き下し文とする。以下の詔敕も同樣である。


神武天皇詔勅謹解01

2006-04-09 14:11:53 | 神武天皇詔勅謹解


神武天皇詔敕謹解  文學博士武田祐吉謹述

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例言

一、ここで二千六百年を迎へて、神武天皇の聖を紀念し奉り、その御精神を奉戴して國民精神の作興資する事は、今日の時局下に於いて特に意義の有る事と信ずる。依つて神武天皇詔敕謹解を刊行して諸賢の必讀を願ふのである。
一、本書は國學院大學教授文學博士武田祐吉氏に執筆を委囑した。

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神武天皇詔敕謹解



一、神武天皇の聖業
 日本帝國がその國運を賭けて居る聖戰此処に第三の春を迎へて、東亞の新秩序の建設は、確實にその步みを進めて居る。しかしながら過ぎて來て跡を顧みると、非常に大きな困難にうち聖つて至つたのであり、同時にこれから先の道も決して容易な物ではないと思はれる。唯天皇陛下の御稜威を仰ぎ、神神の御惠を戴き、國民總べて力を協せ心を一つにして、初めてこの大業を成し遂げる事が出來るであらう。この際に當つて丁度皇紀二千六百年を迎へたのは、大に意味の有る事である。申すまでもなく、我が國の紀元は、神武天皇が大和の國の畝傍の宮に御即位の大典を舉げさせられた年を以つて元年とするのである。それから二千六百年を經過して居る今日は、正しく神武天皇の偉大なる御事蹟を紀念し、追憶し奉るべき絕好の機會であると言はなければならない。さうして神武天皇の御精神を奉戴して、以つて今日の國民の進むべき道を定むべきである。



紀小弓

2006-04-01 22:01:53 | 前賢故実
紀小弓(きのおゆみ)

 紀小弓宿禰。
 雄略帝九年,奉詔,與蘇我-韓子、大伴-談、紀-小鹿火,帥師討新羅。小弓臨發,請大伴室屋曰:「天威赫赫,虜豈能抗之。僕雖怯弱,敢不竭力。但新喪伉儷,扶養無人。冀被恩以一妾自隨。」帝聞而憐之,賜以采女-大海。小弓入新羅,行屠郡縣。遂逼都城。其王震怖,知不可敵。與數百騎,棄城遁逃。小弓追北,斬其將。殘卒猶熾。大伴談連,力鬥而死。其臣-津麻呂亦殉之。小弓復擊定之。暴病卒于軍中。大海從小弓喪歸。就室屋,奏請葬地。帝敕曰:「將軍身勞萬里,命墬三韓。宜哀矜焉。」於是,室屋奉敕,使土師-小鳥作墓於田身輪邑而葬之。

藤原不比等

2006-03-25 15:06:18 | 前賢故実
藤原不比等(ふじわらのふひと)

 藤原朝臣不比等,内大臣鎌足第二子。性謙恭好學,繼父輔佐天子。

 白鳳十三年,始賜朝臣姓。大寶元年,奉敕與刑部親王、下毛野古麻呂等,撰定律令,頒諸天下。元正帝寵禮優渥,委以政事。累官至右大臣正二位。養老四年,薨。帝深惜之,廢朝弔賻,禮異群臣。贈太政大臣,追封淡海公。諡文忠。

 先是,藤原氏未置氏長者,至不比等,始命為之。有四子,正二位-左大臣-武智麻呂稱南家。第二子-正三位-參議-民部卿-房前稱北家。第三子-正三位-參議-式部卿-太宰帥-宇合稱式家。第四子-從三位-兵部卿-左京大夫-麻呂稱東家。後世藤原氏笛裔,皆出此四家也。



 五言春日侍宴應詔

   淑氣光天下 風扇海濱 春日歡春鳥 蘭生折蘭人
   鹽梅道尚故 文酒事猶新 隱逸去幽藪 沒賢陪紫宸

秦酒公

2006-03-17 00:13:42 | 前賢故実
秦酒公(はたのさけのきみ)

