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人はなぜ悩むのか

2016-06-08 16:38:09 | リラックスして読んでください

みなさんこんちには


問題を解決するには、原因を突き止める必要があります。
人類の問題である、「人はなぜ悩むのか」というテーマを元に、悩みが発生する原因を突き止め、悩みを解決する方法を今回は書いていきたいと思います。







突然ですが、皆さんは
ガリレオガリレイという人物をご存じでしょうか。


いわゆる『地動説』を唱えた人物ですが簡単にこの方を説明すると、
1600年頃、当時ヨーロッパでは占星術が気象予測や医療において大きな意味を持っておりました。そしてそれは『天動説』という、地球が宇宙の中心であるという説を基に成り立っていました。
それだけ生活に密着し多くの人が天動説を信じている中、それと全く反対の説である『地動説』を唱え、多くの人から追放や軽蔑の目で見られてしまったという人物です。


地動説は、今となっては常識かつ事実ですが、当時はそれを信じる人はあまりいませんでした。
私たちは真実よりも、過去からの言い伝えや、自分の習慣、社会の情勢などにより、新しい考え方を受け入れない習性があります。

この頃から、地動説を信じて社会が歩んでいれば、彼のような悲惨な人生を歩む者は生まれませんでしたし、今日の科学はもっと発展していたことだと思います。人類は発展のチャンスを自ら放棄したと言えます。

つまり、新しい考え方を受け入れず否定することは、チャンスを逃すことに繋がるということを教えています。




その上で、今回お伝えしたいことは…






『世界の中に自分がいるのでなく、自分の中に世界がある』



ということです。





『世界の中に自分がいるのでなく、自分の中に世界がある』


とは、

今あなたが、自分の人生や、社会に対して感じている感情や思いは、自分で作り上げているということです。




どういう事かというと、
要するに、今あなたは幸せか不幸せかということなのですが、
人生や社会というのは、自分に対しての一つ一つの外的要因=『出来事』が積み重なってできたものです。
ある出来事に対して抱いた感情が、あなたの人生や社会に対して今抱いている感情となります。

今あなたが人生や社会に対して不満があるならば、社会や人生自体に対して不満があるのではなく、過去あった『出来事』に対して、不満があるということです。



ですがここで思い返して欲しいのが、

一つの出来事に対して、人々が抱く感情や思いは、人それぞれ違うものです。


ある人はある出来事を、
悲しい出来事と受け取り

ある人は同じ出来事を、
嬉しい出来事と受け取ます。

同じ出来事を体験しても、人それぞれ違う思いを抱きます。


このことから、
出来事には元々特定の価値などなく、嬉しい出来事・悲しい出来事という『出来事の価値』は、自分で決めているということがわかるでしょうか。




具体的な例をあげると、

福山雅治さんが昨年結婚致しました。

この出来事で、
幸せになった人・嬉しくなった人、
不幸になった人・悲しくなった人 と分かれました。


同じ出来事なのに、正反対の状態になった人がいるのです。


このことから出来事それ自体には意味はなく、
『出来事が自分を悲しくさせている』のではなく、
『出来事を悲しくさせているのは自分』だということがいえます。




極端な例をあげるなら、この例えはあまり適切ではないかもしれませんが、多くの人にとって『痛み』というのは悲しい出来事です。
ですが、アメリカ犯罪史上最も凶悪な殺人鬼であったと言われるアルバート・フィッシュという人物は、『痛み』という出来事で幸せになれる人物だったようです。
その度合いは、自身の骨盤や背中に釘を深く打ち込んでも快感に変えられる程だったそうです。




このように、出来事それ自体には意味はなく、
『出来事が自分を悲しくさせている』のではなく、
『出来事を悲しくさせているのは自分』だということがわかるでしょうか。

人によって受け止め方が違うということは、出来事に普遍的な価値はなく、価値は自らが付しているということなのです。



つまり、外には意味のあるものなど何一つないのです。



1という意味を持った出来事があったから、1という影響を受けていたのではなく、
1という意味を持ったであろう出来事だと「思い込んで」いたから、1という影響を受けたに過ぎません。

なぜなら、人によってその出来事は2にも3にも感じる人がいるからです。

出来事に意味や価値なんてないのです。


1×自分=1自分

ではなく、

0+1自分=1自分

なのです。

1がやってきたから自分が1になったのではなく、
0に自分が1を足してるから自分が1になったのです。





更に具体的な例をあげ、深く掘り下げていきたいと思います。



『後輩にあいさつされなかった』

という出来事があったとします。


多くの人はこのことで腹が立ち、どちらかといえば不幸になります。
しかし、その人物が先輩だったならそんな気持ちにはなりません。
つまり、自分がその人物を後輩だと認識したから、その出来事が不幸な出来事になったのです。
その人物があなたを不幸にしたのではなく、不幸になった原因を自分が作ったのです。
後輩だから後輩になっているのでなく、後輩だと決めつけているのは自分なのです。


仮にその人物を「後輩」ではなく、「一人間」として尊重していたなら、相手の事情を考えるくらいの余裕は出るのではないでしょうか。

認識を変えることで心に生まれる感情か変わります。
たったこれだけのことで、自分の心持ちが変わるのです。




(以下は壮大なスケールの話になりますが、実は哲学やスピリチュアル的分野の教えはこの考え方が「全ての」元となっています。いわば人の最強の思い込みです。2017年追記)

