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ウトピア

真実と欲望が出会うところ

紅葉と賢者の言葉

2008-12-08 23:48:08 | Weblog
ある東洋の賢者は言う。
「お辞儀をするのは相手に敬意を払っているように見えて実は自分にお辞儀をしている。自分にお辞儀をしていることで自分を尊重する事ができると他人も尊重できるようになる。そういう思いでお辞儀をすれば人間関係も良くなろう」
解釈の難しいところである。
「善人なおもて往生する。いわんや悪人をや」
この文の解釈と似たところがある。どちらにしても理性を働かせる必要がある。しかし、理性を超えた瞑想や直感のみを持ち出されるともう議論にはならない。
現実には理性を超えたものがあると考えられるのは、人間理性の限界があることであろう。これは18世紀にカントが認めているところである。ではこれを超えるのが、瞑想と直観であろうか?それとも経験論哲学者の言うところのものでよいのであろうか?

ビーナス2

2008-12-05 01:53:32 | Weblog
いつも私は早とちり。
ここが救いだ と思ったところは
思わぬ落とし穴があった。
私の過剰な期待は、見事、裏切られる。
でも、私は経験して、一つ賢くなったのだ。
自分におめでとうと言おう。
明日は、誰か自分以外の人に
「おめでとう」と言おう。



