今昔写真 後記

奈良今昔写真のホームページを作成した時のお話

奈良の架空鉄索道(荷物用ロープウエー)

2023-11-21 13:45:27 | 日記

明治後半から大正にかけて奈良県では道路網も発達しておらず、山間部の荷物搬送用ロープウエーの建設が盛んに行われた。

吉野山、十津川、高野方面が主で山間部の産物(高野豆腐、鉱物など)を搬出し、生活用品(食料・肥料など)を村へ搬送するのに用いられた。奈良市にも存在し「奈良安全索道」が京終から小倉方面まで(約16km)大和高原の特産品天然凍豆腐や野菜、木炭、材木を運搬していた。昭和27年(1952)索道は廃止され駅や支柱も撤去された。

架空鉄索道台帳(明治43年から大正15年)奈良県庁文書が図書館に所蔵されており、又「日本近代の架空索道」(株)コロナ社 斎藤達男氏著(昭和60年8月20日発行)などを調べて興味を持ち写真を集めて今昔写真WEBに掲載していた。

平成30年(2018)奈良市田原公民館で「幻のロープウエーの軌跡を追って」と題した講演があり、「奈良安全索道」の地元の関係者の方々のお話しや情報を得ることができた。

令和2年(2020)新たに奈良安全索道の支柱の遺構が奈良市茗荷町の山林で発見された。索道が営業していた当時の地図を使って現地調査を実施し発見された。後日、発見者に、現場案内いただいた。

令和4年(2022)当図書館で企画展『100年前 空の道「索道」ロープウェイとケーブル』を開催。奈良安全索道のその後発見された遺構の写真・史料や実際に使われていた搬器などが展示され、又奈良県の他の索道の写真や資料及びジオラマが展示された。

上下の写真は奈良安全索道の写真

 


金魚の出荷 国鉄蒸気機関車で(昭和35年頃)

2023-11-03 16:07:36 | 日記

大和郡山市は金魚で有名です。昭和35年頃の金魚の産卵から出荷までの風景写真を提供いただいた。

       詳細写真⇒今昔写真WEB

金魚池の泥かき、稚魚の選別(品質の良い稚魚を養殖する)、野池金魚池養殖風景、藻の手入れ、品評会風景、出荷風景などの当時の写真を提供いただいた。

金魚の出荷は国鉄大和郡山駅から蒸気機関車で木桶に入れて運ばれていました。(上の写真)

また、各地で金魚すくいが開かれ、デパートの屋上ででも金魚すくいの店を開いていました。(下の写真)

平成7年(1995)「全国金魚すくい選手権大会」を始め、「金魚マイスター」などで金魚のまち・大和郡山を広く発信されて盛り上がっています。

(参考)大和郡山市の金魚養殖の由来は、享保9年(1724)柳沢吉里が甲斐の国から大和郡山へ入部の時に始まる。幕末は藩士の副業とし、明治維新後は失職した藩士や農家の副業として行われた。昭和40年代は養殖技術の進歩により海外へ多く輸出。


奈良観光の大立者 谷井友三郎氏(1901~1979)

2023-10-29 09:58:22 | 日記

平成27年(2015)奈良観光協会の方に今昔写真の話をしましたら、谷井さんに声掛けいただいて、多数の歴史的に貴重なアルバムを約30冊お借りすることができました。数回に分けてお借りしスキャンさせていただきました。約1500点に上る写真でした。

谷井友三郎氏は奈良観光の大立者といわれ劇場や映画館を営む谷井興業を興し、奈良市観光協会長としても活躍されました。

昭和4年(1929)博覧会で「奈良館」を開き、昭和8年(1933)奈良市制35周年記念観光産業博覧会を開き、昭和15年(1940)紀元2600年には三条通りに観光大和歴史館を建て歴史パノラマ14景を展示した。

若宮おん祭は春日大社の摂社若宮神社の祭祀で平安末期から続いていますが、終戦直後進駐軍管理下で中断の危機がありましたが谷井氏が掛け合いのすえ、祭りは継続されたとのことです。(昭和30年おん祭奉祝会長写真 下記写真)

昭和31年春日大社正遷宮奉祝会長をつとめ(上記写真)、 昭和35年(1960)には遷都1250年祭では奉祝会長をつとめなど、各種行事開催に貢献されていました。

一方、谷井興業として、多数の映画館などを営業されていました。奈良ニュース映画館(奈良東映)、奈良映劇、友楽座、ホテル友楽、友楽会館、友楽観光ビルなど娯楽・演劇の時代を築きました。

最近、聞いた話ですが、家を整理され、アルバム等を「お焚き上げ」されたと聞きました。私どもがスキャンさせていただいた写真は貴重な資料となってしまったようです。


奈良のバスは大宇陀から始まった(大正6年)

2023-10-27 20:34:17 | 日記

平成28年(2016)、奈良交通株式会社の本社を訪れ、昔の写真の提供をお願いした。周年記念アルバム(20年、30年、40年、50年)や個別写真を捜していただいた。

奈良の自動車(バス)は大正6年(1917)、松山自動車商会が大宇陀(松山)・桜井間で開始したのが始まり。(上の写真)(松山はかつて宇陀・東吉野地方最大の町であった)

昭和には、奈良市の方では、ホテルのタクシー、奈良観光のバスへと自動車運送が広がり、各社多くの業者が現れた。

昭和18年(1943)に奈良自動車が奈良の自動車各社を合併し「奈良交通株式会社」創立した。

丁度、取材の後平成19年(2017)には「奈良県バス運行100周年」にあたり行事が行われた。また、令和5年(2023)には「奈良交通株式会社」は創立80周年を迎えられた。


お食い初め風景(昭和37年)

2023-10-26 19:33:34 | 日記

 三条通りを猿沢池から下がった所に、小さなカメラ屋さんがある。ビンテージカメラの販売と志野の焼き物を扱う小さなお店である。

昔の写真をお持ちではないかと尋ねてみたら、店番をされている御婆さんが出てこられた。昔話を伺って、昔の写真が無いかとお願いした。

「探しておくは」とのことであった。後日、訪ねて行ったら娘さんも一緒に出てこられた。いきなり、私が写真をお願いしたので心配で出てこられたようだ。写真の使用意図を説明し納得いただき、アルバムを提供いただいた。

娘さんが小さい時には興福寺の境内を遊び場として育ったというお話しもうかがえた。

この時に、提供いただいた写真の一枚が、上の、昭和37年、娘さんの「お食い初め」の風景の写真です。

「お食い初め」は赤ちゃんが無事100日過ぎたことをお祝いし、一生食べることに困らない様にと健やかな成長を願う儀式で、平安時代から行われています。初めてお箸を使ってお魚を食べさせる(真似をする)行事です。

お食い初めの料理は、「一汁三菜」を基本としたお祝い膳で、鯛など尾頭付きの魚と、赤飯、吸い物、煮物、香の物です。

また、赤ちゃんの歯が強くなりますようにと「歯固めの石」を用意するところもあります。