YANO-BEAR

テディベアの瞳に魅せられて二十数年、今もチクチク産み出しています。紅真子の部屋とテディズマンションを統合してスタートです

ベアを忘れたカナリアになりました。2

2023年03月27日 | 日記
テディベアを作り出して、4半世紀!家事、仕事、子供達の独立。そして老人介護、看取り。
妻、母、嫁、社会人としての役割の日々、個人の私を支えてくれた趣味がテディベアでした。
それぞれの、役割を一つ一つ片付け、私の時間が半分とれるようになりました。

私は、明治生まれの祖父母、大正生まれの両親と兄の家族の中で生まれ育ちました。
私が10歳の時、父が仕事中の事故で亡くなり、いわゆる母子家庭になりました。
我が家は家長制度が生きていたので、父が亡くなっても祖父が家長として存在し、
生活には支障がありませんでした。庶民の生活は、戦後の影響下で貧しい生活が
続いていたようです。我が家は代々宮大工で・・・長くなるので割愛します。
祖父は19歳まで、お目ざ(目覚ましおやつ)が置いてある、大工の跡取りでした。
それと、母親が旅館を営んでいたようです。宮大工と旅館の跡取りで、待望の男の子
ですから、19歳まで絵画、音曲、遊びにと熱心だった様です。が、、19歳から転機が!
父親の金銭トラブルで、他人の負債を抱え込み、そこから血の出るような努力をして復活したようです。

父も祖父も、絵画が得意でした。祖父は音楽も得意で、歌、三味線等、、話では、芸者さん達が歌合せ?
音合わせ?に集まったりと、歌が得意だったようです。さんこ節など。

我が家には、代々音楽に興味を示す遺伝子が、合ったのでは無いかと思っています。
私の兄も楽器演奏、歌が好きです、甥っ子や姪っ子も音楽に長けています。
私の成人までの生活は、音楽にあふれていました。
歌や楽器は、みんなが好きだと思っていました。結婚するまでは。。

ただ、家長制度?家長の一声の威力!
テレビのチャンネル決定権。諸々が家長の意向。
家長が嫌なことは、好きな歌も控えめに、、。
子が巣立ち、独立し、親を介護し、看取った。二人の生活になった頃、、
夫に宣言した!
「あなたと結婚して、一つ!残念なことがある。私の好きな音楽関係の趣味を一緒に楽しめなかったこと。
人生の先が見えてきた私は、歌が楽しくて仕方ないから、反対されても止めませんから!」と。

知らず知らずのうちに、鼻唄が!でて
知らず知らずのうちに、鼻唄が止まらなくなった。
知らず知らずのうちに、スマホのマイクで歌っていた。
知らず知らずのうちに、ポケカラで2年も歌い続けていた

コロナで、ベア作りを休んだり、新しい、いや、しまい込んでいた心の宝!
クマを抱えたカナリアは日々、幸せに歌っている。

ベア作りは目標1000体までは頑張ります。

父との思い出は少ないけど、祖父の豪快さ!明治の男の話は面白い!です。
機会があれば、お話しするかもしれません^v^







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