雪浦小学校では、地域のゲストティーチャーに、地域のことを教えていただいています。
11月6日、4年生の社会の「地域の発展に尽くした人々」の学習では、雪浦の郷土史家 林吉行さんをお招きし、森伊兵衛さんのことについて学びました。
今から200年以上も前の話・・・・雪浦村は、大村藩に年貢を納めていましたが、どうにも生活が苦しく、農民は大分苦労をしていたそうです。年貢として10分の8のお米を納めなければならなかったそうです。なんとか田んぼを増やせないものか・・・。寛政元年(1789年)、森伊兵衛さんは、工事を起こし、小島の半島を切り通し、弁天島を残し、川の流れを直進するようにしました。新田7町8反と塩田1町8反の干拓地を完成させました。工事が終わったのは、1796年。7年におよぶ大工事だったのですね。
お話を伺った後、実際に干拓の場所を見に行ってみました。
このあたりが、森伊兵衛さんの家があったところだそうです。
このあたりが干拓で水田と塩田が作られたところです。林さんが指さしているあたりに、海水をためていた跡ががあります。
ここより先が水田。手前側が塩田です。
この辺りには、塩田がありました。今でも塩場通りという地名が残っています。
製塩方法は、満ち潮に、海水をくみ上げ、砂の上に蒔き、太陽の熱で水分を蒸発させ、濃縮して作ったということです。
今は、畑や田んぼが広がっています。
森伊兵衛さんの碑。
弁天のこんもりとした丘に、碑が残っています。
二つの碑がありました。
歴史を感じます。
干拓で、流れが変わった雪浦川。
この右側の流れが、小島を切り通して作られた流れです。
これは、火力発電所跡の碑。雪浦には、火力発電所まであったんです。
雪浦には、知らなかった歴史がたくさん。毎日見る景色の中に、昔の人の想いがあったのですね。