人民による政治

2008-12-02 03:40:15 | Weblog
アメリカ大統領選挙は終わったが、この選挙はアメリカ国民を大いに盛り上がらせ

た。当選したオバマ氏にアメリカ国民は、アメリカ国民としての連帯感を持っ

て、期待しているだろう。

翻ってわが日本の政治は停滞し、妄言を吐きまくる総理大臣を国民はじっと我慢の

子で見ている。政治改革は閉塞感のなかにあるようだ。

政治に対する白けた気分や無関心を助長しているのことについて、極めて基本的な

主に三つの原因がすぐあげられる。

情報公開が進んでいないこと、議員定数の不均衡、選挙法の国民参加を阻む規定、

その他いろいろあるが、これらは前々から指摘されていることだ。ほとんど是正

されていないか、先送り、先送りである。特に三番目に関して、戸別訪問禁止の規

定はアメリカなどにはないもので、これを知ったアメリカ人は非常に不思議がる。

この規定では、候補者は一般国民の要求や傾向を直接知ることはできないではない

か という疑問である。

日本の議員候補者の多くは、国民一般の意見を知る必要はないのである。彼らの言

う一般国民は彼らを支持している圧力団体や支持団体であり、とりわけ、その組織

の幹部たちであり、彼らの意見を聞いていればいいのである。票とお金は彼らが

候補者のところに持ってくる。後は、マスコミ対策とうるさく叫んでいればいい。

個別訪問を認めたら、アルバイトや利害関係で、あるいは単なる親しみや縁故でし

か集まってこない選挙運動員は、反対意見をしっかり持った人や政治に疑問を持っ

た人に政治や民主主義や候補者の政治的信条や公約を説得することなどできないで

あろう。

日本人は買収され易いからといったような理由でこの禁止規定ができたようだが、

これではいつまでたっても日本人の政治に対する参加意識は、受け身で候補者の

意見やマスコミが宣伝するものを受け取るだけのものである。どんな政治がおこな

われるかをについて、実感することがなくなり、政治的無関心は助長される。

法律の社会規範機能を考えれば、この禁止規定が制定されて、かなり時がたつの

で、選挙の戸別訪問は悪いことであり、民主主義に必要ない事として国民に意識さ

れ、いつまでも日本人は買収され易い民主主義の民度の低い国民として育ち、育て

られる。

国民の多くが候補者に少額といえども選挙資金を提供し、選挙運動に参加する、と

いうことがないので、政治家は煩わしい「文句を言ってうるさい消費者」である国

民の意見を聞く必要もない。

代わりに、選挙資金はいくらあっても足りない。事務所の経費で、一本何百円もす

るミネラルウォーターの水も必要だから。政党助成金の制度で、政治家の一人当た

りにかなりお金が税金から払われていても、政治家のお金をめぐる汚職はなくなら

ない。

彼らは、利権まみれ、御金まみれ、そして権力の快楽に漬かっているのがことのほ

か好きなのだろう。これが彼らの生きがいなのだろう。

政治家の生きがいに奉仕している日本国民はなんと幸せな、高いモラルを備えた国民

であろうか。

きっと、将来はもっと人格高尚になって、何万人の飢え死に者が出ても、経済が破

たんしても、他人の責任にしないで「我が国は地上の天国です」と外国人のインタ

ビューに答えることだろう。

でもそんな理想郷を、人格低劣な人間が破壊するかもしれない可能性、成立させな

い可能性はないとは言えまい。人はよくても、悪くても堕落するのだから。



規制緩和

2008-09-18 23:35:42 | Weblog
 米大手証券リマンブラザースが倒産したが、彼らに同情する声は少ない。彼らは儲けてきたのだし自業自得である規制緩和の功罪=、経営者、資本家は善人ばかりか
。しかし、彼らを信用して資金を預けたり、投資したりした人は馬鹿見ることになる。また、金融不安を助長して、さらに金融に関係した投資価値を引き下げたのも大いなる責任があろう。そして、企業に資金が回らなくなり、消費が冷え込むことで今回の金融不安は、1929年の大恐慌以上のマイナスを世界に与えている。サブプライムローンの破たんがきっかけになった新しいタイプの恐慌といえる。
 しかし、やはりこれも野放図な経済活動がもたらしたものであるところは、1929年の恐慌と同じである。サブプライムローンを証券化してこれを世界中に売買することでそのローンがどのように危ういものであるか、返済不能になるものであるか、最初のローン契約を作った者の責任はなくなってしまうことになる。
 翻って、わが日本国も事故米が多くの仲介業者によって正常な米となって流通して酒や、お菓子になってわれわれの体に吸収され、われわれの健康不安を増大させている。これらの仲介業者が規制緩和で自由に活動できて、なんら監視されていないところは、どこかアメリカのサブプライムローンが野放しにされていて全世界に金融不安という毒をばらまいているのに似ている。
 日本もグローバルスタンダードとかいってアメリカ並みに規制緩和をしていたわけだから当然同じような弊害を生じさせているといえよう。規制緩和をすれば効率的に経済が運営されて経済が発展して生活が豊かになるというのだろうが、結局、アメリカは住宅バブルを世界にまき散らし一時的に儲けたであろうが、実体の伴わないマネーゲームで一部の人が大儲けしたにすぎない。
 両者に共通する認識の甘さは、経営者や資本家が良識を持っている人ばかりということだ。まさか、法律に違反して、事故米を買ってくれる国家に貢献してくれる業者が、人の口に入る正常な米として転売するはずがないという単純ないしきをもって持っていたからこそ、検査も抜き打ちにしないで事前に連絡してやることができたのだろう。もっとも、違った見方は、業者の立場に立って「うるさい消費者」より信頼していたのであろう。なにしろ、役人には常に接待して役人の労をねぎらってくれるのだから。
 アメリカの場合は、アメリカ自体がマネーゲームの危険性に鈍感になってしまっている。最初のローンを組むところで不適切な契約がどんなにおこなわれても行政や金融当局は見過ごしている。アメリカ経済の世界的な関係性を考えれば、アメリカ金融当局も契約自由の教義に従っている。かつて、ニューデール政策で労働者保護の法律を憲法改正してまでおこなったところをブッシュ政権は思い起こさなかったようだ。
 規制緩和は有益な面もあるが、必ずそこから悪が生まれることを考えるべきが日本もアメリカも共通しているが、日本の行政の業者べったりはアメリカよりひどいものだ。特に、直接国民の口に入るものなのに。行政の都合や怠慢、業者の利益のために国民の健康を犠牲にする鈍感さは、社会保険庁の国民に対する無責任な態度と行動形態は同じものであろう。
 こんな、日本社会で生きていくには、やはり、政府のえらいさんや政治家のまねをするか国を捨てるしかあるまいとさえ思われる。今回だけではない。血液製剤によるエイズ感染や肝炎の感染など、政府の民衆無視は絶えることはない。いつも、同じことが繰り返される。そのたびに改革案が論議されるが根本的なものは行われない。その理由はたぶん、国民の概念や国民の生活という観念が政治家、業者、官僚と労働者や大半の国民のそれが違うからであろう。
 改める方法は、日本でないところをモデルにするしかあるまい。

日本の将来

2008-01-20 18:32:36 | Weblog
日本の将来
 コーヒーショップに行った。いつもの店だが、今日は喫煙コーナーしかあいていないので、我慢して壁際ソファー席に座って、「愛すること」という本を読む。周りに座って、読書をしている男女は、外の寒さを避けて、たぶん、孤独を避けてこの店にはいったのだろう。
 声高に話している二人の青年が気になった。
 「織田信長は自殺したんじゃないかな。自分で死ぬことができないから、死なざる負えない状況を自分で作ったんじゃないかな。そのことを試験の答案に書いたよ。先生が何か書いているといいといっていたので」
 なかなか、歴史に興味を持つ青年がいるのは、日本も捨てたものっではない、と思った。歴史嫌いが高校生に広がっているのは、日本社会の不健全さを示している考える自分としてはそう考えたのである。
 彼らの話はやがて現在の日本の状況について話し始めた。
 「そんなに悲観してもいけないよ、・・・・みんなが末代まで発展することを考えないと」といった一人の青年は、両足を両腕で抱える座る姿勢をとっていた。両足の靴底はソファの座る部分にあたっている。
 ああ、溜息をつきたくなった。
 みんなのことを考える人間が土足で椅子を汚すことをなんとも感じない。どこか、日本人は自己に甘い、というか、対象に対する働きかけが自分の可能性と人格を試されていることに関心がない。自己の中に、日本をダメにした、否、日本が少数者のための格差社会を形成した要素があることに気付かないのではないか。改革は、民主的な改革は、自己の改革でもあることを認識すべきであろう。あまりに我々は、日本文化に仕掛けられている事なかれ主義と誤った平和主義、その他もろもろに毒されていることを調べてみよう。

