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住宅リフォームのヒント

小便から火薬をつくりだした越中五箇山の里

2007年02月15日 13時42分23秒 | トイレの話
「こきりこ節」の故郷、越中五箇山(富山県)は秘境といわれている。荘川上流にある五つの峻険な谷に点在する小集落が、五箇山の地名の起こりとされるが、ここは飛騨白川郷(岐阜県)とともに合掌造民家の分布圏として知られている。
江戸時代の五箇山は、もう一つの特産物で歴史にその名を留めている。それはこの山深い里で火薬の原料になる煙硝が製造されていたからである。16世紀中頃、ポルトガル人によって鉄砲が伝えられたが、その威力は当時の戦争形能を一変させたので、有力な大名は競って鉄砲を手に入れ、まもなく国産化に成功した。しかし肝心の火薬は硝石を原料にして作られるため、資源の乏しい日本では中国やタイから輸入しなければならなかった。そこで苦心惨憺して編み出したのが、硝石に代る人造煙硝による火薬製造であった。当時はこの五箇山のもので質・量ともに最高とされた。
人造硝煙製造の跡がそのまま残されている民家に、村山家住宅(重文・富山県東栃波郡平村上梨)があり、同家の玄関を入った左手に、半地下式の「煙硝まや」がある。現在は物置に使われているので、よほど注意していないと見逃してしまう。また屋根裏を利用した展示場では、他の民俗資料とともに釜や桶などの煙硝製造用具が見られるので参考にされその製造方法は、驚くべきことに人尿を素材としていた。まじ家の床下に穴を掘って、人の蚕の尿に麻・ヨモギ類の葉・乾いた土を積み重ねる。それを5年以上ねかせておくと、人口の硝酸カリウムが生成されてくるというものであった。現代の科学的知識によると、これは土中にいる硝化菌とよばれる一群の細菌が作用して、尿の中のアンモニウムイオンが亜硝酸イオンを経由して硝酸イオン酸化されたわけで、硝化作用といはれる反応である。さて、こうして熟生した培養土を集めて紺屋灰を加え、灰汁煮、中煮、上煮の三段階の濃縮工程を経ると、純白の硝酸カリウムの結晶が得られるのである。五箇山が煙硝生産の宝庫になった理由には、材料にする植物の繁茂、湿気と腐敗を防ぐ高冷地の空気などの条件がsったろうが、何よりも山深い秘境の地であったことが挙げられる。加賀藩百万石はこの地を厳重な監視の下に置き、その技術の秘匿につとめた。それは灰汁煮以下の三工程さえ、それぞれ別の村に分業させるという徹低した管理体制にもよくあらわれている。
こうした国産の煙硝生産高は年々増大し、慶長(1586~1615)年間には五箇山だけで年間1千貫の大台に達していた。ところが皮肉なことに、慶長末年に大阪の豊臣氏が減亡し、元和偃武といわれる戦争のない時代が訪れ、火薬の需要は年とともに減少していった。その後の五箇山の硝煙生産は、再び歴史の表舞台に登場することなく、秘境の地で藩ご用達の下、細々と命脈を保つよりほかはなかったのである。