あどけないは、(子供のようすが)無邪気でかわいい、することが幼いという意味です(大辞林p57)。
中世以降用例のみられる「あどなし」が基になり、近世になり幼いという意味を共有する「いとけなし」「いわけなし」などと混交を起こした結果、「あどない」から「あどけない」が成立したと考えられます。「あどなし」の「あど」は調子よく相手に合わせる「相づち」の意の「あど」と何らかの関係があるとも考えられるが、不明ということです(語源辞典p37)。
(参考)
あどない:無邪気だ、たわいない、子どもっぽい(大辞林p58)
いとけない(幼けない・稚い):おさない(大辞林p164)
いわけない(稚い):年端がゆかない、幼い(大辞林p187)
すずなりは、(1)果実などが神楽鈴のようにいっぱいに群がってなっていること、(2)人が一か所に大勢群がっていることという意味です(大辞林p1338)。
ふだん使うのは(2)の意味ですが、もともとは果実のなっているさまが神楽鈴のようだということなのですね。鈴が「鳴る」のではなく、鈴のように「生る」ということです。
なお、神楽鈴(かぐらすず)とは神楽を奏するときに持つ鈴で、小さい鈴と十二個綴って柄を付けたものです(大辞林p447)。大辞林にはイラストが載っています。
うきあしだつは、恐れや不安を感じて逃げ腰になる、落ち着きがなくなるという意味です(大辞林p210)。
うきあし(浮足)には、(1)足が地についていない状態、逃げ腰の態度、(2)相撲で土俵から離れている方の足、(3)取引で相場が一定せず変動が激しいことという意味があります(大辞林p210)。
本来、「浮き足」は踵(かかと)が地についていない爪先立ちの状態を言ったもので、室町時代以降に用例がみられます。この状態は不安定なので、「浮き足になる」は逃げ出しそうになることを表します。「浮足立つ」の形で使うのようになったのは近代以降のようです(語源辞典p105)。
地に足がついていない状態(足が浮く)ことが逃げ腰な態度を意味するということですね。
まけずぎらいは、人に負けることが嫌いでなにごとにも頑張るさま、またそのような性質の人を意味します(大辞林p2387)。
子どもの頃、「負けず」が「嫌い」なのに、なぜ負けるのが嫌いという意味になるのか不思議に思っていました。不思議に思ったことは調べるべきですね。
大辞林には『「負け嫌い」や「負けじ魂」などの混同からという』と解説されています。
負け嫌いは、負けず嫌いと同じ意味。負けじ魂は、人に負けまいとして意気込む気持ちとあります(大辞林p2387)。
似たような二つのことばがいつのまにかくっついてしまったということでしょうか。
ところで「食わず嫌い」ということばがありますね。こちらは、(1)食べたことがなく味も知らないのに嫌いだと決め込むこと(また、その人)、(2)あるものの価値や面白みをよく理解しないで、ただ初めから嫌うこと、という意味です(大辞林p759)。
こちらは「食べることが嫌い」ということではなく、「食わずして嫌う」ということなんですね。
かつてセッカチセージという競走馬がいましたね。
せっかちは、落ち着きがなく、先へ先へと急ぐこと(さま)、またそのような性質の人を指します(大辞林p1401)。
大辞林によると、語源について「せきかち(急き勝ち)の転か」とあります。「急く」は早くしようとあせる、いそぐ、あせっていらいらするという意味なので(大辞林p1397)、「あせりがち」というのが元の意味だったのですね。
(参考) 「急いては事を仕損ずる」は、急ぐと注意がいきとどかず、かえって失敗してしまうの意(大辞林p1397)。