実録社会保険庁窓口

2007-06-24 00:56:14 | Weblog
実録 社会保険庁窓口
思い出すたびに腹に据えかねるというよりも、この国の行政機関や政治家が腐っているのか、人々が飢え死にしていても、「この世の天国です」と国民にいわせる国造りに邁進しているのか、と考えさせるできごとであった。おそらく両方をめざしているのだろう。
事は二年前か三年前で、当時も社会保険庁の問題があったので、私はとある社会保険庁の地方事務所の窓口に、自分の保険加入期間を確かめに行った。窓口で渡された資料を保険事務所を出た後、調べてみると加入期間が自分の承知している期間より短いのに気づいた。前の職場での期間が間違っていた。そこで、正確を期するために自分の前の職場の保険の組織に電話で問い合わせ、確認資料も送ってもらった。この資料を持って同じ窓口にいった。以下はそのときのやりとり概略である。
(私=I、保険窓口職員=B1、B2)
I:「前にきたんですが、保険の加入期間がそちらの記録で間違っているようなので、訂正してください」
前にもらった資料と取り寄せた資料をB1に提示した。B1それらを見て。信じがたいことをいった。
B1:「できません」
はあ?という感情しかおこらない。なぜできないのかその根拠はなんなのか問うことすらばかばかしいことに思われたが、もっとすごいことをこの男はいう。
B1:「年金請求時に訂正を申請してください」
I:「馬鹿なことを、そんなのは何十年もさきのことですよ。たんなるそちらの入力ミスではないですか」
B1は無表情に同じ事やわけのわからんことをいうのみなので、空想社会主義者が資本家に冷静にこの社会のために社会主義が必要だと理性に訴えるだけでない、市民が専制的な官尊民卑の政府に対するときに有効な口調で、ベテランと思われるこの国家公務員に民主政治がどんなものであり、このままではこの世がどんどん悪くなることを切々と説教する。
やがてB1はだまって、奥に引っ込んでしまった。そして、B2があらわれた。B2にもおなじことをわたしは要請する。
B2:「訂正します。訂正したら連絡します」
I:「訂正したら、その資料をおくってくれ」
ということにした。訂正された資料は1ヶ月後に送られてきた。
このやりとりは、およそ社会人のもでないだけでなく、小学生のやりとり以下を示している。
最近の5000万件やその他の社保庁の醜態を、よく考えるならこれは単なるミスではなく、構造的にその仕組みができていること。すなわち、国民の保険料や税金は政府の役人や政治家のために使われるもので国民からとったものは国民に返さないのが原則となっていると考えた方が理性的判断といえよう。
戦後一貫して、民主主義を骨抜きにしてきた大きな成果が、今や華かに実を結びつつあるといえよう。最近外国から注目されている、日本の選挙のドキュッメンタリー映画があるが、日本の選挙が欧米の人たちから、奇異の目でみられるのも、戦後の日本の選挙法やそれをめぐる裁判の判例が作り上げたもので、民主主義の日本的骨抜き政策やマスメデイアによるマインドコントロールが完成しつつあるといえよう。
皆さんは、どうすべきでしょうか?
繰り返しになりますが、それは世界史が、特に近世以降の西洋史が示しているところです。
高校でも世界史は教えなくなっているし、たとえ世界史の授業があっても、教員に対する締め付けや教科書検定で歴史をつまらなくしている、ので政府として安心しているであろう。その場しのぎの見せかけ対策でこの危機を乗り切れば、餓死者が何万人も出ても「この世の天国です」といわされる国民の構成する国家ができるでしょう。
理性と人間性に基づいて歴史に、世界に学べば自ずと我々のなすべきことはわかる。




官能

2005-04-20 01:47:08 | Weblog
最初のブログである。どうなるか解からないが
Ⅰ、美術
Ⅱ、エッセイ
Ⅲ、詩と思想
が内容。まず
Ⅰ、美術
デジカメ写真について、動きの面白さと腹筋。
Ⅱエッセイ
中国の反日運動と中国政府の対応について日本政府や日本側の対応のまずさを感じる。中国が独裁国家で言論の自由と民主主義が無いのは明らかで、そういう国家を隣国持つとき何をしていかなければならないか
解かりそうなもの。結局、民主主義を世界に広げることに熱心でない日本政府ならではの対応といえるかもしれない。
Ⅲ、詩と思想
我は欲望をもつ
われは理性を持つ、
われは感情をもつ
我は葛藤をもつ、
われは友を見つけられる
われは異性を見つけられる
われは死の恐怖以外見つけられぬ
あなたは本当の自分を発見するのではなく
本当の自分を作るから苦悩が生まれる。
であるか