スマホでも読める小桜姫物語

小桜姫物語/浅野和三郎著 現代語訳/TMHさん 

(元HPより転載)小桜姫物語について

2013-11-02 16:04:56 | 小桜姫物語について
http://www.paperbirch.com/sakura/index.html より転載



浅野和三郎著
昭和12年 心霊科学研究会刊

TMHさんによる現代語訳

更新完了 '04.04.05

--------------------------------------------------------------------------------

 



日本スピリチュアリズム史上最高の霊界通信『小桜姫物語』をお届けします。
……まず一言、楽しんで読めることは保証します。ぜひご一読下さい。

浅野和三郎の妻、多慶子を霊媒として届けられた本通信は、盛り込まれたメッセージの興味深さは言うまでもありませんが、更に物語としての面白さも素晴らしい、日本のスピリチュアリズム史上の金字塔です。日本に生まれたからには全てのスピリチュアリストが読むべき基本文献と言えます。しかし残念なことに、文語体の読みにくさから敬遠され、一部の人にしか読まれていないのが現状です。(内容的には読みやすいのですが……)

今回、当サイトの掲示板常連であるTMHさんが現代語訳を申し出て下さり、この美しい物語をここで紹介できることとなりました。さすがに著書も出しておられるTMHさんだけのことはあり、現代風でありながら小桜姫の雰囲気も損なわず、しかも非常に読みやすい文章を仕立てて下さいました。今まで敬遠していた方も、この機会に一人でも多くの人に読んで頂きたいと思います。

なお、本書は潮文社から本文復刻版が出ています。現代語訳を読んでみて興味を持たれた方や、早く先が読みたい方は、是非そちらを手に入れられることをお勧めします。




『小桜姫物語』(浅野和三郎著・潮文社刊)はこちらで購入できます

TMHさんの著書『いい加減な人ほど病気が治る』(新潮OH!文庫)はこちらで購入できます






--------------------------------------------------------------------------------

転載ここまで




※ブログ作成者はこの小桜姫物語をスマホでも読みたいと思ったいち読者であり、こちらのHPの関係者では無い旨、ご了承願います※

目次

2013-11-02 16:04:14 | 目次
転載元:霊界通信 小桜姫物語



小桜姫物語について(元HPより転載)



1.その生い立ち

2.その頃の生活

3.輿入《こしい》れ

4.落城から死

5.臨終

6.幽界の指導者

7.祖父の訪れ

8.岩窟《いわや》

9.神鏡《しんきょう》

10.親子の恩愛《おんあい》



11.守刀《まもりがたな》

12.愛馬との再会

13.母の臨終

14.守護霊との対面

15.生みの親、魂《みたま》の親

16.守護霊との問答

17.第二の修行場

18.龍神の話

19.龍神の祠《ほこら》

20.竜宮へ鹿島立《かしまだち》



21.竜宮街道

22.唐風の御殿

23.豊玉姫《とよたまひめ》と玉依姫《たまよりひめ》

24.なさけの言葉

25.竜宮雑話

26.良人との再会

27.会合の場所

28.昔語り

29.身の上話

30.永遠の愛



31.香織女《かおりじょ》

32.無理な願い

33.自殺した美女

34.破れた恋

35.辛い修行

36.弟橘姫

37.初対面

38.姫の生い立ち

39.見合い

40.相模の小野



41.海神の怒り

42.天狗界探検

43.天狗の力技

44.天狗の性来

45.龍神の修行場

46.龍神の生活

47.龍神の受け持ち

48.妖精の世界

49.梅の精

50.銀杏《いちょう》の精



51.第三の修行場

52.瀑布《たき》の白龍

53.雨の龍神

54.雷雨問答

55.母の訪れ

56.つきせぬ物語り

57.ありがたい親心

58.可憐な少女

59.水さかづき

60.母性愛



61.海の修行場

62.現世のおさらい

63.昔の忠僕

64.主従三人

65.小桜神社の由来

66.三浦を襲った大津波

67.神と人との仲介

68.幽界の神社

69.鎮座祭《ちんざさい》

70.現界の祝詞



71.神馬《しんめ》

72.神社のその日その日

73.参拝者の種類

74.命乞い

75.入水者の救助

76.生木を裂かれた男女

77.神の申し子

78.神々の受持ち




七十八.神々の受持ち

2013-11-02 15:00:45 | 71~78
心霊学研究所
小桜姫物語
('04.04.05)



七十八.神々の受持ち

--------------------------------------------------------------------------------

 


 神々の受け持ちとはいっても、私がこちらで実際に見たり聞いたりしたことを、何の手心も加えずにありのままにお話しするだけですから、どうぞそのつもりで聞いてくださいね。こんな話でも少しでも皆様のお役に立てば何よりです。

