どたびき

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熊本の漱石先生

2020-06-24 13:47:00 | 日記
 私は白川の方に散歩に行くとき、熊本大学の校内を通ることがあります。今年はコロナ騒ぎでほとんど学生の姿を見かけませんでしたが、最近ようやく戻ってきたようです。
 校内には夏目漱石の銅像やらラフカディオハーンのレリーフやら、第五高等学校時代ゆかりの人物たちの記念碑があります。散歩がてらにこれらを眺めていくのも楽しいものです。
 ところで漱石先生は、熊本にいた4年3ヶ月の間に厳密に言うと7軒の家に住んだと言われています。一般に第五旧居と言われる(実は6番目)内坪井の家が最も長く1年8ヶ月ほど暮らしていました。この家は公開されていましたが熊本地震でやられ、やっと復旧工事が始まったようです。
 寺田寅彦は熊大裏の立田山山麓に下宿していました。今は目印の標柱が立っています。学生だった寅彦は漱石先生が大好きで、内坪井の家によく遊びに行ったそうです。しかし、私が歩くとこれが結構な距離なんですよね。昔の人は歩くのが普通だから、へっちゃらだったんでしょう。ちなみに寅彦は、上通の長崎書店でバイオリンを
買い、立田山に登って練習したらしい。寅彦の青春ですねー。

坂の街

2020-06-22 11:59:00 | 日記
 私が昨年10月、1か月ほどいた沖縄のおもろまちには、小高い丘の上に水道タンクがありました。免税店のすぐ前あたりです。この丘は沖縄戦の激戦地で、シュガーローフとよばれています。日米ともに数千人の死傷者が出ました。
 おもろまちから国際通りまでモノレールに乗ると230円かかります。もったいないなと思い、歩くことにしました。どうせ暇だし、犬も歩けば棒に当たる。すると、おもろまちから国際通りまでずっと下りなのです。その時、シュガーローフがなぜ激戦地になったのか分かったような気がしました。首里防衛のためには、この丘を死守する必要があったのですね。
 こうして那覇の街を歩き回るようになったのですが、予想以上に起伏に富んでいるのです。上ったり下りたりの繰り返しでした。ちょっと丘に上がると、遠く、近くに海が見えます。空と海と島。この単純さが何とも気持ちよく、また行きたくなるんですよねー。
 熊本に帰ってきて散歩を始めたのはこれがきっかけでした。我が家の周りを歩き回りながら、ここも坂の街だったなと痛感しております。

八代の石造りが日本遺産に

2020-06-21 11:02:00 | 日記
 文化庁が八代の石の文化を日本遺産に選びました。「八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡〜石工の郷に息づく石造りのレガシー〜」というのだそうです。長いねー!
 何しろ種山石工の里ですからね。眼鏡橋がいっぱいあって、干拓地には石造りの堤防や樋門がずらり。日本遺産に選ばれるのは当然でしょう。
 眼鏡橋は全国の9割が九州にあります。奈良県なんて1つもないからね。長崎で中国人が造り、その技術が広まったらしい。でも、九州から先にあまり広がらなかったのは不思議です。
 1つ考えられるのが阿蘇山の影響です。9万年前の大噴火のとき、阿蘇の火砕流は九州の北部を中心にほぼ全域を覆いました。それが固まってできたのが溶結凝灰岩です。この石は加工がしやすく、水を通しやすい。大昔から九州の人たちはこの石を利用してきました。
 装飾古墳、大王の棺、墓石、門柱、敷石、そして眼鏡橋。そう考えると、今回日本遺産になったのも阿蘇山のお陰かもしれませんね。熊本で美味しい地下水が飲めるのも阿蘇山のお陰。ブラタモリで、島原の原城は阿蘇の火砕流でできているから城内に井戸があり、キリシタンたちが長い間籠城できたと言っていましたが、火砕流は海
を渡ってあそこまで行ったんですね。

ヒマにまかせて

2020-06-19 09:25:00 | 日記
 今日は雨。散歩に行けそうもない。雨傘をさして歩くのもできないことはないが、やはり気分が違う。
 ところで我が家から見える金峰山が実はカルデラ火山だとは以前から知っていたが、すぐ裏の立田山がその外輪山だということを知ったのはほんの1か月前。へーっ、そうなんだとびっくりした。
 ということは、金峰山と立田山の間に阿蘇山の火砕流が入り込んで京町台地ができた! いやはや私たちはとんでもないところに住んでいるんだなと、感心した次第です。

ヒマにまかせて

2020-06-18 12:45:00 | 日記
 定年後のヒマな時間をどう使おうかと模索してきましたが、文章を書くのも外せないなと思いブログを書くことにしました。
 ヒマつぶしの1つが、毎日1万歩を歩くこと。室園町の自宅から360度、あらゆる方向に行ってみました。自宅は立田山の下辺りにあります。白川の方に出るか、坪井川に沿って歩くか、京町台地を上るか。日によって、気分によって方向を変えます。
 意外だったのは、予想以上に京町が近かったこと。台地の坂には瀬戸坂や錦坂、雁木坂などそれぞれ雅な名前が付いていて、地元の人たちが立てた標識を確認しながら歩くのはとても楽しいものです。できたら全ての坂を制覇したいと思っています。