泰酒公。秦始皇之後-普洞王之子也。曾祖功滿王,仲哀天皇八年歸化。祖弓月君,應神天皇十四年,以百二十縣人口來歸,獻金銀玉帛。帝賜大倭朝津間郡。使養蠶織絹以貢。詔曰秦氏所獻絹綿,柔軟溫煥,共愜體焉。因賜普洞王姓波陁はた。酒公事雄略天皇,帝賜木工鬥雞御田,造樓閣於宮中。御田登疾走如飛。伊勢采女,偶仰視而驚仆,覆所捧御饌。帝疑御田有姦將下吏。酒公時侍坐,鼓琴以諷其無罪。帝悟而赦之。

少子部蜾蠃

2006-03-07 22:54:51 | 前賢故実
少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)


 少子部連蜾蠃。

 雄略帝,嘗命蜾蠃聚蠶。蜾蠃誤聽聚嬰兒以奉。【蠶、嬰兒,邦訓相似。】帝大笑,賜嬰兒於蜾蠃曰:「汝宜自養。」蜾蠃即養於宮墻下。仍賜姓-少子部連。

 帝復詔蜾蠃曰:「朕欲見三諸岳神之形。汝臂力過人,自行捉來。」蜾蠃登三諸岳,捉大蛇來奉帝。蛇身長大,眼光赫赫。帝掩目不觀焉。仍改賜名為雷。

稚足姫皇女

2006-02-26 15:21:08 | 前賢故実
稚足姬皇女(わかたらしひめのひめみこ)


 稚足姫皇女。更名栲幡娘姫。
 雄略帝三年,阿閉臣-國見誣奏云:「栲幡姫通廬城部連-武彥,已有身矣。」武彥父-枳莒喻聞之,恐禍及家,誘殺武彥於盧城河。帝聽而案問姫。姫不能自明,且憐武彥冤死。泣血數佇,起懷神鏡,至於五十鈴河上,埋鏡而自經。
 帝使人求姫蹤跡。至河上,見虹霓似蛇。於其地,得神鏡及姫屍。令割腹而驗之。無身。枳莒喻由斯得雪子罪焉。

難波日香蚊

2006-02-21 00:47:59 | 前賢故実
難波日香蚊(なにわのきしかか)


難波日香蚊(なにわのきしかか)

 難波吉士日香蚊,父子皆事大草香皇子。


 安康帝欲聘大草香妹-幡梭,為皇弟大柏妃。使根使祖傳詔。大草香大喜,獻珠縵以表信。根使主竊匿不進,誣奏曰:「大草香皇子不奉詔,且言不遜。」帝大怒,遣兵殺之。取幡梭為皇弟妃。於是,日香蚊父子不勝悲傷,父抱王頸,二子各執王足,慟哭曰:「吾君無罪見誅!何其不幸。臣生事之,死豈不殉乎!」即皆自刎於屍側而死。


 雄略帝十四年,根使主事覺伏誅。敕求日香蚊後,次姓大草香部吉士。

衣通姫

2006-02-19 21:23:42 | 前賢故実
衣通姫(そとおりひめ)



 衣通郎姫。允恭天皇寵姫而皇后-忍阪大中姫妹也。
 才藻富膽、歌詞絕妙。姿色艷麗、肌膚如玉、徹衣而晃然。初帝強命皇后、而進衣通姫。姫畏皇后、雖七召之、固辭不應。帝復使中臣-烏賊津使主召焉。亦辭。使主即伏庭下、七日不食、泣請甚切。於是、不得已入宮。帝殊寵之、造宮於藤原而居之。又移河內茅渟。帝屢臨幸。


