明治後半から大正にかけて奈良県では道路網も発達しておらず、山間部の荷物搬送用ロープウエーの建設が盛んに行われた。
吉野山、十津川、高野方面が主で山間部の産物(高野豆腐、鉱物など)を搬出し、生活用品(食料・肥料など)を村へ搬送するのに用いられた。奈良市にも存在し「奈良安全索道」が京終から小倉方面まで(約16km)大和高原の特産品天然凍豆腐や野菜、木炭、材木を運搬していた。昭和27年(1952)索道は廃止され駅や支柱も撤去された。
架空鉄索道台帳(明治43年から大正15年)奈良県庁文書が図書館に所蔵されており、又「日本近代の架空索道」(株)コロナ社 斎藤達男氏著(昭和60年8月20日発行)などを調べて興味を持ち写真を集めて今昔写真WEBに掲載していた。
平成30年(2018)奈良市田原公民館で「幻のロープウエーの軌跡を追って」と題した講演があり、「奈良安全索道」の地元の関係者の方々のお話しや情報を得ることができた。
令和2年(2020)新たに奈良安全索道の支柱の遺構が奈良市茗荷町の山林で発見された。索道が営業していた当時の地図を使って現地調査を実施し発見された。後日、発見者に、現場案内いただいた。
令和4年(2022)当図書館で企画展『100年前 空の道「索道」ロープウェイとケーブル』を開催。奈良安全索道のその後発見された遺構の写真・史料や実際に使われていた搬器などが展示され、又奈良県の他の索道の写真や資料及びジオラマが展示された。
上下の写真は奈良安全索道の写真