 現世の方々が、何はさておいても一番に心得ておかなければならないのは、産土《うぶすな》の神様でしょう。これはつまり土地の守護に当たられる神様でして、その本体は始めから生き通しの自然霊、つまり龍神様なんです。現に私たちの土地の産土様は神明様(訳注1)といいますが、やっぱり龍神様です。どうやらこちらの世界の仕事は、人霊のみでは何かにつけて不便があるのではないかと感じられます。



 さて産土の神様の仕事の中で何より大事なのは、人間の生死の問題です。この世の役所では、子どもが生まれてから初めて出生届を受け付けますが、こちらでは生まれるよりずっと以前から、それがおわかりになっていらっしゃるようです。

何といいましても、一人の人間がこの世に生を受けるというのはすごく重大なことですから、このような場合は産土の神様から、上の神様、さらに上の神様へと順々にお届けがあり、最終的に最高の神様まで情報が伝達されるんだそうです。言うまでもなく、これから誕生する人間には必ず一人の守護霊がつけられますが、これも皆上の神界からのお指図で決められるように聞いています。



 それから人間が亡くなる場合に第一に受け付けてくださるのも、やはり産土の神様で、誕生だけが決してその受け持ちではないんですよ。これは氏子としてぜひ心得ておかなければならないことと思います。とは言ってもそのお仕事はただの受け付けだけで、直接帰幽者をお引き受けくださるのは大国主命《おおくにぬしのみこと》様です。

産土神様からお届けがあると、大国主命様の方ではすぐに死者のあらゆる状況を見定め、それぞれ適当な指導役をつけて下さるんです。指導役はやっぱり龍神様ですね。人霊ではどうかすると人情味があり過ぎて、こちらの世界の指導をするのにあまりうまくいかないようです。私も一人の龍神さんの指導にあずかったことは、先ほど来お話してきたとおりです。これは私だけのことではなくて、どんな人だって皆お世話になるんですよ。つまり現世では主として守護霊、幽界では主として指導霊のお世話になるものと思われたら間違いありません。

 ちなみに生死以外にも産土神様のお世話になることも多いですね。すなわち産土神様は、万事の段取りを取ってくれる総合受付のようなものと言えばお分かりいただけるかしら。病気には治療専門の神様、武芸には武芸専門の神様がいるし、そのほかこの世のありとあらゆる分野には、それぞれ受け持ちの神様が控えていらっしゃいます。人はとかく自分の力だけで何でもできるように考えがちですが、多かれ少なかれすべての事象の陰には神様のお力添えがあるというわけなんです。



 さすがに日本は神国と言われるだけに、外国と違ってそれぞれ名の付いた尊い神社が至る所にあります。それらの御本体を考えてみますと、大きく二通りに分かれるようです。一つはすぐれた人霊を御祭神としたもので、橿原神宮《かしはらじんぐう》(訳注2)、香椎宮《かしいのみや》(訳注3)、明治神宮(訳注4)などがこれにあたります。もう一つは活き神様を御祭神としたもので、出雲大社、鹿島神宮、霧島神宮などが相当するようです。ただしいかにすぐれた人霊でも、その背後には必ず有力な龍神様が控えているようですけど。

 今さらお話しすることでもないんでしょうが、すべての神様の上には皇孫尊《こうそんみこと》様が控えておられます。このお方が大地の神霊界の主宰神であられるからです。さらにそのもう一段階奥には、天照大神様がお控えになっておられますが、それは高天原《たかまがはら》、すなわち宇宙の主宰神でありまして、とても私たちからは計り知ることのできない、それはそれは尊い神様なんです。

 神界の組織はざっとではありますがこのような構造です。これらの神様の他にもこの国には、観音様とか、不動様といった様々な神様がいますが、私がこちらで実際に調べてみますと、それはただ進化の途中の相違、つまり幽界の下層にいる眷族《けんぞく》が色々区別しているだけで、奥の方は結局同じなんです。富士山に登るのにルートは色々あっても、頂上が一緒なのと同じです。教えの道も結局はそういうものなんでしょう。話がずいぶん長くなりましたわね。それではこの辺でひとまず私の通信の終わりとさせてくださいね。

(完結)




訳注1:昨年9月スピリチュアリスト掲示板でゆきたろうさんが「小桜神社は現在は諸磯神明社といいいます。」とご指摘くださいました(2885)。本文を見ると、昔は別だったものが今は一つになったのかもしれません。(訳者注)