 天皇一日幸藤原宮、密察衣通姫居動。適見衣通姫沉思歌曰:
  夫子せこが べき夕也よひなり 小竹ささの 蜘蛛くもおこひ 今宵著こよひしるしも


 天皇聽之、不勝感、即歌曰:
  ささらがた 錦の紐にしき ひもを 解き放と さけて 數多は寢あまた ねずに 唯一夜ただひとよのみ

県守

2006-02-17 00:48:53 | 前賢故実
県守〔あかたもり〕

 縣守。笠臣祖。為人勇悍強力。
 仁帝朝,吉備中國川島河,有大虯,為民害。於是,縣守取三瓠臨淵曰:「告汝虯。今我投瓠,汝能沉之則宥汝,不能沉則戮汝。」虯即化為鹿,百方欲沉瓠而不能。縣守乃拔劍躍而入水,斬大虯。更求小虯。小虯懼而匿水底窟穴。搜索殲之。水悉變為血。故字其水曰-縣首淵。

弟橘姫

2006-02-13 09:48:46 | 前賢故実
弟橘姫(おとたちばなひめ)

 弟橘媛。穗積氏,忍山宿禰之女。日本武尊之寵姬。
 尊征東夷,媛亦從行。一自相模泛海而東。時風濤暴起,舩將覆。媛啟尊曰:「是海神為祟也。請妾身當之。」言訖,自投於海。暴風即止,三軍得濟。尊深哀歎之。已平虜而歸,西踰碓日嶺,東望懷媛。嘆曰:「吾嬬己矣!」因號東方諸州曰吾嬬。



 比賣將入海.歌曰:
  さねさし 相模(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも

日本武尊

2006-02-12 23:17:47 | 前賢故実
日本武尊(やまとたける)


 日本武尊。一名日本童。名又曰小碓。景行天皇皇子。容貌端正,身長一丈,力能扛鼎。
 天皇遣皇子征熊襲,時年十六。女裝竊入其家,剌魁帥川上梟帥殺之。賊咸寒毛股栗。
 四十年,蝦夷叛。於是,拜大將軍,征東夷。吉備武彥、大伴武日為之副。皇子先到伊勢,拜皇太神宮。進到駿河浮島原,虜乃偽降,誘皇子令獵,燎原以攻之。皇子提天叢雲劍,剪伐草莽,鑽燧縱火,會大風起,烟焰反掩賊軍。虜皆潰散。進入陸奧,至蝦夷境,所向悉摧破。眾虜震怖。終俘酋長,邊境乃安。



征東夷凱旋之日,入尾張至尾津,得嘗所遺失之劍於松下。歌曰:

  尾張(をはり)に 直(たた)に向(むか)へる 一(ひと)つ松(まつ)あはれ
  一(ひと)つ松(まつ) 人(ひと)にありせば 衣著(きぬ)せましを 太刀佩(たちは)けましを

田道間守

2006-02-12 13:36:47 | 前賢故実
田道間守(たじまもり)


 田道間守。
 垂仁帝九十年春二月,命田道間守使求橘于常世國。得之而歸。時帝己崩矣。於是哀慟曰:「嘗奉命,遠至絕域,踏浪度險。往還十年。今而無所復命。臣雖生,亦何為?」遂伏陵下,哭泣而死。群臣為之流涕。

野見宿禰

2006-02-08 00:45:43 | 前賢故実
野見宿禰(のみのすくね)


 野見宿禰,出雲國人。臂力絕倫。
 垂仁帝七年,大和有當麻蹶速者,軀幹長大,常自誇多力,以謂天下無雙。帝乃令諸國,驛其對與之比試。宿禰當其選,與蹶速角力。一時忽躍而踢倒,折其腰骨斃之。於是被任用。
 三十二年,皇后曰葉酸媛崩。宿禰請官徵出雲土部一百人,挺埴以造人馬之形。樹之陵墓,易殉死者。名曰-埴輪。
 後賜姓曰-土部臣。

彦国葺命

2006-02-07 09:43:58 | 前賢故実
彦国葺命 ( ひこくにぶくのみこと )


 彥國葺命。天足彥國押人三世孫。
 崇神帝十年,武埴安彥與其妻-吾田媛謀反。埴安彥起山背,吾田起大坂,分道入襲京城。帝命彥國葺討之。
 彥國葺與埴安彥隔輪韓河而軍。躬射埴安彥,一矢斃之。其眾潰散,斬獲過半。五十狹芹彥命,亦斬吾田于大坂。