そしてこの例、このように捉える事はできませんでしょうか。


『その人物を「他人」と認識したから、○○「された」という意識になった。』



認識一つで心持ちが変わるのですから、このことは合っている合っていないにかかわらず、理屈は通ると思います。


ここを掘り下げます。


「他人」という認識は「自分がいる」という認識のもとに成り立っています。

ここがこの記事の要点なのですが、
その「自分」とは、果たしてどこにいるのでしょうか。



仮にその肉体が自分なら、どの部位が自分なのでしょうか。

腕や足、腹、目、顔、脳。さまざまな部位がありますが、どの部位も脳から命令を受けるだけの道具に過ぎません。
つまり腕や足、腹、目、顔はあなたではありません。


感情も、脳の伝達物質がもたらす作用でしかありませんし、その伝達物が自分なら、どの物質が自分なのでしょうか。

脳も、どの伝達物質もあなたではありません。



つまり、「自分」というものは初めから存在していないのです。



「鏡に映った肉体」
「操作できる体」
「感じる感情」


を自分だと脳が誤認識しているのです。



「自分」の場所が特定できないのですから、必然的に「自分」はいないことになります。



自分の物を盗まれて悲しくなるのは、それを「自分の物」だと認識していることが原因です。
はたまた、「自分」と「物」と「他人」があるという認識が原因です。


ですが、我々はその「自分」の場所を特定することができません。
その場しのぎ的に肉体を自分と仮定しているだけなのです。


何度もいうように、その肉体が自分なら、どの部位が自分なのでしょうか。
感情も脳の伝達物質がもたらす作用でしかありません。
脳も伝達物質も、あなたではありません。




「自分」なんて最初からいないのです。


ですから、「他人」も最初からいません。




この肉体を「自分」と認識しているから、「他人」という認識が生まれ、「他人」という認識があるから「他」という認識が生まれ、「他」があるから「自」を定義づけています。
「自」があるから「他」があるという認識が、全ての不幸の始まりなのです。







外の世界から意味をもった出来事がやってきているのではなく、自ら出来事に意味を設け、ストーリーを作り上げていることが、何となくわかっていただけたでしょうか。


ですから今まであった悲しい出来事も、
その出来事があなたを不幸にしたのではなく、その出来事を不幸だと認識した自分自身が、あなたを苦しめていたのです。





『世界の中に自分がいるのでなく、自分の中に世界がある』




我々は目に見えるものや出来事に勝手に意味を付け加えて、自分独自のストーリーを今まで歩んでいただけなのです。



このことから、悩みの原因は自分で作っており、人はいつでも変わることができ、いつでも幸せでいることが可能なのです。

受け止め方・認識を変えるだけでいいのですから。


何かを達成したり、得たりしても幸せになることは可能でしょう。
ですが、それらを失えばまた不幸になります。
満たされても一時的で、またそれを追い求めることでしょう。
終わることのないレースに参加しているのです。
何かに執着しても本当の幸せは得られません。むしろ遠ざかります。








P.S.
最初の一文の誤字、気付きましたか?
『文の最初だから挨拶されたのだろう』という認識の元、『挨拶された世界』を作り上げたのではないでしょうか。ぱっと読んで『こんにちは』と書いてあると思い込んだのではないでしょうか。
その結果、疑問も何も思うことなく、一文を読み進められたと思います。
認識(思いこみ)一つで、あたなの感情が左右されるのですから、その認識を一つ一つ変えてゆくことが、真に幸せに生きるコツとなります。

(言葉もただの文字の羅列でしかなく、勝手に意味をつけ、それに感情が左右されているので、自分で自分を苦しめたり、自分で自分を幸せにしたりしていることがわかるでしょうか。本当に目に見えるもの全てには意味なんてないのです。)





(2017年追記)

さて、ここまで読まれた方は、


『悲しい事は悲しい』
『何も求めなかったら死ぬ』
『綺麗事でしかない』

といった感想を持つと思います。


これが人間の生まれ持つ矛盾であり、欠点です。他を消費しなければ生きていけない不完全な存在なのです。ここまで述べたことは確かに綺麗事で、実行すれば何も求めてはいけないことになり、餓死して死ぬことになります。

ですが、ここに書かれていること自体は紛れもない事実で、知っておいて損はありません。
その上で、自分がどのように生きていきたいか選択し、悲しい出来事に支配されず健康的に生きていく鍵となります。



昨今は同性婚が認められたり、働き方の是正が始まるなど、どんどん「区別すること」と「自分を不幸にする考え方」を捨て人間本来の自由さを取り戻す動きが強まっています。
将来的にはIT産業が更に発達し、AIが向上し、人間が働くよりにロボットが働く事が効率的という考えが広まり、ロボットが食べ物を供給したりインフラを維持したりするでしょう。よって人間が働かなくてもいい時代が必ず来ます。今は丁度その転換期にあるので、目先の不幸として大量のリストラや失業者、デフレなどが増えていくと思います。
この時に役立つのがこの記事の考え方で、この先、生きるヒントを教えてくれるはずです。
例えば、生きてるものは死んでいくように、元々存在してなかったのだから存在はいつか必ず消えます。これはこの世のルールで、いつかは必ず、元に戻るんです。
それと同じで、自他なんて概念が限りなくない世界が元の世界なので、今後は徐々にそれに近づいていくというわけです。





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