訳注2:大和三山のひとつ、畝傍山《うねびやま》の東南ふもとに広大な神域をもつ。第一代神武天皇が橿原宮に即位したという『日本書紀』の記事にもとづき、明治23(1890)年に創建された。(http://www.kintetsu.co.jp/senden/Database/KA-Htm/KA0006.html) 祭神は、神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛《ひめたたらいすずひめ》皇后。(大辞林第2版より)

訳注3:『記紀』にこの地(福岡県福岡市)の「橿日宮」で崩壊したと伝えられる仲衰《ちゅうあい》天皇と、神功皇后を祀る。一説に200年代の建立ともいわれ、古代から朝廷に崇敬されてきた神社。江戸時代に再建された本殿は、香椎造りと呼ばれる独特の様式。 (http://www.yado.co.jp/tiiki/fukuoka/kasiigu/kasiigu.htm)

訳注4:http://www.meijijingu.or.jp/


 

http://www.paperbirch.com/sakura/sakura78.html より転載

七十七.神の申し子

2013-11-02 14:57:21 | 71~78
心霊学研究所
小桜姫物語
('04.03.22)



七十七.神の申し子

--------------------------------------------------------------------------------

 


 ある夜社頭の階段の側に人の気配がしたので、心を鎮めてこちらからのぞいてみたんですけど、そこには二十五、六の若く美しい女性が、六十ぐらいのおばあさんを連れて立っていました。

血走った眼に洗い髪を振り乱している様子は、どう見てもただごとではありませんでした。女性はやがて階段の下にひざまずいて、こまごまと一部始終を物語った後、『どうか神様のお力で子どもを一人授けてください。それが男の子であろうと女の子であろうと、決して文句は言いませんから。』と一心不乱に祈願をこめて言うのでした。

 これで一通り女性の事情はわかったんですが、男性の方も調べないとなんとも言えませんので、私はすぐその場でより深い統一状態に入り、男性の心の中まで探ってみました。すると彼の方もいたって志のしっかりした優しい若者で、ほかの女には目もくれず、堅い堅い決心をしているのがよくわかりました。

 これで私の方でも真剣に力を貸す気になりましたが、何分このような祈願はまだ一度も経験がないものですから、どうすれば子どもが授かるかなんて見当もつきませんでしたの。仕方なく私の守護霊に相談してみましたが、彼女もよくわからなくってこまっちゃいました。



 そうこうするうちにも、女性の方では雨にも風にも負けないで、午後六時頃になると決まって願掛けに来て、真心をこめて早く子どもがほしいと祈り続けます。聞いているこちらも気が気ではありませんでした。

 とうとう困り果てて、私は指導役のおじいさんに相談してみました。すると次のようなお答えがありました。

『それは結構なことだから、ぜひとも子どもを授けてあげなさい。ただし具体的な方法については、自分で考えなけりゃね。それがつまりは修行というわけなんだ。こちらから教えても意味がないのさ。』

 これは大変なことになっちゃったと思いました。とにかく相手がなけりゃ妊娠しないことはいくら私だって知ってますわ。とにかく私はまず念力をこめて、あの若者を三崎に呼び寄せることにしました。結局男性にそう思わせるだけなんですけど、これが結構大変だったりなんかします。

 幸い私の念力が通じ、若者はやがて実家から抜け出して、ちょくちょく三崎の女性の元に通うようになりました。そこで今度は産土の神様にお願いして、そのお計らいで首尾よく妊娠させていただきました。これがつまり神の申し子というものなんです。ただ詳細については私にもよくわかりません。



 これでまずまず仕事は一段落したわけなんですけど、ただそのままではせっかくの祈願が叶ったのか叶わなかったのか人間にとってはさっぱりわからないでしょうから、何とかこのことをわかってもらう工夫をする必要がありました。これも実は指導役のおじいさんに教わったんですが、女性の睡眠中に、白い玉を神様から授かる夢を見せてあげました。ご存知と思いますが、白い玉は男の子の象徴なんです。

 女性はその後も私のお宮に毎日お参りしてくれました。夢に見た白い玉がよほど気にかかったと見えて、いつもいつも『あれはどういう意味でございますか?』と尋ねてくれるんですけど、なんていっても幽明交通の道が開けていませんでしたので、意味を教えてやることができず、ホトホト困ってしまいました。でもそのうち妊娠ということがわかった後の夫婦の喜びは並じゃなく、三崎にいる間はよく二人連れ立ってお礼に来てくれました。

 やがて月満ちて生まれたのは、まさしく玉のような美しい男の子でした。俗に神の申し子は生命力が弱いなんていいますけど、決してそんなことはなく、この子も立派に成人して、父親の実家の跡を継ぎました。私のところに来てくれる人々の中では、この人たちは一番しっかりしていましたわ。

