団塊のしっぽが綴る ありのままの田舎暮らし

躊躇いながら近づいてくる未来と、静かに佇む過去のはざまで。

勝ち組とか、負け組とか言うけれど・・・

2017-10-28 | 日々のこと。


この秋は雨ばかりで、大好きな登山もできません。
去年は、こんなに険しい山を登りました。


落ちたら、大変。



「あなたは、本当はもっと幸せになれるはずの人なのにね」

都会を離れて、夫の故郷である今の地に転居することを
友人に告げた時に、言われた言葉です。

私は、当時はかなり心が弱っていたので
言葉の真意を質す気も反論する気力もなく、黙って聞き流しました。
そして、その言葉を記憶の抽斗にそっと仕舞いました。

あの頃の友人は、今思えば幸せの絶頂にいたのかもしれません。
優秀な息子は難関の国家試験に合格して、社会的にも経済的にも十全な仕事に
就いており、素直で気立てのいい娘の結婚も決まっていた。
優しくて財テクに長けたご主人は、定年まで数年を残すだけ。
舅も姑も、既に見送った。
悠々自適のリタイア生活が、すぐそこに待っていた。

そんな友人から見た私は、夫の事業の失敗により(経緯は以前に書いたので省略)
不本意にも田舎暮らしを余儀なくされた可哀そうな人・・・にしか見えなかった
のだと思う。

あれから10年。
その友人から先日、手紙が届いた。

「二世帯住宅に一緒に暮らしていた娘の夫が、癌で亡くなってしまった。残された娘と
幼い二人の孫の面倒を見ることになった。毎日仕事で遅くなる娘に替わり、孫の幼稚園
の送り迎えや子守りを、主人と交代でやっている。疲れた。思いもしなかった人生を歩
むことになった」
要約するとこのような内容です。


もう一人。
人も羨むような生活から一転した友人がいます。
彼女はかつて、
「私の結婚は、ジャンボ宝くじに当たったようなもの」
と言ったことがありました。

聞いていた私も、その通りだと思いました。
彼女とご主人の、絵にかいたようなサクセスストーリーは、
友人たちの間でも評判でした。

彼女のご主人は、ある分野の仕事で大成功。
もちろん、才能と努力の賜物です。
彼女も内助の功を発揮して、ご主人を支えました。
そのご褒美として、都内の高級住宅地に一軒家を持ち、高級外車を次々と買い替え、
避暑地に素敵な別荘も。
私達は、羨望の眼差しで彼らを眺めていました。
彼女の毎度の自慢話にも黙って付き合いました。

そして去年のことです。
田舎に引っ込んで、すっかり疎遠になっていた私の元に、彼らの消息を知らせる
1通のメールが、別の友人から届きました。
それは、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していたはずのご主人が、なんと、
アルツハイマーになってしまったというものでした。

本当に驚きました。そして、人生はなんと残酷なんだろうと思いました。


勝ち組だとか、負け組だとか、はたまた負け犬とか、耳障りな言葉で
生き方の格差を言い立てる風潮がありますね。
そういう言葉を聞いたり見たりするたびに、思うんですよね。
「そんなことを言っているうちは、まだまだ修行が足りない」って。

人生、一寸先には何が待ち受けているか分からないのです。
今が闇でも、明日は光。そして、その逆も。
諸行無常。
そもそも、人の一生に勝ち負けなんてあるはずがないでしょう。

わが家も貯金と別荘を失いました。
でも、今は美しい自然と美味しい食べ物に恵まれて、毎日がリゾートライフです。
先の友人たちも、このままで終わるはずがありません。
きっと、新しいステージを見つけて、そこで輝くでしょう。



ところで・・・
何で私が今日はこんなことを書く気になったかというと、
ボクシングの村田諒太さんが、インタビューの中であの「夜と霧」の一文を
引用していて、それに触発されたのです。

「人生に意味を問うのではなく、人生の問いにどう答えるかが大切なのだ」



















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