×     ×     ×     ×

 こういった話はまだまだいくらでもありますけど、これ以上は別の機会にお話しすることとしましょう。それではこの後は、神々の受け持ち分野について簡単に私の知っていることをお話しまして、名残惜しくはあるんですけど、ひとまずこの通信を終わらせていただきたいと思います。


 


http://www.paperbirch.com/sakura/sakura77.html より転載

七十六.生木を裂かれた男女

2013-11-02 14:54:05 | 71~78
心霊学研究所
小桜姫物語
('04.02.12)



七十六.生木を裂かれた男女

--------------------------------------------------------------------------------

 


 あまり他愛のない話ばかり続きましたので、ここで少しこみいった話をしましょうか。願掛けの話なんていかがかしら。

願掛けは実をいうとあまり性質《たち》のいいものばかりではありません。たいていは夫の方に愛人ができたりして夫婦の仲が悪くなり、妻が嫉妬のあまり愛人を呪い殺す、なんていうケースが多いようで、たまに私のところにもそんな話が持ち込まれることもあります。

ですけど、私、そんないやな祈願にはかかわらないようにしていますの。呪いを受けつける神はまた私たちとは全然別物で、正しい神とはとても言えません。お話としてはあるいはそっちの方が面白いかもしれませんけど。でもあいにく私の手もとには、そんな話は一つもありません。あるのはただただきれいな願掛けの話ばっかりで、面白くないと思いますが、一つだけ例をあげてみることにしましょう。



 それはある鎌倉の旧家に起こった事件です。主人《あるじ》夫婦は五十歳になるかならないかぐらいの年齢でした。そして二人の間にはたった一人の娘がありました。母親が大変な美人だったので、娘も母親に似て、いわゆるひなにもまれな美人でした。

それだけではなく才気もはじけており、また婦人の嗜《たしな》みも十分過ぎるほど学んでいました。こんな娘が年頃になったものですから、縁談の話はいろんな所から降るように来ましたが、ことわざにも帯に短したすきに長しなんて言いますでしょう。なかなかこれといった話にはめぐり合えないのでした。



 ある時鎌倉の某所で、能狂言の催事がありまして、この親子が三人で観賞に出かけたんですが、近くの席に気品にあふれた若者を見かけました。『彼なら娘の婿として恥ずかしくなさそうだ。』なんて、両親の方では早くも若者に目をつけ、それとなく話しかけたりなんかしたんです。娘の方もまんざらでもないようでした。

 その後、人にたのんで若者の身元を調べていくと、あいにく彼も一人息子で、とても養子にはいけないことがわかりました。この段階で両家とも大変困ってしまい、何とかよい工夫はないものかと相談を重ねました。もともと若者の方も娘の方も互いを大変好きになってしまっていましたので、最終的に『二人の間に子供ができたら、その子を若者の実家に帰す』という約束が成り立ちまして、とうとう吉日を選んで晴れて婿入りしたのでした。

 夫婦仲はすごくよくて、双方の親たちも始めのほうは喜び合ったんです。これでかわいい赤ちゃんでもできたなら何の問題にもならなかったんですけど、そううまくはいかないのが世の中の常ですわね。それから一年たっても二年たっても三年過ぎても、どうしても子供は生まれませんでした。

そのころから婿の実家ではだんだんあせりだし、『このままでは家名が断絶する。』と騒ぎ始めました。でも三年ではまだわからないということでそれからさらに二年ほど待ちましたが、やっぱり懐胎の気配はまったくなく、実家ではとうとう我慢しきれずに、仕方がないから息子に離縁して帰ってきなさいと告げたのでした。



 二人の仲はとてもよくて、別れる気になどなれなかったんですが、そのころは何より血筋を重んじる時代でしたから、お婿さんは無理矢理、まるで生木を裂くように実家に連れ戻されてしまいました。現代の方々は、もしかしたらずいぶんひどい仕打ちをすると思われるかもしれませんね。でも昔はこれが当たり前だったんですのよ。

 とにかくこうして睦《むつ》まじい夫との仲を引き裂かれた娘の、その後の嘆きようといったらありませんでした。一ヵ月、二ヵ月と時がたつにつれ、娘の体はすっかりやせ衰えていき、そして頭もすこしおかしくなってしまったのか、夫の名前を呼びながら、夜中に寝床を抜け出してウロウロするといったようなことがあったのも、一度や二度ではありませんでした。

 やがて保養のために、この娘が一人の老女に伴われて、三崎の親戚の家の離れ座敷に引っ越してきたんです。そしてここから願掛けの話が始まるんです。




http://www.paperbirch.com/sakura/sakura76.html より転載